居酒屋のトイレで、若い女性から教えてもらった大切なこと
先日、地元の焼き鳥屋さんで友人たちと飲んでいた時のことだ。
しこたま飲み食いし、飲みホのラストオーダーも過ぎたのでそろそろお開きにしようかと、その前にトイレに行くことにする。
しかしトイレに向かうと、ドアの前で若い女性から突然、こんなことを言われる。
「ごめんなさい、入らないで!」
やや殺気立った、鬼気迫る表情でトイレの入口で通せんぼされてしまった。
しかし言うまでもなく、私が入ろうとしているのは男性用のトイレだ。
それほど大きな店ではないが、男性用・女性用にトイレが分かれており、男性用は大だけでなく小専用のスペースもある。
女性から入らないよう言われたことに加え、こっちは小の用事なのでいったい何なんだとキョトンとする。
しかし私は、いい歳をしたオッサン。
相手は若い女性であり、トイレあたりで揉め事になどなろうものなら、どうひいき目に見てもかなり分が悪い。警察沙汰になどなろうものなら、間違いなく人生が終わる。
そのため何がなんだかわからないままに、とりあえず女性からの“トイレ入室許可”を待つことにした。
態度も技術も最悪
話は変わるが、ウチのトイレがもう半年も調子が悪く困っている。
シャワーのボタンを押してもノズルが途中で止まったり、そもそもボタンを押しても全くの無反応だったり。
かと思えば3回に1回は正常に動くので、修理を呼ぶわけにもいかない。
「ケチケチせずにさっさと修理を呼べばいいやん」
そう思うかもしれないが、30%は正常に動くのなら、修理の人を呼んだら間違いなくその時に限って正確無比に動くのが、マーフィーの法則というものだ。
まして保証書の条件には、こんな事が書いてある。
「保証期間内であっても、故障の状況が再現できなければ出張料を頂きます」
そんなことで困っていたらいよいよ、本格的に動かなくなってきてしまった。
そのためなかばドキドキしながら、修理依頼の電話をかける。
来てくれたのは、見たところまだ20代なかばくらいの若い兄ちゃん。
さっそくトイレを見てもらうと、「洗浄」のボタンを押しても無反応で確実に壊れていることが証明できホッと(?)する。
「動きませんね、しばらくいろいろ試しながら原因を探りますね」
そういうと兄ちゃんは、5分くらい便器の前に座り、ボーッとし始めた。
しばらくの間、そばで待機しながらスマホで仕事の確認などをしていたが、本当に何もしない。
そのためやや時間と空気感を持て余し、その場を離れた。
「2階で仕事をしています。部屋のドアは開けていますので、何かあったら階下から呼んで下さい」
すると10分後、さっそく降りてきてほしいと声が聞こえトイレに向かう。
「自動洗浄もたまに機能していないと仰ってましたが、その時はシャワートイレを使用しましたか?」
「私は手動でフタを閉めてから手動で流すので、わかりません。ただたまに、使用後の状態で流れていないことがあります」
「わかりました、原因を探ってみます」
それからまた10分もすると、また階下から呼ばれこんなことを聞かれる。
「自動でフタが閉まらないことはありますか?」
さらに5分ほどで呼ばれ、質問が続く。
「トイレに入った時、閉まっているフタが自動で開かないことはありますか?」
そのたびに思考が途切れ仕事にならず、細かな質問を繰り返す兄ちゃんにややイラ立ちを感じ始めた。そのため単刀直入に、こんな質問をする。
「故障している箇所の特定が難しいのですか?それとも、原因がわからないのでしょうか」
「いえ、シャワーノズルが故障していることは間違いありません。抵抗値などを測定してるので、それはわかっているんです。しかし、便座に人が座ったときに感知するセンサーが壊れているのかどうかの確信が、持てないのです」
そして、ノズル交換だけで終わらせるか、便座ごと交換するかの判断を迷いいろいろ調べているが、テスターではそれが、どちらとも言えないというようなことを説明した。
そのため、使用状況を聞きながらどこまでの交換をするべきか、判断したいのだという。
(なら、ノズルも便座も交換すればいいのでは…)
一瞬、そんな考えが頭をよぎる。
便座の原価がいくらなのかはわからないが、少なくとも作業に来てくれる作業員さんがまた、保証期間内として短期間の間に出張修理で来て、同じような作業をする人件費はバカにならない。
人手不足の昨今、そもそもすぐに来てくれるかも怪しいだろう。
加えてこの時、私の中にこんな想いが正直、あった。
(延長保証10年の、高い保険料を払ってるねん。怪しいところは全部取り替えろよ…)
そんなイラつきと、保険料支払いで得た“権利”を思いつつどう言うべきかと逡巡する。
その時にふと、一つのことに気がついて冷静になる。
彼は便座の上に素手を置きながら、こちらを見上げ、説明をしていた。
修理の業者さんが来てくれるので当然、トイレの床掃除、便器掃除からトイレマットの洗濯まで、念入りに済ませている。
