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【若く美しいカリスマ皇帝が豹変】 狂気に取り憑かれたカリギュラの最期

草の実堂

画像:母と兄の遺灰を先祖の墓に安置するカリギュラ(ウスタシュ・ル・シュウール画1647年)public domain

若く美しい皇帝が期待を背負いながら、ある瞬間を境に独裁者へと豹変したなら、民衆にとってはまさに悪夢の治世と言えるでしょう。

このような出来事が、ローマ帝国の歴史に実際に存在しました。

その主人公となったのが、第3代ローマ皇帝として知られるカリギュラです。

はたして彼の生涯と政治は、どのようなものであったのでしょうか。

愛された幼少時代

画像:カリギュラの胸像 wiki c Louis le Grand

紀元12年、カリギュラことガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクスは、ローマ帝国の第2代皇帝ティベリウスの甥であるゲルマニクスを父として誕生しました。

父ゲルマニクスは、知性と寛容さにあふれる人物で、人望が厚く、軍からも絶大な信頼を集め、次期皇帝候補と目されていた人物です。

幼少期、カリギュラはその父に連れられ、辺境の属州にある軍営で過ごしました。

当時、彼は「カリガ」と呼ばれる小さな軍靴を履いてよちよちと歩き回っていたため、兵士たちに大変可愛がられ、「カリギュラ」(小さな軍靴)という愛称がつけられたのです。

急変する運命

画像:第2代皇帝ティベリウス帝の胸像 public domain

ところが、紀元19年に父ゲルマニクスが急逝すると、カリギュラの運命は一変します。

母アグリッピナと兄たちまでも、謀反を恐れるティベリウス帝によって次々に追放され、その後命を落としたのです。

残された幼いカリギュラには為す術もなく、曾祖母と祖母の元で養育された後は、ティベリウス帝に対して、徹底して恭順と隷従の態度を取り続けるしかありませんでした。

カリギュラの演技力が天性のものだったのか、ティベリウス帝は彼の忠誠を信じ、執政官の地位を与えました。さらに、35年にはティベリウス帝の孫ティベリウス・ゲメッルスと共に、共同皇帝として帝位後継者に指名したのです。

そして、37年にティベリウス帝が没すると、カリギュラは近衛隊長官マクロの支援を得て、幸運にも皇帝の座に就くことができました。

好調な滑り出しと暗雲

画像:母と兄の遺灰を先祖の墓に安置するカリギュラ (ウスタシュ・ル・シュウール画1647年) public domain

カリギュラが25歳で新たに皇帝に即位すると、その弁舌の爽やかさと陽気な性格にローマ市民は歓喜しました。

特に、敬愛されていた父ゲルマニクスの記憶がまだ新しかったため、その血を引くカリギュラが、前帝ティベリウスの時代の鬱屈した雰囲気を一掃し、明るい新時代を築いてくれるだろうと大いに期待されたのです。

そして、その期待に応えるように、カリギュラの治世の始まりは実に順調でした。

新皇帝として、カリギュラはティベリウス帝の下で断罪され、追放されていた人々を元の地位に戻し、さらに散逸していた母と兄弟たちの遺骨を集めてアウグストゥス廟に安置し、彼らの名誉を回復させました。また、ティベリウスが禁じていた剣闘試合や各種の見世物も次々に復活させ、ローマ市民を大いに喜ばせたのです。

さらに、先の皇帝アウグストゥスとティベリウスの名義で保有されていた莫大な財産を、気前よく市民にばら撒いたことも、新皇帝としての支持を得るうえで大きな効果がありました。

しかし、その数か月後、事態は一転し、カリギュラの運命に暗雲が立ち込め始めます。

もともと癇癪の発作を持っていた彼は、帝位に就いてから生活が一層放縦になり、その矢先に突然の重い病にかかってしまいます。
病状は極めて深刻で、一時は生死の境をさまようほどでした。

九死に一生を得て回復したカリギュラでしたが、この病を境に、次第に正常な判断力を失っていくのです。

豹変と狂気

画像:孫のカリギュラによって命を絶たれた祖母アントニア public domain

病から回復し、再び人々の前に現れたカリギュラの容貌は、以前とは見違えるほど変わり果てていました。

首は異様に細長く、頬はこけ、目は落ちくぼみ、頭髪を失い、体は山羊のように体毛に覆われていました。若々しく颯爽としていた病前の面影はもはや残っておらず、その姿は人々に驚きと不安を与えました。

変わったのは容貌だけではありません。カリギュラは一日に三時間以上眠ることができず、前帝ティベリウスの影に怯え、強迫観念に苛まれながら宮殿の広間を歩き回るようになりました。

狂気の皇帝と化したカリギュラは、姉ドルシラを偏愛し、妹アグリッピナまでも自らの欲望の対象としていきました。自身をエジプトのファラオになぞらえ、血筋を誇示するかのように近親の関係を求めますが、38年にドルシラが夭逝してしまいます。

深い悲しみに沈んだカリギュラは、服喪の期間中「家族と談笑したり食事をとった者を死刑に処す」という、異常性を見せ始めます。

さらに、カリギュラの嗜好は残虐性を増し、日に日に異常さが増していきます。

罪人の死刑や拷問に好んで立ち会い、さらには高位高官や親族ですらも残酷な処罰の対象としたのです。元老院議員の約十分の一が命を落とし、かつて人民に愛された祖母さえも彼の手によって命を奪われました。

さらに、カリギュラの皇帝即位に貢献した近衛隊長官マクロさえも、処刑の犠牲者となったのです。

続く悪夢とその終わり

画像:カリギュラの暗殺後、カーテンの後ろに隠れていたクラウディウスを皇帝に推挙するプラエトリアニ (ローレンス・アルマ=タデマ画、1871年)public domain

カリギュラの暴政は、ついには国の財政までも逼迫させていきます。

桁外れの贅沢を好み、次々と建設事業を乱発し、先代の皇帝たちが築き上げた莫大な財産を、瞬く間に使い果たしてしまったのです。

資金が尽きたカリギュラは、国民に対し死後の遺産の一部を皇帝に寄贈するよう義務付け、それにも満足できず、今度は富裕層だけを狙い、根拠のない反逆罪を捏造して処刑し、財産を没収するようになりました。

金策のためにありとあらゆる新税がひねり出され、売春を行う者は一日ごとに納税が課せられるようになります。しかも、その対象は既に商売をやめた者にまで遡ったのです。

売春への課税に味を占めたカリギュラは、皇帝でありながら自ら宮殿内に大掛かりな娼家まで作らせました。

人心と風紀は乱れ、カリギュラの暴政に疲れ果てた貴族たちは皇帝の打倒を密かに企てますが、いずれも事前に運悪く露見してしまいます。そして謀反人たちは、見せしめに様々な拷問にかけられて命を落としていきました。

しかし紀元41年、ついにカリギュラは近衛隊副官カシウス・カエレアとコルネウス・サビスヌの手によって、最期を迎えることになります。

「皇帝が殺された」という噂は、瞬く間にローマ中に広まりましたが、カリギュラの恐怖政治に怯えていた市民たちはしばらく半信半疑の状態だったといいます。

カリギュラの死が事実と判明すると、民衆は彼の像を次々に破壊していきました。

彼の死後に見つかった二冊の手記には、これから粛清しようとしていた人物の名が多く記され、アレクサンドリアへの遷都計画までが含まれていたと伝えられています。

狂気の末に最期を迎えたカリギュラが築こうとした「理想の帝国」は、こうして潰えたのでした。

参考文献:『処刑台から見た世界史 桐生 操』
文 / 草の実堂編集部

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