駅前の超一等地で至福のかつ丼が味わえるありがたさ。有楽町『とんかつ あけぼの』<前編>【街の昭和を食べ歩く】
文筆家・ノンフィクション作家のフリート横田が、ある店のある味にフォーカスし、そのメニューが生まれた背景や街の歴史もとらえる「街の昭和を食べ歩く」。第6回は戦後、東京五輪や都庁移転など表情を変えていった街・有楽町の『とんかつ あけぼの』で、「すしや横丁」時代から変わらぬ味わいの【かつ丼】を。前編では、その味わいとすしや横丁時代のエピソードにフォーカスします。
「東京交通会館」の地下にその店はある
値段が安くてどうの、という話はあまり好きでないほうなのだが、ここは言うほかない。あまりにも良心的価格なのだ……。有楽町駅の真ん前、この超一等地で、かつ丼が、1000円。
この値段でありながら丁寧なお仕事、肉自体のうまさ、もう、完全無欠のかつ丼と言っていい。
「肉はね、叩けば柔らかくなりますよ、でもうちは叩かないです」
そういって、肉よりも柔らかい笑顔を見せる『とんかつ あけぼの』の店主、中村文造さん。肉質に自信があるからこその言葉だ。
店は「東京交通会館」の地下にある。先代以来の安心の業者さんから仕入れる良質の国産豚肉は、筋をしっかりと切って下処理され、あらびきの生パン粉をまとわせてから、中村さんの手によって手早く高温のラードのなかに投じられる。しばらくして、絶妙のタイミングで肉をひきあげると、ただちに小鍋に移し、たれと卵でとじ、釜炊きの国産米をたんと盛った丼の上にすべりのせて完成。
堅実な材料を、流れるような所作で一品に仕上げていく過程を見守っているだけで、猛烈な空腹に襲われる。これも、調理場を囲むように配置されたカウンター席のみの店だからこその風景である。
煮干しだしのみそ汁、自家製漬物とともに目の前に運ばれてきたドンブリ。おもむろに抱えて、無心にかきこむときのこの至福。肉のやわらかさ、甘さ、タレのキレと香り、卵のとろけ具合、米のふっくらさ。途中でみそ汁をズズ、漬物をかじる。喜びが一斉に我が身を襲う。
山手線の駅前に『あけぼの』が健在でいてくれるありがたさ
かつてはこうした誠実な仕事をされる個人店がたくさんあった。しかし今や、庶民の味方をしてくれる安くておいしい小さな店は、都心からずいぶん減ってしまった。そんななか、山手線の駅前にこの店が健在でいてくれるありがたさ。
店のある一角のたたずまいもいい。
各県の物産店が多い交通会館で、店のある地下街は、細い通路を挟むように小さな飲食店が並び、どこか昭和の飲み屋横丁風なのだ。それもそのはず。戦後由来の横丁がビル化されるのと同じような経緯で、いくつかの店はこのビルに入居したのである。戦後まもなく、変わった名前の横丁が、この地にあった。
「父が昭和37年に、『すし横』で店をはじめたんですよ。そのときは食堂でした」
中村さんが言う「すし横」とは、通称「すしや横丁」と呼ばれた飲食街の略称である。有楽町駅の線路の目の前に、バラック建ての小さな店が並ぶ一角があったのだ。
ワイルドすぎる「すしや横丁」時代のエピソード
「父に『すし横』時代の話を聞いたら、すごい時代ですよね(笑)。有楽町駅前の側溝はタバコの吸い殻だらけ。何より、そのころは店でタバコを吸っても、床に吸い殻をそのまま捨てる時代でしたからね」
床でタバコを踏み消すスタイルの店は、おもに立ち飲みの酒場などで、10年くらい前まではまだ見かけたが、現在はほとんど見ない。酒場が男ばかりで、しかも成人男性の多くが喫煙者だった昭和戦後期、灰皿なんて間に合わず、床に直接吸い殻を投げ捨てた。積もってくると、ときどき箒と塵取りでサーっと片付けるわけだ。……ワイルドすぎる。
この「すし横」は、『あけぼの』の創業から遡(さかのぼ)ること十余年、ワイルドの極みと言っていい時代、混沌の終戦直後に生まれている。
その時期の有楽町駅前について、そして変わりゆく街で変わらぬ味を提供し続ける『あけぼの』店主の思いについて、後編で記していく。
とんかつ あけぼの
住所:東京都千代田区有楽町2-10-1 東京交通会館B1 /営業時間:11:00~15:00ごろ※米がなくなり次第終了・17:30~20:00(土・祝は11:00~15:30)/定休日:日(土は不定)/アクセス:JR・地下鉄有楽町駅から徒歩2分
取材・文・撮影=フリート横田
フリート横田
文筆家、路地徘徊家
戦後~高度成長期の古老の昔話を求めて街を徘徊。昭和や盛り場にまつわるエッセイやコラムを雑誌やウェブメディアで連載。近著は『新宿をつくった男』(毎日新聞出版)。