便座シートも来てくれる直前に張り替え、アルコール消毒など徹底的にしているので、清潔であることは間違いない。
しかしながら、それは自分だけがわかっていることだ。
にもかかわらず、他人の家の便座に両手を置きながら、便器の至近距離に顔を近づけつつ誠実に説明をする若い彼を見下ろしていることに気がつき、ハッとなった。
そのためすぐに同じ目線まで膝をついて、答える。
「それは困りましたね。どんな可能性を想定してて、どんな情報が必要なのでしょう」
すると彼は、おそらくノズルの故障に起因するシーケンス異常の可能性が高いと考えていること。
裏付けを取りたいと、いくつかの事象を確認し、また時間をかけて再現しているのだがよくわからず、確証を得たいという趣旨の説明をする。
それらに全て丁寧に答えると、結果、高額な便座全体の交換は見送り、ノズルの交換だけで済ませると言って、修理を終えた。
その後、帰り支度を済ませた彼にスーパードライ350mlの6本缶を渡す。
「ありがとうございます!ありがたく頂戴します!あ、この後、ご登録のメールアドレスに今日の修理についてのアンケートが来ると思います。怪しいメールではありませんので、ご安心下さい」
「わかりました。態度も技術も最悪だったって、回答しますね(笑)」
「思ったまま回答してくださって構いません!」
“オッサンがやったら犯罪”
話は冒頭の、居酒屋での出来事についてだ。
いったいなぜ、男子トイレの入口で突然、若い女性に通せんぼされてしまったのか。
状況が飲み込めず5分ほど立ち往生していると、男性用トイレから出てきたのは若い女性だった。
一瞬ギョッとするが、私を通せんぼした女性がとっさにこんな事を言う。
「本当に申し訳ございませんでした!さっきまで女子トイレがすごい行列で、彼女、緊急事態だったんです!」
「ご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ございません!本当に失礼しました!」
二人して平謝りするが、その様子から本当にどうしようもなかった緊急事態だったことが窺える。
「私はぜんぜん大丈夫です。しかし入口で門番して下さるなんて、本当にイケてるお友達ですね!カッコよかったですよ(笑)」
そういうとやっと開放してもらえた男子トイレに入り、“小”を済ませると手早く席に戻ってみなと合流し、店を後にした。
このような彼女たちの行為について、否定的な意見も当然あるだろう。
男女が逆だったら犯罪だとか、オッサンがやったら間違いなく通報されるというような意見も、もちろん理解できる。
しかしそれでもどこか、彼女たちの緊急避難術や友達想いの“門番”に、爽やかさすら覚えた。
きっとそれは、自分の「権利」を譲歩し、誰かの役に立てた実感があったからなのだろう。
友達のためにリスクを負い体を張っている若い女性にも、共感できたのかもしれない。
そして話は、トイレ修理に来てくれた若者についてだ。
もちろんあの時、10年保証の権利として怪しい場所は全取っ替えしろと、非協力的な態度も取ることはできた。
便座ごと新品になったほうが得だという考え方だって、ありえないわけではない。
しかしそのように、一人ひとりが自身の権利ばかりを声高に主張して過大な要求を通したら、何が起こるか。
保険料はどんどん上がり、結果として次回から間違いなく、自分の首が締まることになる。
利益が圧迫された結果、そういった業界で働こうという若者も、当然少なくなっていく。
そしてこのような現象こそ、例えば今の、社会保険料高騰の原因のひとつなのだろう。
保険料を納めたからと権利ばかりを主張し、些細なことで通院を繰り返すリタイア層の人が多くなれば、人口構造的に今の仕組みがもつわけなどない。
同様に、食べ放題のお店だからといって食べきれないほどの食材を盛り、食べ残すようなことをしていれば飲食代が引き上げられ、結果自分の首が締まることになる。
利己的な人が増えれば増えるほど、社会全体が貧しくなるという負の連鎖が起きるということだ。
私達はもう少しだけ、“権利”というものについて、抑制的になる必要があるのではないのか。
もうほんの少しだけ、人のために権利を譲歩する意識を持ってもいいのではないのか。
そんなことを考えさせてもらった居酒屋と、トイレ修理の若者との出来事だった。
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【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など
今回は気持ちよくトイレを譲れましたが、もし私が”大”で切羽詰まってたら、半狂乱になってたかもしれません…。
どんなことでも、人には余裕が大事です汗
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