ご飯づくりに、洗濯に──「家事」の短歌が映し出すものは? (歌人・荻原裕幸)【NHK短歌】
「NHK短歌」テキストより、短歌の魅力についての解説をご紹介
2025年度『NHK短歌』の講座「短歌は時代の波に乗って」では、荻原裕幸(おぎはら・ひろゆき)さんが講師を務めています。
長い歳月を経ても人の心を揺さぶる名歌がある一方で、短歌は時代とともに大きく変化してきました。時代ごとに求められる表現、許される表現があるのではないか、と荻原さんはいいます。
今回は10月号より、「家事」をテーマにした短歌をご紹介します。身近な「家事」に映し出される時代の空気や作者の心情を、読み解いていきましょう。
家事はあなたを映す鏡
短歌は時代の波に乗って
短歌において「家事」は、少しばかり厄介な歴史のあるテーマです。と言うのも、家事は女性のするものだという社会の風潮が、長く、短歌にも根付いていて、出産後の育児をのぞけば、テーマとして扱うに足りない些事だとさえみなされて来ました。家事は家族でシェアするもの、という令和の感覚からは信じられないような、さまざまな偏向があったのです。現在もまだそのなごりはあって、家事の短歌は、どこか男性と女性とを対立させる要因ともなりますけど、その反面、他のテーマ以上に、人間観や家族観、またジェンダー観を反映させ、あなたの心までをも映す鏡のような効果があるようです。映ってしまうことを怖れず、家事の短歌を楽しんで書いてみましょう。
すなどけいおちていくのをさいごまでみていたご飯の支度しなくちゃ
本田瑞穂(ほんだ・みずほ)『すばらしい日々』
上句がすべて平仮名で書かれているのは、砂時計の砂粒を連想させて面白いですね。あの砂の動きを最後まで見ているのは、私も好きなのですけど、ここではそうした好き嫌いから来る行動を言っているのではなく、何もすることのないまま、無為に過ぎてゆく時間を象徴的に表現しているのだと思います。この人が担う「ご飯の支度」は、それなりの負担をともなうはずです。ただ、ここでは、それを負担とは感じていないようですし、むしろ、家族のために食事の準備をすることで、この人の、一日の生活の時間の流れが整っている印象があります。不思議ですね。
青天に妻のパンツを干しおれば宅配ピザの男と目があう
染野太朗(そめの・たろう)『あの日の海』
この「パンツ」は、いわゆるズボンではなく、下着のことなのだろうと思います。読むと何か少し笑ってしまうような場面ですけど、洗濯したパンツを干す夫も、ピザの配達人の男性も、どこか気まずい感じだったのかも知れないですね。そう思わせる背景には、夫が洗濯をして妻の下着を干す、という行為が、ごくふつうだとは認識されていない事情があります。二〇一一年に、この一首が収録された歌集は刊行されています。書かれたのはたぶんその数年前でしょう。地域にもよるのでしょうけど、そのときそこでは、目があって一瞬、空気がかたまったようです。
一日中そばにいるのも嫌な日は遠くに干せり夫の下着を
浅井美也子(あさい・みやこ)『つばさの折り目』
もう一首、洗濯の作品です。そして同じく下着を干す場面です。男女差なのか、個人差なのか、こちらはかなり自然な印象があります。それはともかくも、何か意見の食い違いがあったか、または喧嘩の最中なんでしょうかね。あからさまな嫌悪感や拒絶感が見えますので、後者だと読むのが妥当な気がします。それにしても、ものすごい怒りが感じられるのですけど、そのわりには、遠くに干す程度の優しい対応で、他人の家庭のことながらほっとします。洗濯しないとか、下着を捨ててしまったとか、その他。怖いエピソードじゃなくてよかった。
思いきり駆けまわることできる床買ってやるから待ってろルンバ
寺井奈緒美(てらい・なおみ)『生活フォーエバー』
何だか複雑な心情ですね。掃除が苦手とか嫌いとかっていう話はよくわかります。私も大の苦手です。あるいは掃除のための時間がさけないというのもわかります。そんな理由で、掃除をしてくれるロボットを買った話は何件か聞いたことがあるのですけど、この人のケースは異次元にありますね。ルンバという掃除をしてくれるロボットの生き甲斐(?)のために、広い床のある家を準備しようというわけですから。優しい、と言うか、本末転倒、と言った方がいいでしょうか。この人自身も掃除が好きなのかな。この家のお掃除ロボットは幸せですね。
恋と愛の違いは終わりのあるなしと子に答えたり眠りのきわに
富田睦子(とみた・むつこ)『風と雲雀』
子育ても広い意味での家事に含まれます。この一首に登場する「子」は、内容からして思春期の入口に近いのでしょう。ただ、鑑賞するには、性別を知りたくなりますね。収録された歌集では、ところどころ「子」だったり「娘」だったりしています。子の真摯な質問に、親はどう答えていいのか迷います。恋と愛の違いなんて、わたしにもよくわからない、と言いたいのを抑えて、どうにか就寝前に、子に伝えるべき妥当な答にたどり着くことができたようです。子の質問はとても愛らしいのですけど、親の答もとても愛らしいものでしたね。
最後に自作を。家のなかが少しけぶって、皿を大きくはみ出した秋刀魚の尾は、違う世界に届きそうでした。
まだ誰もゐないテーブルこの世から少しはみ出て秋刀魚が並ぶ
荻原裕幸『リリカル・アンドロイド』
「NHK短歌」テキスト10月号では放送テーマのほかに、テキスト企画「どっちをよむ? 読書とスポーツ」や、読者の短歌を添削する「誌上添削教室」など、短歌を楽しむ企画や連載をたっぷりお届けしています。
荻原裕幸(おぎはら・ひろゆき)
1962年名古屋市生まれ。歌人。歌誌「短歌ホリック」発行人。東桜歌会主宰。大名古屋歌会企画運営。現代短歌社賞選考委員。短歌研究新人賞。名古屋市芸術奨励賞受賞。歌集に『青年霊歌』『あるまじろん』『リリカル・アンドロイド』(中日短歌大賞)『永遠よりも少し短い日常』など。
◆『NHK短歌』2025年10月号「短歌は時代の波に乗って」より一部抜粋
◆文 荻原裕幸
◆トップ写真:イメージマート