地域からの恩恵に自覚的でいたい。5周年を迎えたドット道東が辿り着いた「ローカル事務局」という役割
住むと決めた場所で楽しく生きたい。そんな想いを実現するために、北海道の東側にあたる道東エリアで設立された一般社団法人『ドット道東』。2019年の設立以降、日本全国で活躍するプレイヤーを道東に招くイベントや、クラウドファンディングで340万円もの支援を集めたガイドブックの制作、地域の企業や自治体と提携した求人情報メディアの運営など、多くの人を巻き込みながら次々と事業を展開しています。
ドット道東はいかにして誕生し、これからどこへ向かっていくのか。5周年という節目のタイミングで、設立メンバーである中西拓郎さんと野澤一盛さんにお話を伺いました。
中西拓郎
1988年生まれ、北海道北見市出身。一般社団法人ドット道東・代表理事。2012年北見市にUターン。フリーランスとしてローカルメディア運営・編集・プロデュースなど幅広く道東を繋ぐ仕事を手掛ける。2019年5月、「理想を実現できる道東にする」をビジョンに掲げ、北海道の東側・道東地域を拠点に活動するソーシャルベンチャー・一般社団法人ドット道東を設立し、現職。
野澤一盛
1988年、京都府京都市生まれ。大学卒業後、2011年ソフトバンク(株)に入社。入社早々、札幌に転勤し北海道生活をスタートしIT流通の法人営業に5年間従事。2016年転職を機に十勝に拠点を移し、農業分野の人材エージェント、採用PR、移住支援事業の北海道支店立ち上げを担う。十勝に来てから始めたブログをきっかけに、地域情報に関する執筆、写真動画撮影、インターンコーディネーター、など副業をはじめ、2020年にドット道東専任に。
「助けてほしい」という呼びかけから始まったドット道東
――ドット道東の設立5周年おめでとうございます。今回は、改めてこれまでの歩みを振り返りつつ、活動を通してのお二人の変化や、今後の展望などについて伺えたらと思います。よろしくお願いします。
中西・野澤:よろしくお願いします。
――では、はじめに立ち上げまでの経緯を聞かせてください。ドット道東は、どのようにして誕生したのでしょうか?
中西:ドット道東の創業メンバーと初めて一緒にやったのは、2018年3月に開催した『道東誘致大作戦』というイベントでした。当時、僕は北見で『1988』という雑誌を作っていたんですけど、ジモコロというWEBメディアの編集長をしていた徳谷柿次郎さんが知り合いを連れて道東に来ることになって。SNSでのやり取りから、全国各地で活躍するクリエイターや経営者の方々を案内をすることになったんです。
なので「みんなで一緒にイベントを企画しよう!」という流れではなく、「すごい人たちが来ちゃう!一人じゃ無理だから助けて!」って感じで周りの人に声をかけたのが始まりだったんですよね(笑)。
中西:そのときに声をかけたのが釧路や十勝で活動していた人たちで、僕が暮らしているオホーツクも含め、クラウドファンディングで一番支援金が集まった地域にゲストを呼ぶことになったんです。
野澤:そのクラファンが始まったのを、僕はSNSで見ていました。当時、僕は十勝で農業の求人サイトの仕事をしていて、(中西)拓郎をはじめ、イベントを企画していたメンバーのことは全員知っていたんです。
そしたらすぐに企画メンバーのひとりから「クラファンで十勝のPRを手伝ってほしい」という連絡をもらって。僕としては面白そうな企画だから関わりたいと思っていたので、「よっしゃ!」という気持ちで手伝うことにしました。
――どんなところに惹かれて、この企画に関わりたいと思ったんですか?
