アントニオ・パニーコ:一流を超えた“Fuori Classe(フオーリ クラッセ)”
8/23(金) 23:00配信
アントニオ・パニーコ:一流を超えた“Fuori Classe(フオーリ クラッセ)” ナポリのサルトの中でも群を抜いてエレガントで、仕立てる服も芸術作品のように美しい。アントニオ・パニーコは、すべてにおいて“Fuori Classe”なジェントルマンだ。
text and photographyyuko fujita
Antonio Panico/アントニオ・パニーコ
1941年、カサルヌオーヴォ生まれ。11歳からサルトの修業に入り、ヴィンチェンツォ・アットリーニのもとで、1960~64年までアイウタンテ(助手)として働く。独立後、ロンドンハウスにタリアトーレとしてスカウトされ、70~91年まで同店のヘッドカッターを務める。91年に独立し、自身2度目のサルトリアをオープン。
アントニオ・パニーコ氏は取材に対し、積極的に多くを語る人物ではない。自身の仕立てに関する“お決まりの質問”には辟易している節が昔からあり、安易なかたちでそこに触れるのはご法度だ。ただ、パニーコ氏がいかにして自身の美意識を育んできたのか、そこを丁寧に探っていくと、彼は思いのほかフランクに、言葉を紡いでくれる。
ナポリに住んでいた2015年、サルトリア パニーコを訪れた私はいつものようにいくつかの質問をマエストロに投げかけていたとき、ふとした拍子にマエストロはニコリと微笑みながら1枚の古い絵ハガキを私に手渡した。送り主はAttolini Vincenzoとある。日付は1962年8月14日だ。なんと! サルデーニャのカリアリで兵役中だった21歳の愛弟子パニーコにヴィンチェンツォ・アットリーニがしたためた暑中見舞いではないか!
「サルトとしての技能も、エレガンスも人間性も、ヴィンチェンツォ・アットリーニはすべてにおいて“Fuori Classe(超一流)”であり、私の素晴らしい師匠でした。真のエレガンスとは何なのか、私は彼から本当に多くのことを学んだのです」
今回、ナポリでパニーコ氏を取材するにあたってそのときの話をしたら、その絵ハガキを持参してくれた。愛用のシャツやネクタイ、靴を見せてほしいとお願いしたところで、パニーコ氏がそれを歓迎しないのはわかっていたが、こちらはパニーコ氏もウェルカムなのだ。氏にとっても、最高の宝物なのである。
ナポリが生んだ果てしなく偉大なサルト、アントニオ・パニーコと、ヴィンチェンツォ・アットリーニの絆。そこに思いを巡らせてワクワクが止まらないのは私だけだろうか?
ナポリのエレガントなピアッツァの象徴であるヴィットーリア広場のヴィッラ・コムナーレの写真の絵ハガキ。伝説の巨匠ヴィンチェンツォ・アットリーニが、カリアリにて兵役を務めていた愛弟子のパニーコ氏に送ったもの。“ Ricordandoti con affetto ti saluto cordialmente(あなたのことを親愛の情をもって思い出し、心からご挨拶します)”とある。1962年8月14日にしたためられた1枚で、これはパニーコ氏の最も大切な宝物だ。 「当時のナポリの服はまだミリタリーの服のようにかっちりしていたけれど、ヴィンチェンツォはそれを壊して、とても柔らかで美しいラインの服を生み出したんだ」。
「シリアスな仕立ての話はもううんざりなんだ。もっと楽しいことを話そうよ(笑)」というのがパニーコ氏の口癖だ。好きな音楽はエルヴィス・プレスリー。イタリアだと、もちろんピーノ・ダニエーレだ。
80歳の誕生日に息子のルイージと娘のパオーラからプレゼントされたパーカーの「デュオフォールド ネイビーブルー ピンストライプ万年筆 センテニアル」。
何かを集めるということは積極的にはしていないが、フェザーペンはことあるごとに買い足している数少ないものだという。ヴェズーヴィオを望むポジーリポの丘からの眺望、プレビシート広場、トトなど、氏のナポリ愛が窺えるコレクションだ。
静かな時間の過ごし方を好み、読書が趣味だ。ナポリの音楽学者であり作家であったPaolo Isottaと、アメリカ生まれのイギリス系リビア人作家でサルトリア パニーコの顧客であるHisham Matarがお気に入り。
1980年に自身で仕立てたジャケット。40年以上前に仕立てられた服が、古さを感じさせるどころか神々しさを放っているところがパニーコ氏の凄さを物語っている。ちなみにサルトリアから徒歩10分ほどの距離にあるマルティーリ広場そばのパニーコ氏の自宅クローゼットには、自身が仕立てた服が古いのは1960年代後半頃のものから100着近くが保管されているという。 「私が仕立てる服は当時から何も変わっていないんだ。唯一変わったのは、パンツが細くなったことくらいさ」。