きょうで終わる“70年の歴史” 年間3億回利用されたサービス「177」の軌跡を振り返る
電話で天気予報が聞けるダイヤル「177」はご存じでしょうか?
知りたい地域の市外局番+177をダイヤルすることで、きょうとあすの天気や風、気温などの天気予報を音声で教えてくれるサービスです。
スマートフォンはおろか、インターネットもない時代、いつでも天気予報を聞ける「177」にはお世話になった方も多かったのではないでしょうか?
しかし、昨今は気象情報を確認する手段の多様化や、固定電話の利用が減少していることに伴って「177」は3月末をもってサービスが終了することになりました。
気象予報士の私・篠田勇弥も、HBCウェザーセンターで働き始める前、自動音声入力の業務に携わった経験もあり、思い入れがある番号です。
そこで、サービスが開始した1955年以来、70年の歴史に幕を閉じる「177」について振り返ってみたいと思います。
連載「気象予報士コラム・お天気を味方に」
177のはじまり
時は遡り1946年2月、中央気象台(現気象庁)の予報課に「天気相談所」が開設されました。天気相談所は電話で直接気象台の職員に天気について聞くことができるため、開設から年々問い合わせが多くなったようです。
当時、3台あった電話機は、朝から晩まで鳴り続け、対応に苦慮した気象台が関東電気通信局の職員と共にテープレコーダーと電話を直結するシステムを生み出しました。
1954年6月1日の「気象の日」に合わせて、新手の天気相談としてテープでの対応を始めましたが、それでも対応が追い付きませんでした。その後、機械的に案内する方法が検討され、商用試験を経て1955年1月1日に正式に「天気予報サービス」が誕生することになりました。## はじめは番号バラバラ
天気予報サービスの番号は、1954年9月1日東京で商用試験が始められたときは「一般の電話番号」でした。次いで、同年9月22日には「222」が使われ、名古屋「501」、京都「288」、・・・と順次全国へ拡大されていったものの、地域によって番号はバラバラだったようです。
サービス開始から10年近くたった1964年3月に全国的に「177」に統一されました。
この番号は「イイ テンキニ ナレナレ」という“記憶術”が考案され「177」という番号になったもので、当時は覚えやすいと評判になったようです。
吹き込みから自動音声へ
「177」はサービス開始から1997年頃までは担当者が音声の吹込みをしていました。朝、昼、夕方など予報が新しくなるタイミングだけではなく、警報が出たときや台風が接近している時などは随時新たに吹き込みをできる体制をとっていたようです。
また、当時は177にダイヤルした際に流れる「ピンポンパンポーン」という音も担当者がその都度鉄琴を叩いて音を入れていたようです。
1998年頃からは直接音声を吹き込む時代は終わり、天気予報(晴れ、雨など)は自動でアナウンサーの音声を単語ごとに組み合わせる合成音声に変わっていきました。
気圧配置などの天気概況は担当者が手動で単語や短い文章の音声を組み合わせて作成しており、私自身、過去にこの業務を担当したこともありました。
自分の作成した文章が電話で流れることを思うとはじめは緊張した覚えがあります。
さらに時が進み2019年頃になると、気象情報をもとに全自動で音声ファイルを生成する形式に変わりました。
一年で3億回!?
1988年ごろには年間3億回、一日あたりおよそ82万回も利用されていました。
しかし、インターネットの普及などで手軽に天気情報を得られるようになったことで利用者は減少し、おととしには年間556万回、1日あたり1万5000回ほどになっていたということです。
一日1万5000回と聞くとまだまだ多いように感じますが、1988年と比べるとおよそ50分の1まで利用回数が減少しています。
70年もの長い間、簡単に情報が手に入らない時代から活躍した「177」。
音声でいつでも天気予報が聞けるという独自性を持つ「177」のサービス終了には現場で関わった私自身、寂しさやもったいなさを感じます。
地球温暖化などの影響により、気象情報の重要性が一層増している昨今。
地域の生活に寄り添える気象情報を目指して今後も放送やSitakkeの連載で、天気についての話題をお届けしていきます。
文: HBCウェザーセンター 気象予報士 篠田勇弥
札幌生まれ札幌育ちの気象予報士、防災士、熱中症予防指導員。 気温など気象に関する記録を調べるのが得意。 趣味はドライブ。一日で数百キロ運転することもしばしば。
HBCウェザーセンターのインスタグラムでも、予報士のゆる~い日常も見られますよ。
※掲載の情報は記事執筆時(2025年3月)の情報に基づきます
※HBC報道部や日本気象協会の情報をもとに作成。画像はHBCニュースより