陸っぱりライトゲームアングラーにとっての【釣りでの最高の思い出と最低の思い出】
釣りは楽しいものだが、自然相手の勝負なので、勝ち負けがはっきりする。負けたときの記憶といったら、ちょっとたまらないものがある。かくいう筆者も先日、今年は絶対するまいと決めていたボウズを早速やってしまい、気持ちは灰色だ。しかしそんな最低の思い出を覆して余りある最高の思い出もあるからこそ、釣りはやめられない。個人的なことになるが、釣りにまつわる思い出を振り返ってみたい。
最高の思い出、最低の思い出
「人生山あり谷あり」という言葉が、釣りの世界にもそのまま通用する。釣りにも山あり谷あり、道中で多くの出会いと別れがある。幸いにして一人前のアングラーに成長した人にとっては、釣りとの出会いそのものが最高の思い出ともいえるだろう。私は父に教えられて須磨の沖堤防で主に小物釣りの方法を覚えたが、当時の風景を今でも忘れることはない。父とは後年複雑な関係になってしまったが、その点には大きな感謝がある。
しかし釣りを続けていく中で、最高到達点と思える瞬間もあれば、反対に「最低」とまったく何もかも捨て去りたい気持ちになったこともあった。本当にごく最近でいえば先日ボウズをしてしまったし(低水温なのにはしゃいでメバリングに行ってしまったのだ)、その際いらぬミスも犯した。だがこのような嫌な思い出が、逆に次なる魚との出会いにおける「溜め」になって、感動を大きくしてくれるのも確かである。
特別な魚たちと出会えたとき
釣りをしていて何が「最高」と思えるかといえば、魚たちとの出会いに違いない。
やはりランカークラスといわれる大型サイズを釣り上げたときの喜びに勝るものはないだろう。筆者はメバル、チヌ、マゴチで達成しているが、チヌとマゴチという魚も自分の好きなLTで取り切ったのが誇りである。あまりオカッパリでマゴチのランカーを出せる人もいないだろう。奇跡の魚だった。
また人の倍以上に物に頓着する私にとっては、美しい道具との出会いも至福のひと時である。5年ほど前に購入した19ヴァンキッシュというリールは、とりわけ私の釣り道具人生の中で、強い輝きを放つ一等星である。シルキーでほろっと涙がこぼれるほどの軽い巻き感――私の最大の相棒である。
最低の思い出は事故・破損
これは普通に釣りをしていてあまり巡り合うことではないと思うのだが、私は不運にして釣りの帰りに単独の交通事故をしてしまったことがある。買い換えたハイブリッドカーが三か月でパーになってしまったので、これは悔いるものがあった。しかしその際、自分の持病を知ることになり、そこから「いつ死ぬかわからないから、その場その場、結構図太くいこう」というような人生観ないし悟りを得ることにもなったので、それはそれでいい。
そんな不幸な出来事よりも地味に心に突き刺さって棘を残すのが、道具の破損だ。バラした魚はすぐに吹っ切れる私だが、ロッドの破損などはいつまでも覚えている。「ちょっと俺ばっかり、多くないか?どういうことだ」と思うほどロッドやタモを折ったりするのだ(タモは一年で三度折ったことがある)。
こればかりは常々自分の不信仰が祟っているのかもしれない。神仏を尊ぶ心など今さら持ったところでどこまで徳が上がるかわからないほどの愚を犯してきたが、悪人正機。ネバー・トゥー・レイトか。
未来永劫のゲインは釣りを始めたこと
釣り人が持ちうる最大の利得、生涯のゲインはやはり釣りを始めたこ とそのものに違いない。こればかりは皆さん共通してそうではないだろうか。
この極寒の冬季にろくすっぽ釣りをしていないと、やり方までは忘れないが、生きている感じはまったくしていない。人生には釣りが必要だ、と強く思う。
<井上海生/TSURINEWSライター>