野澤:当時、僕はゲストの方を誰も知らなかったんです。なので、「誰を誘致するんだろう」と思ったのを、すごく鮮明に覚えています。だけど、SNSの反応を見ていたら、すごい人たちなんだというのがわかってきて。これは関わっておいたほうがいいなと思ったんですよね(笑)。最初は本当にそんな感じでした。そこからは、拓郎たちがイベントを開催するたびに手伝いに行くようになりました。
中西:『道東誘致大作戦』は単発のイベントのつもりだったんですけど、けっこう反響が大きくて、企画メンバーで他所のイベントに呼んでもらったり、仕事の相談も受けるようになったんですよね。ただ、個人事業主の集まりだったので、やりにくさもあって。企画メンバーの4人で話し合った結果、受け皿となる組織を作ろうということになったんです。時期としては創業の着想は2018年11月頃で、野澤含めみんなに伝えたのが2019年の1月だったかな。
――その4人のなかに野澤さんはいなかったわけですよね。
野澤:そうですね。僕はよくイベントの手伝いをしに行ってたんですけど、打ち合わせとかには入っていなくて。自分的には4.5人目くらいのメンバーのつもりでした。
中西:そうやってイベントごとに手伝ってくれる仲間が何人かいたので、組織を作るにあたって、一度みんなに聞いてみたんです。「道東の受け皿を作って、いろんなことをやっていこうと思っているんだけど関わりたい人いますか?」って。そのときにシゲ(野澤一盛)が、がっちりコミットしたいって言ってくれたんですよね。
野澤:僕だけな(笑)。「一般社団法人を作るんだけど、ボードメンバーとしてやりたい人いる?」って聞かれて、即答で「入ります」って言いました。
中西:それでシゲを含めた5人で、立ち上げたのがドット道東だったんです。とはいえ、常に仕事があるわけではなかったので、それぞれ個人の仕事を続けながら、ドット道東で受けた仕事は協力してやるみたいな感じの動き方でしたね。
野澤:別に毎日ミーティングをするとか、定額で給料をもらうとかではなく、僕は会社員をしながらプロジェクトごとに動くみたいな感じでしたね。ドット道東でちゃんと給料をもらうようになったのは、『.doto』(ドット道東が制作した道東のアンオフィシャルガイドブック)を出してからだったと思います。
得意なことが未経験から見つけられる余白
――「道東のアンオフィシャルガイドブック」と銘打って制作された『.doto』は、クラウドファンディングで340万円の支援を集め、日本地域コンテンツ大賞で地方創生部門最優秀賞を受賞するなど、大きな話題になりましたね。
中西:『.doto』は、メンバーそれぞれがオホーツク、十勝、釧路でやってきたことの総決算のつもりで作りました。自分たちが築いてきた地域との関係性をアンオフィシャルガイドブックという形で発表することで、僕ら自身のことも、ドット道東という組織のことも知ってもらえるんじゃないかと思って。
制作費を集めるためのクラファンでは、「制作のお手伝い」というリターンに対して48人もの方がご支援くださったんですよ。その結果、自分たちだけでなくみんなで作った一冊になりました。そうした取り組みについて、テレビをはじめとする多くのメディアでも取り上げていただき、一気に活動が広がっていったんです。
――それは狙い通りだったんですか?
中西:そうなってほしいとは思っていましたけど、実際には想像以上でしたね。道東誘致作戦のときは、「面白い人が来て、面白い人と会えば、面白いことが起こるだろう」くらいの感覚だったんです。そこにどんな意義があるかってことよりも、ゲストを連れ回して道東の人と会ってもらうことが1番大事だと考えていました。それが僕らの自己紹介にもなると思っていたので。ガイドブックも一緒で、僕らが好きな人たちを知ってもらったり、繋がっていくきっかけになればいいなと思って制作しました。
野澤:僕、ドット道東に入って最初の2年間くらいは、ずっと「ここにいていいんかな」って思ってたんですよ。そもそもクリエイティブと呼ばれる仕事の経験がなくて、自分に何ができるのかわからなくて。
「ヒアリングしてきて」って言われても何を聞いてきたらいいのかわからないし、「ディレクションってどうしたらいいの?」みたいな状態でした。拓郎のように雑誌を作った経験もないし、クリエイティブの実績もないなかで、「自分の存在価値ってどこにあるんだろう」と考えていたんですよね。
――クリエイティブな仕事が多い組織のなかで、自分のポジションを見つけられなかったんですね。
野澤:そうなんですよ。だから、振込とか発送とか、誰でもできることで、みんながやらなくていい業務を全部引き受けていました。そうすることで、自分の立場を得ようと思っていたんです。
中西:シゲはそういう不安をこぼしたりもしていましたけど、周りはそんなこと思ってなかったですね。イベントの仕切りでも活躍してたし、「道東のプロマネ」って呼ばれていたこともあったし。きっと本人が思っているよりも、周りの人は高く評価していたと思います。
――「ここにいていいんかな」という気持ちは、どのように払拭されたのでしょうか?
