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​【第173回直木賞候補作品から(2) 芦沢央さん「嘘と隣人」】 引退した刑事が直面する、ともすると見えない「悪意」。「捜査権なき捜査」が行き着く場所は

アットエス

静岡新聞論説委員がお届けするアートやカルチャーに関するコラム。7月16日発表の第173回直木賞の候補作品を紹介する不定期連載。2回目は芦沢央さん「嘘と隣人」(文藝春秋)。

芦沢さんは2018年の怪談ミステリー「火のないところに煙は」(新潮社)が第7回静岡書店大賞小説部門で大賞に選ばれた。主要な文学賞を得るのは初めてだった。静岡県内の書店や図書館の関係者は心の片隅で「自分たちが世に送り出した」と思っていることだろう。直木賞候補は2020年の「汚れた手をそこで拭かない」(文藝春秋)以来2回目となる。

「嘘と隣人」は2022年の「夜の道標」(中央公論新社)に出てくる刑事の平良正太郎が主人公。新作における正太郎は警察を定年退職し、1年半がたっている。東急田園都市線たまプラーザ駅周辺の賃貸マンションで、妻と2人の生活。退職金で手に入るぐらいの、ささやかなついのすみかを探している。

刑事だったとはいえ、ミステリーの主人公には不適格ではないかというぐらい、何も起こらなそうな設定。だが、芦沢さんは平々凡々な日常の中に潜む大小の悪意を用意する。ママ友同士のちょっとした人間関係を気にする女。ストーカー化した元パートナーに悩む男。勤め先の引っ越し会社で搾取や人権侵害に直面する外国人労働者。

正太郎は、元刑事ゆえに彼らが直面する悪意に対し、時に巻き込まれ、時に自ら首を突っ込んで関わってしまう。そして、事象の背後にある真実を解き明かそうとする。リタイアしているのに心は刑事そのままだし、周囲も元刑事としての振る舞いを期待する。

警察を辞めているから「捜査権」がない。逮捕拘留して取り調べることはもちろんできないし、口の重い相手に警察手帳を示して何らかの証言を得ることもできない。こうした足かせが、ミステリーのスパイスとして機能している。

ただ、刑事だったからこその直感や観察眼が、結果的に見えない事象を浮かび上がらせてしまう。いくつかの事件解決や知りたかった真実の提示があるが、爽快感より後味の悪さが残る場合もある。このあたり、実に芦沢さんらしい。

ミステリーというジャンルの拡張を頭に置いているようにも読める。そして何より、読者を震撼させる力がある。平穏無事な私たちの生活のあちこちに、実は悪意の種がばらまかれているのではないか。悪意に巻き込まれているのは正太郎だけではない。読者も当事者なのだ。

(は)

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