谷川俊太郎さんに「話せなかった」エピソード 担当編集者が明かす詩集『たったいま』の思い出
詩人・谷川俊太郎さんは2024年に92歳で生涯を閉じました。『谷川俊太郎詩集 たったいま』の編集者が、谷川さんとの思い出、制作時のエピソードを振り返ります。
【画像】谷川俊太郎さんの詩集『たったいま』タイトルにこめた意味2024年11月に、92歳で生涯を閉じた谷川俊太郎さん。
詩人として多くの読者に親しまれてきた谷川さんは、20歳で処女詩集『二十億光年の孤独』を刊行した後、作詞や脚本、エッセイ、評論、翻訳など、実に2000作に迫る出版物を手がけてきました。
そんな谷川さんが残した作品のひとつ、『谷川俊太郎詩集 たったいま』の編集者が、谷川さんとの思い出、制作時のエピソードを振り返ります。
▲『谷川俊太郎詩集 たったいま』谷川俊太郎/詩、広瀬弦/絵(講談社)
谷川俊太郎さんのこと
私にとっての谷川俊太郎さんは、絵本作家・佐野洋子さんの夫だった人、です。
私は佐野さんの最晩年の担当編集でした。
そういう意味で興味があった、ずっと気になっていた人でした。
でも、なんのきっかけもなく、遠い存在でした。
谷川さんの作品を担当した1冊目は、絵本『せんそうしない』(2015年刊)です。
絵本編集者時代、「体験者に戦争の原稿を書いてもらう」というのは私の内なるテーマでした。
戦後70周年である2015年に、「どうしても何か出したい」と、前年くらいから活動を始めたと思います。
▲『せんそうしない』谷川俊太郎/文、えがしらみちこ/絵(講談社)
FAXで送られてきた原稿
当初に考えていたのはアンソロジー(複数の著者の作品を集めた本)で、その依頼を谷川さんにもしました。谷川さんの著書を買い集めながら、手紙を書いたと思います。
きっとお返事がこなかったからだと思うのですが、『おやすみ神たち』(谷川俊太郎/詩、川島小鳥/写真)の出版イベントを開催直前に見つけて、行ってみようと思い立ちました。
▲『おやすみ神たち』谷川俊太郎/詩、川島小鳥/写真(ナナロク社)
窓口のナナロク社さんに連絡したときには、予約はもういっぱいで、締め切られていました。
でもとにかく行っちゃおう、と思って行ってみると、ひとりキャンセルが出たのでどうぞ、と言われ運よく入れたのです。
川島小鳥さんは2011年にナナロク社から写真集『未来ちゃん』を出していて、注目されていました。
この本の装丁は祖父江慎さんですが、私は祖父江さんがこれを作っているころ、別件でよく事務所に行っていました。
前の打ち合わせが『未来ちゃん』チームで、色校がテーブルいっぱいに広げられているのに遭遇したことがあり、祖父江さんが嬉々として仕事を進めていたのは知っていました。
なので、その川島さんにも会えて、超ラッキーでした。
イベントが終わって谷川さんのところへ行き、名刺を出して「お手紙を差し上げました」と挨拶しました。
「すぐには無理だから、ちょっと待ってね」みたいなことを言われ、心の中でガッツポーズをしました。
編集部に電話がかかってきたのは、それから間もなくのことです。
「アンソロジーじゃないのがいいんだけどね」
ひゃっほー! です。
さほど期間を待たず、『せんそうしない』の原稿がFAXでガッガッガッと送られてきました……。
歌えなかった「地球へのバラード」
『せんそうしない』を出した2015年、私は絵本の編集部から青い鳥文庫に異動になりました。
青い鳥文庫から谷川さんの詩集を出す、という野望をいつからか抱くようになり、でもどうしたらいいかわからず、そのプランは長い間私の中に眠ったままでした。
どうしよう、どうしようと、ぐるぐる考えていて、あるとき谷川さんが、音楽を好きなことに思い当たりました。
谷川さんの詩は、多く合唱曲になっています。ひとつの作品を複数のアーティストが作曲しているものもあります。