野澤:何か大きなきっかけがあっただけじゃないんですけど、少しずつ自分でクロージングできる仕事が増えてきて、気持ちは変化していきましたね。企業のリクルートをお手伝いする仕事などは、前職でやっていた業務との共通点があったので、数少ない自分の得意分野だと思えました。そうやって自分が得意なことが見えてきてからは、「ここにいていいんかな」と不安に思うことはなくなりましたね。
中西:さっき「誰でもできることを引き受ける」って話してましたけど、それってすごく重要なことだと思うんですよ。その分野のプロフェッショナルじゃないけどやってみる。それを周りの人に認められることで自信に繋がり、気づけば自分のポジションができていることってあるじゃないですか。ドット道東に関わってくれた方のなかには、そうやって自己実現していった人がたくさんいるんですよね。
それって、ガチガチのプロフェッショナル集団だったら難しいと思うんですけど、僕らはDIYでやっているからトライできる余白があって。むしろ、「やったことないけど、やってみよう」と思う人を求めています。
――ガイドブックも雑誌作りのプロだけを集めて作ったわけじゃないですもんね。
中西:制作のお手伝いを支援してくれた人は、ほとんどが雑誌作り未経験でした。だけど、校正をお願いしたら、めちゃくちゃ上手な方がいたりして。未経験なことって、得意も不得意もわからないじゃないですか。だから自己認知できないけど、やってみたら得意で、それが周りから認めれられて、自分でも思わぬ特技やポジションができていく。これって、けっこう重要な示唆だと思うんですよね。
「自分は何もできない」と思っていても、できることをやってみることで、コミュニティにおける存在価値が高まっていく。ドット道東のなかでは、そういうことがよく起こるんですよね。
――それはきっとオープンで、関わりしろが大きかったからこそ、生まれた現象ですよね。
中西:そうですね。土地にも、ポジションにも、余白がめっちゃあるみたいな。それは道東の面白いところだと思います。
――5人でスタートしたドット道東は、メンバーの入れ替わりもありながら、現在はボードメンバーが9人になっています。採用は、どのように行われているのでしょう?
中西:リファラル採用というか、繋がりのある人たちが入ってきてくれています。「こういう職種の人を募集してます」ではなくて、イベントで出会ってインターンとしてSNSの運用を手伝ってもらっていた人が、そのままボードメンバーになるみたいな。
野澤:リクルーティングというより、お互いに歩み寄っていく感じですね。ドット道東に興味を持ってくれる人がいて、僕らも関わってもらいたいと思っているという。
中西:もちろん事業を拡大していくために人が必要というのもあるんですけど、それだけじゃなくて繋がりのなかで自分たちの食い扶持を作っていきたいと思っているんですよね。それが企業として正しい姿勢なのかはわからないですけど。
――「これを実現したいから、こんな人を探そう」という進め方ではないんですね。
中西:ドット道東は「理想を実現できる道東にする」というビジョンを掲げています。それなのに働いているメンバーが個々の理想を実現できなかったら、会社の姿勢としておかしいじゃないですか。ビジョンが嘘になっちゃうので。だから、僕らも自分たちの理想を追い求めることは大事にしています。
もともと個人事業主の集まりだった僕らには、「個人じゃできなかったけど、ドット道東という組織を作ったら想像以上のことができた」という共通の体験があって。そこで大切だったのは、個々のスキルよりも、集まって協力したことだと思うんですよね。だから、一緒に働く人もスキルや経験値で選ぶのではなく、協力して理想を目指せる人であってほしいと思っています。それぞれのやりたいことを実現する、あるいは実現しやすい地域や風土を作る。僕らが事業としてやっているのは、そういうことなんです。
広域連携を進める「地域の事務局」
――「個々の理想を実現する」と「それができる地域にする」を叶えるために、個人と地域はどのような関係であることが大切だと思いますか?
