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松田優作没後35年「YUSAKU MATSUDA 1978-1987」音楽に真正面から取り組んだ魂の軌跡

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2021年03月10日 松田優作のベストアルバム「YUSAKU MATSUDA 1978-1987 MEMORIAL EDITION」がリリースされた日

リイシューされたシンガー松田優作のベストアルバム


2024年に没後35年を数える松田優作。俳優としての活動はもとより、シンガーとしても「YOKOHAMA HONKY TONK BLUES」「灰色の街」「ブラザーズ・ソング」といった数々の名曲を残し、多くのファンを魅了した。本稿では、そんな “シンガー松田優作” について語っていきたい。

松田優作のシンガーとしてのキャリアは1976年7月25日にリリースされた自身のファーストアルバム『まつりうた』が起点である。当時すでにシンガーとしての存在感を十二分に発揮していた兄貴分、原田芳雄の影響も大きかったと思うが、それ以上に表現者として自分に何ができるかという挑戦がはじまりだったのだろう。収録曲の中には、台詞がメインの実験的なものもあり、極めて演劇色の強い作品だった。

常に模索、自らと格闘して高めてきたクリエイティビティ


常に模索し、自らと格闘し、クリエイティビティを高めてきた松田優作は、役者業だけにとどまらず、常にアイディアが溢れ、やりたいことが山積みにあり、これらをどのように昇華させアウトプットしていくか… という意識の中で生きてきたのではないか。

その中には、溢れ出るイマジネーションが錯綜し、常人には理解が難しい作品もあった。それが自身が初監督を務め、石橋凌の主演で1986年に公開された『ア・ホーマンス』だったと思う。もし松田優作が存命し、監督業を続けていたならば、『ア・ホーマンス』に内包された仏教思想に帰依した精神性を活かしながらも新たな方法論を導入し、例えばエンタテインメント性のある全くスタンスの違った傑作を生みだしていたような気がする。

シンガーのキャリアにしてみても、“アクター松田優作” としての存在感からアルバムを制作するという立ち位置は、セカンドアルバムの『Uターン』までだった。以降はシンガーという存在感のみに特化し、ぜい肉をそぎ落としていくという “引き算の美学” で音楽活動を続けていく。

代表曲となった「YOKOHAMA HONKY TONK BLUES」


そのひとつの転換期が1980年にリリースされたサードアルバム『TOUCH』だ。ここに収録されている「YOKOHAMA HONKY TONK BLUES」は、現在も脈々と受け継がれる不良で洒脱な横浜音楽カルチャーの開祖とでもいうべきザ・ゴールデン・カップスのエディ藩作曲、藤竜也作詞。今なお脈々と歌い継がれている名曲だ。

チルアウトしながらも雨に煙る異国情緒、アルコールとブルースの似合う無国籍風情の街の情景が脳裏に浮かび上がるようなイメージを持つオリジナルにハードボイルド的なエッセンスを加味し、松田優作は自らの代表曲として昇華させた。

しかし松田優作は、シンガーとしてのキャリアをここに甘んじることなく新たな試みに取り組むことになる。1981年には主演作『ヨコハマBJブルース』の主題歌「ブラザース・ソング」を収録した『HARDEST DAY』をリリース。私立探偵を兼ねたブルースシンガーという役どころで、自らが歌う場面をオープニングで効果的に取り入れた『ヨコハマBJブルース』は “シンガー・松田優作” の魅力が溢れるていた。

ちなみに本作は友情、同性愛ギリギリの部分をハードボイルドに、そして人間のグッと深い部分での出逢い、優しさなどをダーティな演出の中に内包した異色作でもある。

レゲエやニューウェイブに傾倒したアルバム「INTERIOR」


さらに、1982年にリリースされた『INTERIOR』は、松田優作が全幅の信頼を寄せ、“音楽の共犯者” と称した梅林茂とタッグを組み、レゲエやニューウェイブに傾倒しながらもアジアンテイストを兼ね備えた意欲作だった。ここに到達した時点で松田優作は、アクターという肩書とは別の位置に存在していると言えるぐらいに完成度の高いものであった。

そして、その後もこの『INTERIOR』を踏襲しながらも、より感性を研ぎ澄ませ、1985年に『DEJA-VU』、1987年に『D.F.NUANCE BAND』をリリースしてゆく。このような軌跡は、没年の翌年にあたる1990年の2月に自身初のベストアルバムとしてリリースされ、2021年3月に高音質CDとしてリイシューされた『YUSAKU MATSUDA 1978-1987』に凝縮されている。シンガー松田優作が確立され、深化してゆく過度をリアルに感じ取り、その輪郭を体現できる集大成だとも言えるだろう。

俳優として、まさに “魂の軌跡” とでも呼ぶべきものをスクリーンに映し出していった松田優作は、同じようにシンガーとして、音楽に真正面から取り組んだ。その証がこのベストアルバムなのだ。

まだ、松田優作さんはあちらに行ってない。行かせてたまるか


そして、2021年にリリースされたリマスター盤には、1990年2月にビクター青山スタジオで、関係者のみで行われた追悼シークレットライヴ『YUSAKU MATSUDA SOUL VIBRATION』の模様が収録された映像が付録のDVDに収録されていた。

そこには、元キャロルの内海利勝をギターに従え、優作ナンバーを熱唱する原田芳雄や石橋凌も登場。そして松田優作とレーベルメイトだったアナーキー(1989年当時はTHE ROCK BANDとして活動)、鮎川誠とシーナ夫妻などゆかりの深い人たちが繰り広げるワンナイト・ショウの全貌からは、プロフェッショナルな各々が松田優作のナンバーを歌うことにより、その楽曲の素晴らしさはもとより、そこに込められた魂、生きてきた軌跡がしっかりと継承されていったことが再確認できる。

ここに登場し、映像の中で、松田優作のポスターひとつひとつにペインティングを施していった世界的なイラストレーター黒田征太郎氏は、こんなコメントを発していた。

「僕の中では、当然、まだ、松田優作さんはあちらに行ってない。行かせてたまるか。これはセンチメンタルでも何でもない。そういう力を借り受けて絵を描く行為ができたらいい」


松田優作没後、すでに35年という月日が経過した。しかし、黒田氏のコメントは今も色褪せることなく、また、松田優作の魂も僕らの中で生きている。

*UPDATE:2021/03/10

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