▲谷川さんの詩は合唱曲としても親しまれてきた〔写真はイメージです〕(アフロ)
私は、歌えなかった「地球へのバラード」を思い出しました。
私は高校時代はガチ合唱部で、以降も断続的にいろいろな機会に歌ってきました。
「地球へのバラード」は、谷川さんの5編の詩に三善晃氏が作曲した合唱組曲です。当時所属していた合唱団の、はじめての定期演奏会の演目にこの曲が入っていて、それはそれはたくさん練習していたのでした。
しかし、演奏会当日は、講談社の入社試験だったのです。
書類選考(今でいうエントリーシート)に通り、筆記試験日程を見て、私はほんとうに落胆したのですが、それを経て今まで編集者として働いてきたわけです。
ああ、「地球へのバラード」歌えなかったなあ(それ以降、今まで歌うチャンスはない)。
次の瞬間、「そうだ、楽譜を買ってこよう!」
▲編集作業を進めていた当時に、買い集めた楽譜
そこから作業はバリバリ進みました。歌になっている作品を中心に、自分が好きな詩をどんどん選びました。
軸を「音楽」そして「歌」と決めたので、最初の作品は「そのひとがうたうとき」にしました。
人間が発する普遍的なメッセージが、時間も場所も越えて未来まで届くことの尊さを、歌という形になぞらえて描いた作品です。
今でもページを開くと、涙が出そうになります。
「たったいま死ぬかもしれない」
▲『谷川俊太郎詩集 たったいま』のカバー袖。イラストは、佐野洋子さんの息子で画家の広瀬弦さんが手がけた。
谷川さんの作品の特徴として、テーマはいつも命で、背景には戦争があります。
詩集のタイトルに選んだ「たったいま」の一部を、カバー袖に載せました。
「たったいま」という言葉で始まるこの詩は、人はだれもが死を迎えること、自分にもいつか訪れる死を想うことで、今、この瞬間の命を大切に感じられる作品です。
青い鳥読者の子どもたちに伝えたいことのエッセンスとしては、ややエッジが効きすぎかもしれなかったのですが、ここがいいなと思ったのでした。
生命力の強さ、すばらしさをうたう「春に」「生きる」なども選びました。
子どもたちに人気の「かっぱ」「いるか」「おにのおにぎり」も載せました。
そして、新作を書いていただくことができ、「何か」を最後に収録しています。
▲谷川俊太郎さんが青い鳥文庫の詩集のために書き下ろした新作『何か』は、最後に収録されている。(『谷川俊太郎詩集 たったいま』もくじより)
「地球へのバラード」は、私がはじめて出会った谷川さんの合唱曲でした。そのときは、こんな日が来るとは思ってもみませんでした。
それを谷川さんに話してみようと思ったのですが、全人類を、すべての生き物を、宇宙の森羅万象を歌っている谷川さんに、入社試験などという、そんなチマチマしたエピソードはあまりに似つかわしくなく、とても話せませんでした。
話せないまま、収録作品にも入れませんでした。それでも、私の選んだ作品のリストを見て、谷川さんはそのままオーケーしてくださいました。
だから話してみたらよかったかもしれません。
▲谷川俊太郎さんの世界観を、美しく静謐に表現した広瀬弦さんのイラスト(『谷川俊太郎詩集 たったいま』より)
絵は広瀬弦さんが、幻想的なすばらしいイラストを描いてくださいました。広瀬さんは、佐野洋子さんの息子さんです。
2019年に、ようやく刊行できました。
いろいろつながった仕事でした。
この詩集を出してからは、たびたび取材のアテンドで谷川さんをお訪ねしました。
いつもにこやかに迎えてくださいました。
「地球へのバラード」の終曲「地球へのピクニック」には、“地球人”のふつうの営みが語られています。
私は谷川さんの前で、いつも緊張していたのでした。
ご冥福をお祈りいたします。
(文/山田智幸野)
谷川俊太郎さんの名詩に、えがしらみちこさんが"卒業の日に「私」が思うこと"というイメージを膨らませ描いた美しい絵をそえて。新しい道を歩き出す人に贈りたい、珠玉の絵本。