中西:いくら味が自慢のお店でも、お客さんが来てくれるのって、少なからず町からの恩恵を受けてると思うんですよ。例えば、札幌は人口が多いし、観光客もたくさん来ます。人口数千人の町と比べたら圧倒的に人の流れが多くて、お客さんに来てもらえる可能性は高いですよね。
それを里山に喩えると、木の実やキノコがたくさん取れる環境だと思うんです。だからといって、一方的に取るだけなのは搾取じゃないですか。環境の恩恵を受けているからには、豊かな自然を守り、木の実やキノコが増えていくための努力をすべきだと思うんですよね。
――ひたすら恩恵を受けるだけで、その環境を守ることに無頓着というのは、あまりに一方的な関係ですよね。
中西:そうそう。個人の努力によってお客さんが増えていくのは素晴らしいけれど、周りの環境からも恩恵を受けていることを自覚して、自分からも関与していくべきだと思うんです。そこに対して無関心だったり、「自分は関係ない」という姿勢でいてほしくないというか。
「その地域を維持したり、魅力的にしていくリソースって、誰が負担するの?」って話じゃないですか。もちろん税金によって負担される部分もありますけど、地域から恩恵に対して自覚的になると、もっと自分たちが暮らす環境をよくしていくためのアプローチが増えていくと思うんですよ。そういう余地ってまだまだたくさんあるし、それを積み重ねていくのが個人と地域の理想的な関係じゃないかなと考えています。
野澤:地域によっては、「うちの町には何もないとか」とか「自分の会社は面白くない」と言う人もいるんですよ。だけど、どこの町にも会社にも面白いところはあって、僕らはそれを見つけるのが得意だし、いろんなクリエイターと連携して魅力を伝えることができると思っています。
道東で、誰よりもそれができるのは自分たちだと自負しているので、積極的に自治体や地域企業の仕事をしています。ドット道東の関係性やリソースを使ってもらって、地域に人が増えたり、産業が盛り上がっていくための手伝いをしていきたいですね。
中西:ちょっとした意識の変化でイノベーションが起こせることってあると思うんです。地域の資源を見つけることはシビックプライドを醸成してくれるし、扱う商品のオリジナリティに気づければ企業への当事者意識や仕事に対するモチベーションは上がるじゃないですか。そういう意識の変化は、着実に人の行動を変えると思っています。
――地域や会社のことが自分事になっていくと、自ずと活動にも熱が入りますもんね。
――クリエイティブの仕事や、コンサル的な動きなど、いろんな事業をされていますが、お二人はドット道東のことを、どんな会社だと捉えていますか?
野澤:仕事でも暮らしでも、「道東だからできる」とか「道東じゃないとできない」と思えるきっかけやコミュニティを作るのが、ドット道東という会社だと思っています。
「地方ではやりたいことができないから都会に行く」という動きは、どこのローカルでも起きていますよね。それってやっぱり寂しいし、ちょっとでも減らしたいと思っていて。「地方でもやりたいことができるから残ろう・戻ってこよう」と思う人が増えれば増えるほど、僕らの暮らしも楽しくなっていくんですよ。なので、挑戦する人の背中を押したり、やりたいことができる環境を作ることが、ドット道東がやるべきことだと考えています。
中西:クリエイティブとかコンサルって、あくまで僕らが持っている武器のひとつだと思うんですよね。それをしている会社と思われることも多いんですけど、僕としてはドット道東は地域の事務局とか組合みたいなものだと考えています。道東に対して前のめりな人たちが集まる組合で、「道東だからできる」とか「道東じゃないとできない」ことが増えていくための下支えをする事務局みたいな。
――なるほど。確かに事務局と言われると、ドット道東の多岐にわたる取り組みが理解しやすいですね。
中西:そうやって人と仕事の輪を広げていくことで、道東という広域での繋がりや経済圏ができていくんじゃないかなというのが、今考えている仮説です。僕は北見に住んでいるんですけど、釧路に友達や取引先ができると、その街のことを好きになるじゃないですか。そういう関係性が広がっていくと、人の動きが活発になり、地域のなかでお金が回っていくようになると思うんですよね。実際、僕らの周りでは小さいけど、そういう動きが生まれています。
住んでいる市町村とは別のレイヤーとして、道東という広域への帰属意識が生まれると、行動も変わっていくと実感しています。北見という里山にある資源や人は減っていくけど、釧路という里山との間に橋ができたら移動が可能になって、道東という里山ができるみたいな。そういう広域連携のイメージを常に持ちながら活動しています。
