料理はアシスト役。「時間」が主役のフランス料理を。福岡・春吉「リュニック・ラボ」
周囲をブドウ畑と森林に囲まれた仏・ボジョレー地方の最南端。高台に位置する人口約500人のサンタムール村の魅力を、日本人らしい繊細なフランス料理で表現した。「旬の果実や生花を生かしたエレガントな盛り付け」「一皿ごとに感じる、素材に対する魔法のようなタッチ」__独立店舗では6年連続ミシュラン二ツ星を獲得し、地元紙には「日本人が地方で星を積み重ねた異例の成功例」と貢献を称えられた。
帰国から約2年、福岡・春吉。2025年8月にオープンした一日8席限定のレストラン「リュニック・ラボ」。シェフとして厨房に立つ濵野雅文には、生き馬の目を抜く料理業界で、極限まで研ぎ澄まされた美食を追求する、ピリついた印象はひとつもない。
「リュニック・ラボ」濵野雅文シェフ。株式会社ワンファイブホテルズのコーポレートエグゼクティブシェフとして、同社が展開する全国のホテルにて調理部門も監修する。
福岡・糸島で山と海に囲まれて育った。ブランドトマト“桃太郎”を栽培する専業農家の倅だ。フランス料理人を志したのは調理師学校で“料理の鉄人”「ラ・ロシェル」坂井宏行氏の講義を受けたことから。100人以上生徒がいる前で「働かせてください」と志願した。「話し方、柔らかく余裕たっぷりな物腰。身に着けた服装まですべて恰好良かったんです」。フランスのエスプリを体現するような姿に、一目惚れだった。
ラ・ロシェルで8年修業後、渡仏。モダンフランス料理で名を馳せていたリヨンの「ニコラ・ル・ベック」、「ラ・プラージュ」を経て、2007年からサン=ヴァランタン村の「Au 14 Février Saint-Valentin」でシェフを務める。2013年「Au 14 Février Saint-Amour-Bellevue(オーキャトーズフェヴリエ サンタムール・ベルヴュ)」にて独立、2014年に一ツ星、2018年に二ツ星を冠した。「星を獲ったことで僕自身は変わりませんが、周りの見る目がガラリと変わりました」。馴染みの生産者はよりよいものを融通してくれるようになり、食材の売り込みもひっきりなしになった。「じっとしていてもよい食材が集まる。星を獲るってこういうことかと実感しました」
フランスに渡ったのは本場の技術の習得というより自身の料理の強みを探しにいくため。3年という期間を区切り、そこで出会ったのが”果物の可能性”というフィールドだった。
「リヨンの『ラ・プラージュ』のシェフだったセバスチャン・シャンブリュ(2007年M.O.F.)に作ってもらったヒラメのムニエルのオレンジソースが、僕が想像するフランス料理とはまったく違ったんです」。煮詰めたオレンジ果汁にバターを加えてソースに仕上げるのがフレンチの王道だが、生のオレンジを搾って果汁を煮詰め、オリーブ油と塩・コショウだけで仕上げていた。
バターなどの動物性油脂のコクを足さずとも果物の酸味と甘味、旨味があればフランス料理としてのソースが完成する。「ハンマーで頭を殴られたような衝撃」だった。フランス料理はもっと自由でいい、とメッセージを受け取った。
海までの直線距離が300km以上あるサン=タムール=ベルヴュ村は、内陸の丘陵地なため、地元客の多くは生臭く状態の悪い魚介を食べた経験をもっていた。だが「魚介はおいしいですから」とブルターニュから届く魚の熟成方法を見出し、魚介の1皿をコースに組み入れ続けた。
「どういう経験をしたかは知らないけど、おいしいから食べてみてよ、って」。豊かな生態系の玄界灘に面した糸島育ちの料理人としてのプライドだろう。魚介に拘ったことで、果物と織りなす洗練された味わいは一層際立った。
「Brise de mer カボス キャベツ/五島の海」五島・いでぐち鮮魚の神経締めされたマハタを、凍らないギリギリの温度帯で1週間熟成させてレアに火を入れ、ねっとり印象的な質感に。ワタリガニのアメリケーヌとマハタのだしを加えたブールブラン、2種類のソースで。合わせた大分産カボスはペーストとゼストでアクセントに。
