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新潟・上越市には宿泊できる日本の名作住宅がある。原広司「浮遊のいえ」と渡邊洋治「斜めの家」

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新宿の「軍艦マンション」が有名な渡邊洋治設計の遺作「斜めの家」(1976年)。この家も民泊できる

原広司と渡邊洋治の設計した家が新潟県上越市内にある

東大名誉教授の原広司設計の「浮遊のいえ」(1985年)。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」「瀬戸内国際芸術祭」の総合ディレクターとして有名なアートディレクター北川フラムの実家を新築したもの。この家に民泊できる

『Casa BRUTUS』2025 年4月号「一生に一度は見ておくべき名作住宅100」のうち2軒が同じ市内にある。新潟県上越市である。私の故郷だ。

1軒は先日亡くなった東大名誉教授の原広司設計の「浮遊のいえ」(1985年)。
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」「瀬戸内国際芸術祭」の総合ディレクターとして有名なアートディレクター北川フラムの実家を新築したものである。原夫人の北川若菜が北川フラムの姉というつながりもあり、原が設計を依頼された。若菜夫人は多摩美術大の建築学生で、原が大学院時代に原のコンペのための設計の手伝いなどをしていた。

新宿の「軍艦マンション」が有名な渡邊洋治設計の遺作「斜めの家」(1976年)。この家も民泊できる

2軒目は新宿の「軍艦マンション」が有名な渡邊洋治設計の遺作「斜めの家」(1976年)。
その名の通り形が斜め。中に入ると廊下が斜めである。渡邊洋治は直江津町(現:上越市)出身。「斜めの家」も旧直江津市内の加賀街道近くにある。家は代々大工で、小学校の先生の勧めで新潟県立高田商工学校木材工芸科に入学した。日本ステンレス株式会社営繕課に勤務するが陸軍船舶兵として徴兵。戦後久米建築事務所に勤務し、1955年早稲田大学吉阪隆正研究室助手となる。
1958年渡邊建築事務所設立。随所に軍事的なものがうかがえる独特のデザインを手がけたが、「斜めの家」も潜水艦のイメージがあるという。

宿泊できる原広司の「浮遊のいえ」

宿泊は6人まで可能

しかもこの2軒とも民泊として宿泊できる。
「浮遊のいえ」は、一人で住んでいた母が亡くなり、維持管理も難しいということで地元の上越市高田地区(旧高田市)のまちづくり団体「雁木(がんぎ)のまち再生」(関由有子代表理事)が引き継ぎ手を探していた。

1階玄関から2階のリビングへの階段まわり

そこにちょうど高田に移住しようと思っていた若者がいた。
東京大学大月敏雄研究室で建築を学び、高田の雁木通りを事例として卒業制作をしたことのある久野遼さんだ。
久野さんは東京都内出身だが、渡りに舟とばかりに移住を決め、「浮遊のいえ」を借り、自分も住みながらそこを民泊にすることにした。
久野さんの本業は東京のまちづくり会社社員であるが、時節柄と仕事柄、約10人の社員はほぼリモートワークだという。月に1度ほど東京に行くが、そのあとはずっと高田にいる。

「浮遊のいえ」はインバウンド客で満室が続く

リビングの久野さん。備え付けの冷蔵庫にはクラフトビールが入っている。ビール料金は宿泊料に込み

民泊「浮遊のいえ」は2025年2月から始まったばかり。しかし高田から近い妙高山にはオーストラリアなどからスキー客が増えており、「浮遊のいえ」もインバウンド客などで週末はほぼ満室だったという。

そもそも久野さんはなぜ高田に興味を持ったのか。
久野さんは、卒論で雪国における高齢者の住まい方に関して研究していた。同様のテーマで卒業制作を行うにあたって敷地としてどの地域が良いかを調べているうちに「高田が良いのではないか、雁木(がんぎ)というものを初めて聞いたが、面白そうだ」と思い、高田を事例に研究をすることにしたのである。