道東という単位がもたらす強い当事者意識
――イベントの企画から始まり、ガイドブック制作や自治体の仕事など、事業を着実に拡大してきたドット道東が、次なる展開としてリリースしたのが『DOTO-NET』というサービスでした。これを始めようと思った経緯を聞かせてください。
中西:簡単にいうと、地域のなかで再投資を生むようなスキームを作りたかったんです。「里山から恵みを得ているんだから、里山にも恩返ししようぜ」ってことですね。また里山の例えになっちゃったけど(笑)。
『DOTO-NET』のコンセプトは、29歳以下の若者を全力で応援すること。道東の年長者や企業・自治体が資金を出し、それによって若者が自己実現をしていく仕組みを作っています。その施策を実行していく団体が、ドット道東という形ですね。
――それはまさに事務局的な立ち位置ですね。
中西:そうなんですよ。なぜこのサービスを作ったかというと、何もしなければ地域の人口はどんどん減っていきますよね。そうなっていくと、ハイパフォーマンスな人を増やしていかない限り、社会的なサービスやインフラを維持できなくなっていくじゃないですか。
現在の道東の人口は約90万人ですが、2045年には65万人にまで減るという試算が出ています。30%ほど減ってしまうんですよ。もちろんテクノロジーの進化によって補完される部分はあると思いますけど、単純に数字だけで見ると1人が1.5倍くらい頑張らないと、今の生活水準は保てないってことになります。つまり、ハイパフォーマンスな人を育てたり、個々が力を発揮できる環境を作らないと、道東は破綻しかねないわけですよ。そう考えると、道東の人や企業・自治体は、この地域の未来を支えていく若者にちゃんと投資したほうがいいじゃないですか。
――そういう課題感から、若者を応援する取り組みを始めたと。
中西:今まではそういう仕組みがなかったから、何かをやりたい若者は個人の力でやるしかなかったんです。だけど、そこに地域からの支援があれば誰もがチャレンジしやすくなるし、ちゃんと形になる可能性も高まるじゃないですか。
そうやって成果を出せた人は、自分が受けたサポートを忘れないだろうし、自分も誰かを支えようという意識が生まれると思うんですよね。「木の実がたくさん収穫できたから、周りに恩返ししよう」みたいな。そうなったら、ずっと再投資が続いていくエコシステムができるんじゃないかなと考えています。
――地域からサポートを受けた若者が成長して、今度はサポートする側に回るという循環ですね。
中西:『DOTO-NET』に参加してくれている人たちを見ると、現時点ではサポートを受ける若者よりも、応援する年長者や企業のほうが多いんです。
――すごい!それは地域のことを自分事と思ってる人が多いエリアだからこそなんでしょうね。東京で同じことが起きるかというと、想像しにくいような気がします。
中西:そうかもしれないですね。地域が好きになっていけば、そこに還元しなきゃという気持ちも自然に湧いてくると思うんです。そういう気持ちを醸成して、いい地域にしていこうという機運を高めていくのが、ドット道東の役目なんじゃないかなと考えています。
ドット道東の活動をするなかで、周りの応援が誰かの自己実現に繋がるという事例をたくさん見てきました。それを僕らだけでなく、地域の人たちみんなが自分事として関わってくれるようになったら、応援できる人がもっと増えるじゃないですか。それは、人口減少が続く地域にとってはひとつの希望になると思っています。
野澤:僕らからすると『DOTO-NET』って、今までずっとやり続けてきたことなんですよ。ドット道東がやってきたこと全部が『DOTO-NET』みたいな。それを自分たちだけでなく、地域の人や企業・自治体と一緒にやっていきたいんです。
ドット道東の取り組みの恩恵を受けた第一号は、僕だと思っています。何もわからないところから引き上げてもらったので。そういう体験をしているからこそ、かつての自分のように何かやりたいと思っている人が関われる場所にしていきたいんですよね。未経験だけど将来的にクリエイティブの仕事をしたいという若者がいれば一緒に取材現場に行ったり、お店をやりたい人がいれば既にお店をやっている人を紹介したり。そうやって1ミリでも2ミリでも興味ある人がいたら、どんどん引っ張り上げていきたいなと思っています。
――『DOTO-NET』を通じて、すでに形になったプロジェクトもあるんですか?
