落第忍者乱太郎のデザインマンホールを探しに!由来となった『久々知須佐男神社』も参拝 尼崎市
最近全国各地で漫画やアニメのキャラクターがデザインされた「デザインマンホール」が人気で、それを目当てに観光客が訪れるというニュースをよく耳にします。筆者も旅行先のマンホールは必ずチェックするくらいマンホールが好きで、地元・尼崎にもあるのか調べたところ、尼崎出身の漫画家・尼子騒兵衛さんの『落第忍者乱太郎』とそれを原作にしたアニメ『忍たま乱太郎』に登場するキャラクター「久々知兵助(くくちへいすけ)」のマンホールが設置されていることを知り、実際に見に行ってきました。
『忍たま乱太郎』の登場人物や場所には尼崎市の地名が多く使われており、全国から“聖地巡礼”と称して同地を訪れるファンも多いそうです。今回はせっかくなので「久々知兵助」の名前の由来となった『久々知須佐男神社(くくちすさのおじんじゃ)』も訪れることに。
久々知須佐男神社は天徳元年(957年)、源氏の頭領として摂津一帯に勢力を誇っていた多田満仲(ただのみつなか=源満仲)の勧請により建立された神社です。鳥居をくぐり境内に入ると空気が一気に神聖なものへ変化したように感じました。
境内には「矢文石(やぶみいし)」という大きな石があり「これはなんだろう?」と由緒を読んでみると、多田満仲が摂津国守に赴任した際住吉大神の信託に依り多田(現在の川西市)に向かって矢を射るときに足をかけた石なのだそう。その放った矢は頭が九つもある大蛇に刺さり、流れ出た血の跡が多くの田のようになっていたことから、その地を多田と名付けたという伝説も残っているのだとか。何気ない石かと思いきやこんな伝説を備えているなんて、やっぱり境内にある様々なものには歴史や云われがあってとても興味深いです。
現在は須佐男命(すさのおのみこと)を祀る須佐男神社ですが、明治初年の廃仏毀釈、神仏分離令までは広済寺と一体化し、妙見(みょうけん)、牛頭天王を主神とする神仏習合の社で、江戸時代の妙見信仰がブームの時代には妙見宮として繁栄していたそうです。
参拝をすませた後、鳥居を出て左に曲がっていくと近松公園があり、その南東に設置されている有馬道石碑前に「久々知兵助」のマンホールを発見!尼子騒兵衛さんが新たに描き下ろした原画を基に作られたものでとてもかわいいです♡
「久々知兵助」は忍術学園五年い組の生徒で、長いまつ毛とくせっ毛に太眉が特徴のキャラクター。性格はとても素直かつ温厚で真面目だけれど、大好物の豆腐が関わると、無自覚に皆を巻き込んで困らせてしまう問題児になってしまうんだとか。大好きな豆腐に囲まれ嬉しそうな表情を浮かべていますね。
12月20日には13年ぶりとなる『忍たま乱太郎』の劇場アニメ『劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師』が公開されるので、ファンの方はもちろん近くに住んでるけど存在を知らなかったという方もぜひご自身の目で確かめてみてください。
場所
久々知須佐男神社
(尼崎市久々知1丁目3-28)