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“南極料理人”の上越市の高木さん帰国 「これまでの経験、全部出せた」 のっぺやするてんも振る舞う

上越タウンジャーナル

調理隊員として2023年12月から2025年1月までの1年余り、第65次南極地域観測隊越冬隊に参加した新潟県上越市東雲町2のレストラン「トゥジュール」のオーナーシェフ高木和弥さん(51)が、任務を終えて2月に帰国した。極寒の地で腕をふるった高木さんは「これまでの料理経験で培ったものは全部出せた」と振り返った。

《画像:南極・昭和基地前で調理担当の高木さん(左)と小笠原千夏隊員(撮影JARE65佐藤祥平)》

しらせで流氷域に入り、南極を実感

高木さんは小学生の時に映画「南極物語」(1983年公開)を見て南極に憧れを持ちつつ料理の道に進み、南極観測隊の調理隊員を描いた映画「南極料理人」(2009年公開)をきっかけに、調理隊員への挑戦を始めた。2022年に第65次隊に見事合格。もう一人の調理隊員と2人で越冬隊員27人を“食”で支えた。

夢がかない南極に来たことを初めて実感したのは、オーストラリアで乗船した南極観測船「しらせ」が流氷域に達した時だったという。「海から氷に突っ込んでいく瞬間、南極に来たなとすごく感じました。みんな船酔いするんですが、私は大丈夫でした」と話す。

《画像:南極に生息するアデリーペンギン(撮影JARE65奥谷椋一)》

メニューは事前に決めず臨機応変に

昭和基地に到着後約1か月間は調理業務は行わず、しらせで運んできた約1年分の食材約30tを建物内の冷凍庫などに搬入したり、建築など他部門の支援をしたりして、越冬の準備を行った。そして2024年2月1日からは越冬隊員のみが基地に残り、高木さんの“南極料理人”としての日々が始まった。

調理隊員2人の分担方法はその年の隊によって違い、高木さんたちは丸一日、1人で調理する日もあれば、朝と昼夜で分担する日もある変形シフト制を採用し、毎週日曜は2人で調理した。メニューは事前に全く決めなかったという。「全部決めて南極に行く人もいますが、冷凍庫に1年分の食材が入っていていっぱいで。しばらくは手前にある物しか使えないので、その日その日で決めました。半年たって量が減り、食材が棚に収まるようになってからは、作りたいものの材料が見つかるようになりました」

《画像:ケーキを作る高木さん(撮影JARE65松本巧也)》

とんこつラーメンやのっぺ、するてんも

フレンチを主としながらも、首都圏の有名ホテルやレストラン、結婚式場など幅広い調理経験を積んできた高木さんは、南極では和洋中を問わず家庭的なメニューを中心に提供。「朝は和食なら焼き魚にみそ汁、納豆、だし巻き卵など。昼は手軽に食べられる丼や麺類、夜はメインと副菜などしっかりとしたメニューにし、週1、2回は鍋や卓盛り料理などもありました」と話す。

《画像:厨房でラーメンを作る高木さん(左上)ととんこつラーメンなど提供したメニュー(撮影JARE65松本巧也)》

一番好評だったのは「とんこつラーメン」。過去にラーメン店の経験があり、豚骨300kgを持って行った。「そんなに使わないと言われたけれど、むしろ足りなかった。毎回スープをちゃんと取り、本格的に作りました」。また新潟の郷土料理「のっぺ」や上越市高田のソウルフード「するてん」(スルメイカを一夜干しにした塩するめの天ぷら)も振る舞った。食べたことはなかったがインターネットで調べて、「万代シティバスセンターのカレー」も再現。唯一食べたことがあった隊員から、「そうそう、こんな感じ」と言ってもらえたという。

《画像:「のっぺ」(左上)、「バスセンターのカレー」(右下)(撮影JARE65松本巧也)》

メニュー考案より冷凍庫の片付けが大変

隊員たちを飽きさせないよう、リクエスト以外は全く同じものは作らないように心がけたというが、一番大変だったのはメニュー考案よりも「冷凍庫の片付け」と振り返る。昭和基地には途中で食材の補給はないため在庫管理は重要で、片付けは1日がかりだった。冷蔵保存のジャガイモや白菜、キャベツといった野菜類も、傷んだ部分を取り除くなど定期的に手入れをし、11月に購入し南極に搬入したキャベツが翌年の8月まで生で食べられたという。

また6月上旬から約1か月間、一日中太陽が昇らない極夜が続く昭和基地で、夏至を迎えたことを祝う「ミッドウィンターフェスティバル」では、専門のフレンチのフルコースを提供。隊員らはこの日のためだけに南極に持参したスーツを着て、特別なディナーを楽しんだ。

《画像:テーブルセッティングされたミッドウィンターフェスティバルのディナー(撮影JARE65山岡麻奈美)》

オーロラにも慣れる?

「オーロラやペンギン、アザラシもたくさん見ました。オーロラは出ると基地内にアナウンスが流れます。最初はちょっとでも出るとみんな外に出るんですが、慣れてくると『少しくらいなら、いいや』となってましたね」。また65次隊から衛生通信のスターリンクが導入され、基地内のWi-Fiの速度は自宅より速かったという。

《画像:南極に出現したオーロラ(撮影JARE65奥谷椋一)》

「続けることの大切さ伝えたい」

高木さんは「南極ではやったことがないことや難しいこともあって、どんな職種でもいろいろ悩むのですが、私は楽でした。悩まなかったのは料理を32年間ずっと続けてきたおかげだと、つくづく感じました。培ってきたものは全部出せました」と語る。

2024年6月には、自宅が校区内にある上越市立東本町小学校6年生とリアルタイムで交信する「南極教室」も開催。子どもたちに南極や調理業務について紹介した。「南極に限らず、子どもたちには最初からうまくいくことはないので、まずは興味のあることをやってみて、続けることの大切さを伝えたい。学校などで自分の経験を話すことができたら」と語った。

《画像:南極での日々を振り返る高木さん》

高木さんは4月27日にNHKラジオ第一「ちきゅうラジオ( https://www.nhk.jp/p/gr/rs/LR62K9QV6M/episode/re/PK78W1KNY1/ )」(全国放送午後5時5分〜同5時55分)にゲスト出演予定。

*南極の写真はすべて高木さん提供

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