濵野の提供するコースは、すべての皿に1つの果物をテーマに据えて、フレッシュ、ピュレ、クーリ、ジュなど、異なる3つ以上のアプローチを施す。味にメリハリをつけると同時に、果物で料理とワインをつなぐためでもある。「例えばメインが鳩で、ワインを決めたら、つなぎ役はリンゴにしよう、と果物を決めます」
「Terroir 林檎 木の子/小鳩」仏産小鳩のモモ肉のローストとムネ肉のコンフィ。合わせるリンゴはスライスやピュレでソースやクランブルに忍ばせる。
現地ではフレンチと和のフュージョンを謳われたが、意外にも和の調味料には安易に手を出さないと決めている。醤油、味噌、ワサビなどは、フランス料理の範疇ではないと考える。
「その分、日本の調理技術は積極的に取り入れます。魚の火入れ、“蒸し”の技術、食感と風味を残す“茹でて浸す”の野菜の調理法。現地の料理人にお前のところの野菜はなぜこんなに味が濃いんだ、と言われてました」
スナップエンドウやニンジンなど茹で野菜は前日に塩茹でしてそのまま浸しておく。程よくシャキっとした食感を残し、翌日に冷たい前菜やグリルで提供。くたくたに煮ることを好むフランス人に対して、「日本人として野菜はこれ以上茹でたくないってギリギリがあるんですよね」
「Ma spécialité レモン / 南瓜 / キャビア」カニのエチュベ、カボチャのエスプーマにイタリア産のオシェトラキャビアに、エディブルフラワーを繊細にあしらった濵野のスペシャリテ。燻製したタプナードのワッフルを添えて。
日本を離れて約20年、一時帰国することはあったが、いざ食材探しとなると、“浦島太郎”状態だったという。気候変動や急ピッチに進む品種改良の影響で、どの食材がどのタイミングでもっともおいしくなるか、旬もあいまいに感じた。戸惑ったのは日本の果物が生食市場を重視し続けていることだ。
「料理において酸はとても重要です。このまま果物が糖度だけを目指して改良されていくと、先はどうなるのでしょうか」。フランスでは果実にも仄かな苦味やえぐみがあり、それが料理に生きた。今はリンゴのピュレにレモンの皮や果実の酸味を加えたり、柿なら煮沸して皮ごと使いながら香りや酸を補うが、日本の果物の偏った評価により、本来種がもち得る多彩な味わいの可能性を狭めてしまうのではと首を捻る。
また、個体としてより大きく、見栄えよくといった美意識も、どこかで歯止めが必要と感じている。「幼い頃から箱詰めを手伝っていました。大きくて綺麗なトマトから順にA級、B級、C級と分けていくんです。子供心に同じ味なのになって」。店では懇意の取引先からの果物はB級品もA級価格で仕入れている。「味が同じだってことはよく分かってますので」
ワインは仏産に加えて安心院、菊鹿、都農など、九州各地のワイナリーのワインも揃える。
在仏中、印象的だったのはフランス人との時間に対する感覚の違いだ。「日本のお客さまは食事の後、『おいしかったです』っていってくださいます。僕の知るフランス人は言わない。『よい時間をありがとう』っていうんです」。平時はバカンスのために働き、バカンス明けには「どこに行ったの?」と尋ねるより、まず「良い時間を過ごせた?」「リラックスできた?」と尋ねる。
「食事って、そこで過ごす『時間』です。料理はもちろん大事ですが、それらはあくまで時間の質を高めるためのもの。料理はアシスト役です」。1日8席限定なのは単なるラグジュアリー感の演出ではない。芯からリラックスして過ごしてもらうためだ。レストランでは、ただおいしかった、ではなく、楽しかった、と思ってほしい。かつてムッシュに憧れた青年は、どこか氏を思わせる穏やかな表情で笑った。
天井高を活かした開放的な空間に、シェフが料理を説明するU字カウンターを囲む8席。空間設計はスイスを拠点に活躍するデザインチーム「atelier oï(アトリエ・オイ)」が手掛けている。
◎L’Unique labo
福岡市中央区春吉3-13−1(HOTEL IL PALAZZO敷地内)
12:00~13:30LO 18:00~19:30LO
11品のコース「Menu L‘Unique」¥27,500~(税・サービス料別)
不定休
https://lunique-labo.jp/
(料理通信)