平成ぎゃるそん ④ ひとりぼっちの鈴木あみ!時代の狭間に登場した小室ブーム最後の覇者
平成ぎゃるそん(平成ギャルSONG)vol.4
alone in my room / 鈴木あみ
作詞:小室哲哉+MARC
作曲:小室哲哉
編曲:小室哲哉
発売:1998年9月17日
宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、MISIA、椎名林檎、aikoがデビューした1998年
Windows 98とiMacが発売され、一気に世の中のデジタル化が加速した1998年は数々の「最強女子」が登場していた。
映画では『タイタニック』のケイト・ウィンスレット演じるローズ、CMでは「なっちゃん」の田中麗奈、バラエティーでは “だっちゅーの!” と胸の谷間を強調したパイレーツ。ドラマでは『神様、もう少しだけ』で深田恭子がHIVに感染するJK(女子高生)を演じ大ブレイクした。しかし、J-POP界はもっとすごい!この年デビューの面々を見よ。
宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、MISIA、椎名林檎、aiko ーー
まるで神様が歌姫を一気に召喚させたかのようではないか。そしてその中に、ちょっと異質な輝きを持った女の子もデビューしていた。
ーー 鈴木あみである。
「love the island」でデビュー、次々と快進撃見せる鈴木あみ
鈴木あみのデビューのきっかけは『ASAYAN』(テレビ東京系)のオーディション。1995年頃から注目を浴びていたこの番組の影響で、アイドルも視聴者が育てる楽しみを共有する “たまごっち化” が進んでいた。ハイスペック(才能)を持つ “選ばれし者” だけでなく、“歌いたい、アイドルになりたいというパワー” を漲らせる勇者がトップを目指し、夢を実現させていたのだ。
彼女は1998年2月「ボーカリストオーディションファイナル」の最終電話投票審査で、304万140票中80万2,157票を集め、小室哲哉プロデュースでのデビューを勝ち取った。当時番組を見ていて “うわカワイイ!” とびっくりしたものだ。小動物みたいにキョロキョロと輝く瞳を動かし、笑顔が文字通りはじけていた女の子。普通っぽいけど生命力がスペシャル!
その5か月後にはもう「love the island」でデビュー、オリコン5位というスマッシュヒットを飛ばし、次々と快進撃を見せるのである。
時代の持つ浮遊感と寂しさを代弁
私も鈴木あみの歌が大好きだった。魅力は “ぼっち感" だ。時代の中心で輝きながら、こんなに “アウェイ” かつ “alone(ひとり)” を感じる人はいない。孤高というより、“頼もしいぼっち" だ。どのシングルも、時折ふっと入ってくるワンフレーズがたまらなく、時代の持つ浮遊感と寂しさを代弁してくれる。
楽しいかもね そういう1人も
こういう場所もわるくないね
そろそろそばに 誰かよりそって!
しかも、彼女はどんな高いキーでも、意地でも裏声を使わない生々しいド根性を見せてくる。うまく歌おうというより、生命力を全部声に乗せる感じ。ときには聴いているこちらが “クーッ!” と喉を抑えたくなるような部分もあるけれど、その苦しいほどに上を目指すド根性と、独り言のように呟く低いトーンの歌声のギャップに、“普通の女の子の意地” を感じずにはいられなかった。
大ヒットを記録した7枚目のシングル「BE TOGETHER」は、同じASAYAN出身のモーニング娘。6枚目のシングル「ふるさと」と発売時期が重なり、ランキング争いをする企画で見事勝利している。ただ、勝ち負けとは別に、彼女がモーニング娘。と並ぶ絵面を見て、鈴木あみが “ひとり” であることをより感じたものである。
ヒットを飛ばし続けた鈴木あみの “リアル” とは?
しかし時代は少しずつ変わっていく。
冒頭で、1998年は “まるで神様が歌姫を一気に召喚させたかのような年” と書いたが、それはつまり、ライバルが増えるということ。小室ファミリーの独壇場ではなくなっていく年、ということなのである。
1999年に入ると、モーニング娘。は7枚目のシングル「LOVEマシーン」でメガヒットを飛ばし、つんく♂ファミリーがアイドル界を牽引していくようになる。同じく前年デビューした宇多田ヒカルが大ブレイクを果たす。さらに浜崎あゆみが “居場所のなさ" を歌って共感を呼び、こちらも1999年大ブレイク。さらにファッションリーダーとしての役目を果たし、新たなギャルのカリスマになっていくのである。
鈴木あみもヒットを飛ばし続けたけれど、共感、憧れ、というより “前のめりなのに、どこかブームを俯瞰で見る女の子" の “リアル” がずっと漂っていた。ギャルの価値がモンスターのように歪みながら膨らんでいったあの時代、小室哲哉から “alone(ぼっち)代表” の称号をもらったような、彼女の歌は難解だ。野心と弱気が螺旋のように巡り、不安定に聴こえる曲も多い。けれど、だからこそ彼女は、世紀末と新世紀の “変換期” にたたずむ “普通の女の子” のアイコンとして輝いたのではないかな、とも思うのだ。
*UPDATE:2023/3/2