野澤:参加者みんなが見れるコミュニケーションツールがあって、若者たちがやりたいことを書き込んでくれるんですよ。まだ数は多くないんですけど、そこに書かれたことは可能な限り実現したいと思っていて。
最近だと、「アスパラの収穫体験を通じて、DOTO-NETの人たちとコミュニケーションしたい」という声があって、農家さんと繋ぎ、参加者を募り、みんなでアスパラを収穫しに行くという体験をしました。実際にやってみたあとに、企画者の子が「自分が言ったことが実現できるんだと思いました」と言ってくれて、僕としてもめっちゃ嬉しかったですね。
――自分がやりたいことが実現できたというのは、大きな成功体験ですね。
中西:『DOTO-NET』に加入して、サポートをしてくださっている自治体さんには、ニュースリリースなどの機能を開放しています。やはり自治体さんも人口流出に課題感を持っているので、道東に興味がある若者に情報を届けられるインターフェースとして『DOTO-NET』を育てていけたら、替えのきかないサービスになっていくと思うんですよね。
道東には大学が少ないので、高校を卒業したら地域外に出ていく人が多く、そこが人口流出の大きなボリュームゾーンになっています。だけど、道東を離れる前にみんなが『DOTO-NET』に入っている状態が作れたら、地元と関わりたいと思ったときの接点になるし、逆に地域側からも地元出身者にアクセスできるのって大事なことだと思うんですよね。これまでは、地元を離れると関係性が途切れてしまいがちだったので。
――地域に関する取り組みでは「ハブになる」という言葉が使われることが多いですが、それを事務仕事の単位まで細かく分解して実行しているのがドット道東なんですね。
中西:こういう取り組みって、結局はハブになる人たちがやり続けるしかない構造だったと思うんです。ただ、僕らだけがやっていても思い描いている理想の姿には辿り着けません。でも、同じような気持ちで地域に当事者意識を持ってアクションする人が増えたら、地域は着実に変わると思っています。
野澤:ハブになると、繋がりのある人たちを抱える形になりがちじゃないですか。だけど、本当は繋がった人たちがいろんな経験を経て、卒業していくことを意識する必要があると思うんです。そうやって自分たちの手を離れた先で、同じような想いで活動している人たちが広がっていけば早く理想に辿り着けるはずだから。
ビジネス的にはせっかくの繋がりを手放すのはネガティブなことかもしれないけど、そこをグッと堪えて、道東を思う人や活動が自律分散していく流れを作れたらいいですね。
――自分たちで畑を作って、そこで育った苗木が各地に散らばっていくことで、里山の木が増えていくみたいな。
中西:出た、里山理論(笑)。
野澤:大学生の頃にドット道東でインターンをしてくれていた子たちが、東京で自発的に「東京道東同好会」という会を作っているんですよ。僕らも知らないような道東出身の若者たちが集まったりしてて。最近では関西にも道東同好会ができたみたいで、人が人を呼んで道東に思いを寄せてくれる場所がどんどんできてきているんです。
――それはすごいですね。まさに自律分散。
中西:すごいですよね。そこに集まっている人たちって道東という広域のカテゴリーがなかったら、違う地域の人たちじゃないですか。「同じ北海道ですね」くらいの距離感だと思うんですよね。だけど、北見出身でも釧路出身でも道東というレイヤーで見ると、同じ地域の人って思えるっていう。
自分が帰属するレイヤーって、いくつもあるじゃないですか。地球人だし、日本人だし、道東人でもある。それが道東とか、北見とか、同じ高校とか、単位が小さくなっていくほど当事者意識の実感値も強くなると思うんですよ。そうすると「せっかくなら道東の食材を買いたい」とか「北見の仕事だから、北見の人にお願いしたい」みたいに、行動にも反映されていくんだと思います。
――それで言うと、道東というのは、当事者意識を持つ上で大きすぎも小さすぎもしない単位なんでしょうね。
中西:手前味噌ですけど、道東という言葉を自分のものとして使う人が増えたのは、僕らの功績のひとつだと思うんですよね。今までは地域を区切る単位でしかなくて、そこに感情移入なんてできませんでしたから。ドット道東の活動は、道東という地域にアイデンティティが備わるきっかけにはなったんだと思います。
ドット道東を次世代に引き継いでいくために
――最後に、お二人が思い描いている今後の展望について聞かせてください。
野澤:「理想を実現できる道東にする」という大きなビジョンがありつつも、目の前のことをしっかりやらないと足元をすくわれるなとも思っていて。順調にいっていれば、もう少し仲間は増えているはずなので、一緒に働きたいと思ってもらえるような環境を作っていきたいですね。もっともっといろんな人に関わってもらいたいので。