高田に総延長15Kmもあるという雁木

雁木とは、積雪量が多い高田で各戸が通りに向かって軒を伸ばし、雪が道路を塞いでも歩けるようにした街路である。その雁木が高田地区では総延長15Kmもある。
雁木は街路だが私有地である。いわば「共助」の街路である。「共助」の街路が張り巡らされた街に、高齢者が冬だけ一緒に住む共助のシェアハウスを考える。それが久野さんのテーマだった。

「斜めの家」も民泊として運営

庭側から見た「斜めの家」

「斜めの家」を民泊として運営するのは、上越市柿崎区で建築事務所を経営する中野一敏さんだ。上越市吉川区生まれで、横浜国立大学で建築を学び東京で働いたが、30歳のときに地元に戻った。

2015年に開業した北陸新幹線上越妙高駅東口の商業施設「フルサット」は中野さんの設計だ。フルサットは建築用コンテナを並べて使ってそこを店にするという方法を取っているが、その方法に中野さんは可能性を感じているという。

さて「斜めの家」は渡邊洋治の妹一家が住むためにつくられたが、今は東京にいる姪が所有している。しかし彼女はこの家は何らかの形で残すべきだと考えて、ある女性に管理を頼んでいた。
その女性と中野さんが知り合いになり、今は中野さんが引き継ぎ「ナナメの会」を設立、クラウドファンディングによって資金を集め設備修繕し、2024年春から民泊を実験し、25年から本格的に営業を開始した。

「斜めの家」を民泊として運営している中野さん
「斜めの家」の地窓

家の中を拝見したが、かなり独自で面白い。
先述したように廊下は斜め、玄関の門扉も斜めである。ル・コルビュジエ風のポツポツと配置された窓や掃き出し窓などはすべて木枠。すでに当時はアルミサッシ全盛期だったので、こだわりを感じる。
木製の雨戸はなぜか丸い小さな穴があけられ、その内側にガラス戸があり、次に簾(す)の戸があって、最後に障子戸。西洋風と言うより和風であるが、簾の戸はかなり珍しい。しかも雨戸の丸穴から差し込む光が障子に映り、小さな蜃気楼のようだ。

洋室。簾の戸が入っているのは珍しい。家具は現在上越市で活躍する家具職人市川正和さんがデザインしたもの

上越市の雪国という風土性と建築の関係

床が斜めの廊下。よく見るとドアの枠も斜め。壁に赤い光が映っているのは、廊下の右の部屋に差し込んだ光がカーペットに反射したもの。狭い廊下は雁木にも見える

薄暗い廊下の壁の布地が経年劣化した色あいは、コンクリート打ちっぱなしのようにも見え、ポツポツ空いた窓はル・コルビュジエのロンシャン礼拝堂のようだ。壁に赤い光が映っているのは、廊下の右の部屋に差し込んだ光がカーペットに反射したもので、これもル・コルビュジエが色ガラスブロックを壁にはめたのと同じような効果を狙ったのではないかと中野さんは推測する。

だが、いろいろな写真を見ていると、あ、これは深い雪に囲まれた雁木通りのようだと思うのだ(前掲写真参照)。かつこの「斜めの家」を渡邊は潜水艦に見立てていたそうだ。
渡邊は戦争中陸軍船舶兵だったから、軍艦はもちろん潜水艦についても詳しかった可能性がある。確かに、すっかり黒ずんだ銅葺きの外観、狭く暗い廊下、小さな窓、この潜水艦が豪雪の年には2メートルもの積雪の中に沈む。そして春には雪が解けて潜水艦が斜めに浮かんでくるのだ。斜めに傾いた姿はまさに潜水艦が浮上する様子を思わせる。

宿泊は和室2部屋に6人まで可能

そのように考えると、渡邊洋治の建築をもっと雪国の風土という観点から見直したほうがいのではないかと中野さんは言う。
暗い室内に光が差し込みまぶしく床が光るという状景も、いつも明るい冬を過ごす太平洋側の人たちにはあまり馴染みのないものだろう。だから雪国という風土から見た建築という観点は、とても面白いし、説得力もあると私は思う。

全国チェーンの画一的な「ファスト建築」に見慣れた目からは、まさに風土性のある近代建築は貴重である。

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