三原順子と今井美樹も出演!80年代に山田太一が描いた女子プロレス群像劇「輝きたいの」
女子レスラーの栄光と挫折、実録ドラマ「極悪女王」のリアリティ
Netflixで放送中のドラマ、ダンプ松本の半生を描いた『極悪女王』が配信開始以来話題を集めている。80年代に女子プロレスの一大ブームを生み出すきっかけとなったスター、長与千種とライオネス飛鳥によるタッグチーム “クラッシュギャルズ” と、その好敵手にして悪の頂点に君臨し続けたダンプ松本とその一味、“極悪同盟” の活躍。そして彼女たちを取り巻く人間模様が様々なエピソードと共に描かれている。
中でも注目を集めているのは、主役のダンプ松本を演じる、ゆりやんレトリィバァをはじめとするキャストの熱演ぶり。そして当時のファイトシーンを再現したその完成度の高さである。また、当時の関係者に対する事細かな取材と事実確認があったことも知られており、その徹底ぶりは現在YouTuberとしても活躍中のブル中野やジャガー横田らの証言からも窺い知ることができる。
ビューティ・ペアの解散、そしてクラッシュギャルズ、極悪同盟がメインを張るステージへ
物語は70年代にブームを牽引してきた女子プロレス勃興期のスター、ビューティ・ペアの解散という業界全体を揺るがす大事件から始まる。事実この時代、女子プロは一時代を築いたレスラーたちが世代交代の時期を迎えており、メディアも運営会社も新たなスター育成に躍起になっていたという背景がある。
『極悪女王』の主要キャストとなっている、ダンプ松本、長与千種、ライオネス飛鳥のほか、大森ゆかり、クレーン・ユウといった実在するレスラーたちが新人発掘オーディションを経て全日本女子プロレス(以降:全女)に入団するのが1980年。(昭和)55年組と言われた彼女たちが、ようやくメインを張れるステージにたどり着こうとしていた1984年、クラッシュギャルズ、極悪同盟という役者が揃い、いよいよ新しいブームが間近に迫って来たまさにその時ーー
TBS系列で女子プロレスラーを目指す少女たちの生きざまを描こうというドラマが制作される。そう、その作品こそ、脚本家の大御所・山田太一が手掛けた『輝きたいの』であった。
女子プロレス “ブーム到来前夜” と時代が交錯するドラマ「輝きたいの」
TBSで数々の名作ドラマを手掛けてきた山田太一は、『思い出づくり』や『ふぞろいの林檎たち』といった都会の若者たちを描く群像劇で共感を得ていたが、新たな題材として選んだのが女子プロレスを舞台とした『輝きたいの』であった。
主要キャストは選手たちを支えるトレーナー役に菅原文太と和田アキ子、運営会社の社長は『男はつらいよ』シリーズのタコ社長でお馴染み太宰久雄といった実力派の俳優陣が固めていたが、選手たちは主役格の三原順子(現:三原じゅん子)を除いてほとんどオーディションで選ばれた。
アスリートでありながら、平凡な人生を歩むことに強い抵抗感を覚えている木田良子役に新人の今井美樹。体は大きいが気が弱く不良グループにいじめられてはいつか見返してやりたいと思う竹内祥子役に同じく新人の畠山明子。そして、世を拗ねてエネルギーを持て余している不良娘をお約束のように三原順子が演じている。
また、全女の若手選手の中からレスラー役に起用された者もあったが、この辺りは『極悪女王』同様、演技のクオリティを高めるためにトレーニングの準備が欠かせなかったためであろう。
山田太一から世の若い女性たちに向けたエール
練習生の中には家庭に経済的な問題を抱える者もいれば、一家総出で娘の夢をバックアップしようとする家族までいて、それぞれ異なる事情を抱えながら、度々衝突を繰り返し、互いの理解を深め合いながら鍛錬を重ねていく。当然そこにはイジメやしごき、体罰まがいのトレーニングもあって、時折興行的な事情も絡んで、少女たちの夢は潰える寸前まで追い込まれる。だが、作中で菅原文太が演じるチーフトレーナーはこう語る。
“世の中には女がどんなに頑張っても報われない世界がある。だがここは違う。努力をすれば光を浴びることだってできる”
“この世界を素晴らしいものにしよう。この世界で輝こう…”
男女雇用機会均等法が制定されようとしていた80年代半ば、女性の社会進出の機運が高まろうとしていたこの時代の空気を山田太一は見逃さなかった。まだまだ厳しい時代だけれど、逞しく生き抜いて欲しいという思いを、この台詞にのせて、世の若い女性たちに向けたエールを贈ったように感じられるのである。
ⓒ TBS
「極悪女王」の背景と同時進行でリンクするドラマの舞台裏
ここで、当時起こっていた事実を時系列でおさらいしておきたい。ビューティ・ペアの解散は1979年。そして翌1980年に(昭和)55年組の面々が入団する。タイトルホルダーの座を引き継いだのはジャガー横田とデビル雅美の2人だが、当時の女子プロレスを人気面で支えたのは芸能界からの転向組だったアイドルレスラー・ミミ萩原である。レスラーとしての線が細かった彼女の全盛期は短かったが、彼女と入れ替わるように頭角を現してきたのが、そう、クラッシュギャルズである。
クラッシュギャルズのタッグ結成は1983年8月。空手由来の打撃技を売りとしてきたファイトスタイルが、その頃 “ガチ” を標榜する前田日明率いるUWFインターナショナルを彷彿とさせて大きな注目を集めていた。一方で実力派ヒール、デビル雅美率いる悪役集団も凶器を排除しようという運営側の動きに呼応するかのように凶行を自粛。威嚇のために木刀を持ち込むことはあったが、決して試合で使うことはなかった。“ガチ勢” のクラッシュに対して、デビルもクリーンファイトで立ちはだかろうとしたのである。
これは後輩たちの将来を慮っての行動でもあったのだが、デビル配下に名を連ねながら梯子を外される形となったダンプ松本は猛反発。1984年2月、ついに袂を分かち、極悪同盟を旗揚げするとクレーン・ユウを引き連れ、凶器あり流血ありのダーティファイトを一段とエスカレートさせていく。この辺りのレスラーたちの野心と苦悩は『極悪女王』に詳しいが、その渦中にあった全女のレスラーたちは一体どのような心境でドラマ『輝きたいの』の撮影現場に臨んだのだろうか。
視聴者の心に深く刻み込まれた主題歌「輝きたいの」
このドラマの視聴率は裏番組にも押されて4週平均7.3%と、話題作ながらヒットしたとは言い難い結果に終わった。だが、シンガーソングライター遠藤京子(現:遠藤響子)が歌う主題歌「輝きたいの」と共にこの作品は後進たちに少なからず影響を与え、視聴者の心に深く刻み込まれた。
そして、ドラマの内容に共感した少女たちの中には同じ道を志す者も生まれ、この曲は彼女たちの心の支えにもなった。“クラッシュブーム” も手伝って、1985年のオーディションには前年を遥かに上回る応募者が殺到。その年の合格者の1人でもある北斗晶はこの曲に対して特別な思いがあることを公言している。