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【TJ調査隊】今年の高田城址公園観桜会は第100回 大正時代の第1回の様子は? 「三大夜桜」は戦後からか

上越タウンジャーナル

今年100回目を迎えた新潟県上越市の「第100回高田城址公園観桜会」。開幕から10日目の2025年4月6日にようやく桜が開花し、会場は花見客でにぎわっているが、1926年(大正15年)の第1回ではどんな催しがあったのだろうか。

《画像:絵図「北日本第一桜の名所高田市」(上越市公文書センター所蔵)》

上記の写真は、第1回観桜会が開かれた同じ年の4月1日に発行された「高田名勝図絵」に収録されている絵図「北日本第一桜の名所高田市」だ。高田城址に咲き誇る桜が描かれている。

高田城址公園の桜は、誘致運動の末に高田城の城跡に陸軍第13師団が設置されたことを祝い、1909年(明治42年)に在郷軍人会が兵営地に約2000本の桜を植樹したのが始まりとされている。数年後には花が奇麗に咲くようになり、1917年(大正6年)からは花見で市民が兵営地に入ることが許された。1926年(大正15年)には高田商工会と高田実業連合会、高田各宗教連合が主催して「花見会」(4月15〜24日)が開かれ、これが現在まで続く観桜会の第1回に当たる。

《画像:大正末期〜昭和初期と思われる観桜会の絵はがき。ぼんぼりや内堀の貸しボート、偕行社が写っている(同)》

10日間で14万1300人来場

高田日報(1926年4月14日付)によると、花見会で行われた催しは次の通り。


•名物花見踊り、スキー踊り(ひょうたん池奥の舞台)
•郷土芸術民謡大会(同)
•花祭(市内渡御や偕行社)
•全国優良農具展覧会(高田農学校)
•全国競走大会(オートバイ、自動車など 練兵場)
•春光会絵画展覧会(高田市役所)
•木工漆工展覧会(同)
•邦楽大演奏会(大漁座)
•全市連合花見大売出し
•県社榊神社50年祭(榊神社)
•農業美術展覧会(高田農学校)
•招魂祭(陸軍第15旅団行事)
•独立山砲隊記念祭(同)
•歩兵隊軍旗祭(同)

翌日以降、高田日報は花見会の盛況ぶりを連日伝えている。

現在の小林古径記念美術館の場所にあった将校の集会所「偕行社」付近には茶屋や飲食店のテントがあちこちに設置され(14日付)、六分咲きとなった19日には“潮のように人が押し寄せた”(20日付)という。翌20日には満開になり、“桜は正に満開 人は花下に群集し 偕行社付近爪もたたず”の見出しで紹介し、人でごった返す花見会場の写真を掲載(21日付)している。各種催しもにぎわい、中田原の練兵場で行われたオートバイ競走大会には3000人が来場し(21日付)、松本から飛行機も飛来した(19日付)。花見会には10日間で14万1300人が来場した(28日付)と伝えている。

一方で、“お花見の総決算”と題した記事(28日付)には、“人の出た割に銭箱が軽かった”の見出しが踊り、「花見で泊りがけの客はなかった」「料理屋に大した影響はない」「金づかいがこまかい」といったホテルや飲食店のコメントを紹介している。財布が膨らんだのは貸しボート屋、たばこ屋、たい焼き屋などとも記している。

「三大夜桜」のルーツ「三夜景」も第1回から

上越市公文書センターが2018年に市立高田図書館で開催した所蔵資料出前展示などによると、高田名物の夜桜は、第1回花見会より2年早く1924年(大正13年)に呉服町(現本町3) の有志が偕行社の庭内と榊神社前に、放電による初期の電灯であるアーク灯を設置したのが始まり。1925年(大正14年)には司令部通りから偕行社までの道路や偕行社の庭内にぼんぼりがともされ、翌年の第1回花見会でもともされた。

《画像:大正末期〜昭和初期制作と思われる夜桜の絵はがき(同)》

当時の川合直次高田市長は高田日報(1926年4月28日付)に花見会の感想を寄せ、「夜桜と言へばただちに篝火(かがりび)の祇園を連想するが雪洞(ぼんぼり)の高田はその規模といいその環境といい遥かに祇園をしのいでいる。長良川の鵜飼(うかい)、厳島の燈籠(とうろう)とまず日本の三夜景と称してよかろう」と語っている。

川合市長が述べた「日本三夜景」は、その後高田の夜桜のPRに使われるようになった。1927年(昭和2年)に設立され、翌年から観桜会を主催した高田市保勝会(のちに高田観光協会に改称)が作成した絵はがきには、「日本三夜景」の文字が印刷されている。

《画像:宛名面 (右)に「日本三夜景」と記された絵はがき(1927〜1932年頃作成と推定)》

「三大夜桜」は戦後からか

現在よく語られる「日本三大夜桜」は戦後になって使われ始めたとみられている。地元の文化自由新聞は「全国三夜桜の一つにまで数えられ」(1947年4月6日付)と記している。しかし、1970年の高田市市政要覧には「日本三夜景」、1985年に発行された上越市立中学校の社会科副読本「わが郷土上越」では「日本三大夜景」と「日本三大夜桜」が混在しており、後年になって日本三大夜桜が主流になったと思われる。観桜会のポスターに日本三大夜桜が初めて使われたのは2002年だった。

高田以外の2か所も夜景から夜桜になったことで「京都の円山公園と長崎の丸山公園」(小林金太郎著「わがまち上越」1978年)になり、現在は「青森の弘前公園と東京の上野恩賜公園」とされている。

《画像:2002年の観桜会ポスター。当時の名称は「高田城百万人観桜会」》

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