個人としては、帯広市から芽室町に引っ越したんですよ。道東各地で、地域に根を下ろして自分の暮らしを作っている人たちと出会うなかで、自分は帯広という大きな街でそういう暮らしはできていないなと思って。ドット道東には、地域との関係性を育み、いろんな課題と向き合い、予算を組んでくれた人たちから相談がくるんです。そういう苦労を経験したことがないくせに、上澄みだけすくっていくようなことはしたくなくて。そのためには、自分にも同じような経験が必要だったんです。なので、小さい町に引っ越して、地域の人たちと向き合い、新しいことをするための予算を組むという経験を自分でもしていきたいと思っています。
中西:「田舎だから」とか「人がいない」という理由で、「道東じゃ理想を実現できない」と思う人がいる状況を変えたいというのが、ずっと思っている目標ですね。僕は、ドット道東が作ってきた人の繋がりや地域ブランドを“道東資本”と呼んでいます。そういう目には見えない資産が積み重なって、ただの区分でしかなかった道東という単位が、地域の人たちが使える主語になりました。みんなで里山を豊かにしていったみたいな感覚ですね。
その資源を使って個人の自己実現を目指したり、新しいビジネスが生まれていったらいいなと思っています。そこに関わる人を増やすと、恩恵を受けられる人も増えるはずなので、もっとドット道東を開かれたものにして、「理想を実現できる道東にする」というビジョンに近づいていきたいです。
中西:最近、中小企業や親族間での事業承継に関わる仕事をしているんですけど、そういうのをやっていると「人生って短いな」と思うんですよね。僕は今36歳で、もう一周したら72歳じゃないですか。経験値や知識は増えてるでしょうけど、活動的な期間は過ぎていて、できないことのほうが多くなっているはずです。そう考えると、残された時間は短いなって。
なので、自分たちがやっていることを次の世代に引き継いでいく重要性を感じるようになりました。そのためにも、受け継ぎたいと思われるような活動にしていかなきゃなって。僕らが動けなくなったら終わりじゃなく、そのあとも続いていくことが重要なので、そのためのサイクルを作っていきたいですね。
――ドット道東も、誰かに継いでいきたいと考えているんですか?
中西:それはすごく意識しています。僕らもライフステージが変わっていくと、関われるものと関われないものが出てくるじゃないですか。ジェネレーションギャップが生じたりして。「理想を実現できる道東にする」というビジョンに向かうためには、若い人が事業を担っていったほうがワークしていくと思うんですよ。そういう新陳代謝がないと、適切な選択や対処ができなくなっていくでしょうし。
事務局として機能していくにはフレッシュな感覚が必要だから、ドット道東も誰かに受け継いでいきたいと思っています。若い世代に継ぎたいと思ってもらうためにも、仕事の内容も収入面も充実させていかなきゃいけないし、まだまだ自分たちも頑張りながら、開かれた場所にしていくというのが個人的には大きなテーマです。
――中西さんは、対峙した課題がどんどん自分事になっていく人なんですね。人口減少とか、事業継承だとか。
中西:地域課題って、本当は全員がステークホルダーのはずなのに、みんなそこに対して無頓着だよねと思ったりはしますね。ちょっとでもみんなが関われば、物事は大きく動くはずなのに。 例えば、道東の人たちが1人100円ずつ出したら、1億円近いお金が集まるんですよ。それを毎月集めたら、1年で12億円です。たった9人で今くらいやれているんだから、仮にみんなが毎月100円払えば、単純計算で20倍近い事業とインパクトになると考えると、絶対に地域は変わると思うんです。
野澤:それだけあったら、本当にいろんなことができるよなー。
中西:そこまではいかなくとも、「DOTO-NET」によってそれが2倍なのか10倍なのか、近い数字に近づけていくのが僕らの挑戦なんです。
絶対にやったほうがいいけど、面倒臭いから誰もやらないことってあるじゃないですか。そういう「誰かやってくれたらいいな」ということを、僕らはやっている自覚があります。行動する人が損するのではなく、やったほうがいいことに対して、みんなが当事者になってもらう。そんな道東の未来を作っていきたいですね。
【ライタープロフィール】
阿部 光平(『IN&OUT -ハコダテとヒト-』編集長)
北海道函館市生まれ。大学卒業を機に、5大陸を巡る世界一周の旅に出発。帰国後、フリーライターとして旅行誌等で執筆活動を始める。現在は雑誌やウェブ媒体で、旅行、音楽、企業PRなど様々なジャンルの取材・記事作成を行っている。東京で子育てをするなかで移住を考えるようになり、仲間と共にローカルメディア『IN&OUT –ハコダテとヒト-』を設立。2021年3月に函館へUターンをして、雑誌『生活圏』を発行した。