彫刻家・平野富山のお噺し(その壱)
2024年9月15日放送の「静岡市歴史めぐりまち噺し」。今日は、彫刻家・平野富山のお噺しです。
語り:春風亭昇太
木彫りに日本画絵の具で色をつけて作られる彩色木彫。仏像彫刻にも見られる技法です。
近代日本を代表する、彩色木彫家のひとりと評される平野富山、本名、平野冨三は、1911年、明治44年に静岡県庵原郡江尻町、現在の静岡市清水区江尻東に生まれました。
関東大震災で清水に避難してきた人形師・池野哲仙と出会い彫刻を志すようになった富山は、17歳のときに哲仙と共に上京して弟子入りし、およそ8年間にわたって彫刻と彩色を学びます。
富山の転機となったのは、師匠の哲仙のもとに自身の作品の彩色を依頼しに来た近代日本木彫の巨匠・平櫛田中との出会いでした。
田中の作品を手がけている最中の昭和11年、哲仙が56歳の若さで亡くなり、25歳の富山がその跡を継ぐことになります。
哲仙の死後、富山は田中の厚い信頼を得て、およそ半世紀にわたって数多くの田中作品の彩色を担当しました。
また昭和12年から、人形研究団体 日本人形社に加わり、人形界の気鋭たちと、様々な表現に挑戦しました。
昭和50年代になると、田中からの彩色の仕事に区切りがつき、富山は自らが彩色木彫家としての円熟期を迎えます。
平成元年に78歳でその生涯を終えた平野富山。およそ60年間にわたった創作活動の中で、伝統的な題材から今日的な女性像まで超絶技巧ともいうべき作品を数多く残しました。
静岡市歴史めぐりまち噺し、今日のお噺しはこれにて。 <!-- tag:/area:静岡市清水区 -->