【東京レトロゲームさんぽ】レトロパソコン(PC-8801シリーズ)~80年代キッズみんなが憧れた未来の象徴
1980~90年代、電気店の店頭や徐々にでき始めたパソコンショップなどで最先端機器だったパソコン(以下PC)と、そこで動いているゲームを見て強烈な憧れを抱いたキッズは相当数いたはずだ。
PC-8801とは?
NECが開発・発売。初代が登場したのは1981年。当初はビジネス向けの色が強かったが、1985年にグラフィックとサウンドが強化されたPC-8801 mk Ⅱ SRが登場したことでホビー機として熱視線を浴びた。一世を風靡してから40年経った今でも稼働する機体も多く、腕に自信があれば自分での修理も可能だ。また、今回取材した『BEEP秋葉原』のようにレストアしたものを販売する店も存在する。
PC-8801が買えるのはここ!
BEEP 秋葉原
住所:東京都千代田区外神田3-9-8 中栄ビルB1/営業時間:11:00~20:00/定休日:水/アクセス:JR・地下鉄・つくばエクスプレス秋葉原駅から徒歩4分
ひと味違う聡明さと未来感
ファミコンの登場は1983年で、爆発的ヒットになるのは85年以降だが、ゲームセンターは黄金期、ゲーム&ウオッチなどの液晶ゲーム機やLSIゲームも人気で、ゲーム文化そのものは80年代初頭に花開いていた。
そのなかでも、PC用ゲームはひと味違う聡明さと未来感を持ち合わせていた。とはいうものの、80年代前半はまだグラフィックがつたなく、音楽は無いか、あってもBEEP音と呼ばれる機械音だった。それが85年、PC-8801 mk Ⅱ SRの登場で一変。美しいカラー画像と音楽を得て、比較的安価(といっても最上位機で25万8000円もしたが*)で大人気となった。
*1985年の大卒平均月収は約24万円。
SHARPや富士通などのライバル社の製品が多数あるなか、SRは何かが突出して優れていたというわけではないが、性能と価格のバランスが抜群だった。さらにSRの廉価版であるFRが同年発売されると、最上位機で18万円弱だったこともあり「もしかしたら手が届くかも?」と購買欲をあおり、人気が加速していったのだ。
また、家庭用ゲーム機の歴史はファミコンと共に語られることが多いが、その黎明期を支えたロールプレイングゲーム(RPG)人気は、そもそもPCで火が付いたのだ。86年に『ドラゴンクエスト』が出た時も、88が欲しくて指をくわえていたキッズが「PCのようなゲームがウチでできる!」という感覚があったものだ。『ドラクエ』『ファイナルファンタジー』の初期シリーズですら『夢幻の心臓』や『ファンタジアン』といったPC用RPGから影響を受けていることは明らかだ。PCゲームは、当時の作り手にも憧れだったのだろう。
『ドラゴンクエストⅢ』が登場した88年以降になると、RPGの主戦場は家庭用ゲーム機市場となり、90年代には美少女ゲームの時代がくる。その流れから今ソシャゲで有名な『Fate』なども生まれるのだが、それはまた別の機会に。
AVGが開いた「ゲームの地平」
1980年代前半、RPG以前にパソコンゲームにキッズを引き付けたのが「アドベンチャーゲーム(AVG)」だ。一枚絵(初期はテキストしかないものも多い)が表示され、そこに提示された状況を解決するのにキーボードで答えを打ち込んでいく形が基本だった。物語を進め新しい画面を見るために推理し、答えを探すという遊び方が新鮮だった。
『デゼニランド』『新竹取物語』など名作も多く、このジャンルから生まれたクリエイターも多い。その筆頭が堀井雄二氏だ。
上写真の『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』は氏が原作・脚本などを担当した傑作本格ミステリで、2024年9月にリメイク作が発売され話題になっている。当時のゲームの名作はリメイクもの・移植ものなど現代のゲーム機でプレイできることも多い。初代版に挑戦する前に令和版から始めてみては。
取材・文=来栖美憂 撮影=高野尚人
『散歩の達人』2024年11月号より
来栖美憂
フリーライター
雑誌・新聞・ネットなどメディアを問わず、記事の取材・執筆を中心に活躍。著書多数。ゲーム関係では雑誌『月刊アルカディア』『闘劇魂』『GAME JAPAN』など各誌で執筆。近著に『サムライスピリッツネオジオコレクション対戦攻略ガイド』(スタンダーズ)。