<義母、施設へ行って!>性格ガラリ「お前が盗ったんだろ!」キツい介護に夫が決断【まんが】
私(マキコ)は、もうすぐ還暦を迎える主婦です。結婚したとき義父はすでに亡くなっており、夫の唯一の家族である義母との同居生活がはじまりました。義母はとても明るく気立てのいい人でした。しかしここ数年、認知症の症状が進みはじめてから性格が変わったようになり、身体の機能も少しずつ落ちてきたのです。夫は「自分の親だから」と、仕事のかたわら懸命に面倒をみていて、私もパートをしながら手伝ってきました。ただそれもそろそろ限界です。私たちは義母を高齢者施設に入れることをケアマネージャーさんに相談していました。
義母は何をしても私を責めることはなく、一番の味方でいてくれました。育児にも協力してくれ、おかげで子どもたちも立派に成長。長男のマサトは結婚し、次男のユウトは都心で働いています。しかし義母に認知症の症状が見られはじめ……。
認知症の症状が進んでからは、義母は時おり性格が変わったかのような言動をすることがありました。「終わり」が見えないまま症状はどんどん酷くなり、私たちの日常をも蝕んでいくのです。それでも何とか自宅で頑張ってきましたが、私たちはそろそろ限界でした。
同居生活は穏やかな日常でした。義母との仲も良好で、私は義母のことが大好きでした。しかし子どもたちの自立を見送り、これからのんびり暮らしていこうと思った矢先、義母に認知症の症状が見られはじめたのです。 最初は軽いものだったし、夫婦で見守っていこうと思っていました。しかしどんどん手がかからなくなる育児とは違い、介護はどんどん大変になってくるのです。やがて義母から目を離すことが難しくなってきてしまい、まとまった睡眠も取れなくなりました。私たちが日常生活を送ること自体が困難になり、ついに夫が高齢者施設に義母を入れることを決断したのです。運よく近くの施設に入れることになったのですが、義母は頑なに入居を拒むのでした。
本人の納得って必要?「もう限界!」耐え続けるしかない生活
「お願いだよ……家にいさせてよ……」悲しそうに訴える義母に、私たちはそれ以上話を進めることができませんでした。帰っていく職員さんを見送りながら、私は愕然としていました。この先もこんな生活が続くかと思うとぞっとします。
「そりゃ、騙した罪悪感はあるよ? でもあのまま自宅にいられたら、家族みんなが体力的にも精神的にも持たなかったと思うから。結果的に今笑顔で会いに行けているから、良かったのかなーって思っている」「そっか……」
義母の「絶対にイヤ!」という反応に若干絶望してしまった私。義母が首を縦に振らない限りずっとこの生活が続くのかと考えただけでも、辛くなってきてしまいました。施設の職員さんに「ご本人が納得してから」と言われてしまった以上、義母の気持ちが変わるのを待つしかないのでしょうか? けれどそんな日は来るのでしょうか……? 悩んだ私が職場の同僚に相談すると、皆同じような経験をしてきていることが分かりました。こんなときの対応に正解はないのかもしれません。自分たち家族がどうしていきたいか……それをしっかり見極めるべきなのだなと感じています。
失禁にショック!!涙を流し、あやまる姿に「年をとる」実感
「もう一度しっかり話し合った方がいいよ。家族がこんな状態になっているのにお義母さんの要望ばっかり聞いていられないし」「徐々に施設に慣れていってもらうところからはじめる方法もあるよね」同僚と話をして、少しだけ気が楽になりました。
帰宅をすると義母がお漏らしをしていました。義母はたまに、昔の性格に戻ったかのようになるのです。汚れた床を拭いたり着替えを用意したりと世話をする私に、涙を流して謝る義母。その姿を見ていると、私も涙が出てきてしまいました。
介護をしている家族が限界になってからの行動では遅い……。同僚の言葉が私の背中を押してくれました。本人がどんなに嫌がっても、決断をしないといけないことはあるのかもしれません。若い頃の義母は、本当に私を助けてくれました。だから私も精一杯義母を支えようと思って頑張ってきました。しかしもうこれ以上どうすることもできないのです。これからますます症状が進むであろう義母を自宅で介護し続けることは無理でした。 昔の義母は子どもたちのお漏らしをテキパキと片付け、着替えさせてくれました。そんな義母が今は、自分のお漏らしに何もできずただ謝るだけ。かつての元気だった頃の姿が思い出されて切なくなります。これが「年をとる」ということなのかもしれません。夫が帰宅したら、今後についてしっかりと決めたいと思います。
「女手ひとつで育ててくれてありがとう」ツライ決断をした夫
義父が亡くなってからは母一人、子一人で育ってきたのですから、最後まで面倒を見たいという夫の気持ちは本音でしょう。義母を説得しながらも、夫の脳裏には明るく気立ての良かった義母とのたくさんの大切な思い出がよぎっていたはずです。
夫は声を絞りだすように義母に語りかけます。「何でもできた母さんが、少しずついろいろなことができなくなる姿を見るのは辛かった。これまで介護をしてきたのは、たくさん助けてもらった恩義を返さないと、という一心だったんだ。でも……」
夫は辛かったと思います。義母のことは自宅で最後まで見てあげたかったでしょう。しかし現実はなかなか難しく……。いったんは施設への入居を決断したものの、義母から拒否されたことでまた迷ってしまったのだと思います。義母の気持ちと私にかかる負担との間で相当悩んだはずです。ただ最終的には私の身体のことを考えて、義母に頭を下げて説得をしてくれました。 それでも頑なに「イヤだ」と言い続けた義母。しかし「イヤだ」と言いながらも、義母の目からは涙がこぼれていました。口ではそう言いながらも、きっと夫の言葉はしっかりと心に届いていたのでしょう。かつてはあんなに優しく気立てのいい義母だったのですから。義母にたとえ「イヤだ」と言われても、私たちには決断をしなくてはならない時期が来ていました。
夫婦の葛藤「正しい」選択とは?義母の元気な笑顔に……安堵
その後、義母はショートステイの回数を増やして施設に慣れていき、職員さんと相談したタイミングで入居をしました。最初はよく職員さんに「次はいつ帰るの?」と聞いていたそうですが、うまく対応してくださってなんとか平和に過ごしているようです。
認知症の症状もだいぶ進みましたが、義母は時おりふと思い出すようです。もしあのまま自宅で介護を続けていたら、ケガをしたり事故にあったり、危険と隣り合わせだった可能性も……? こうやって笑顔でいられる日も来なかったかもしれません。
心の葛藤に揺れた数ヶ月でした。何が正解で何が不正解かも分かりません。ただこれ以上自宅で義母を見つづけていたら、私たちは介護の「終わり」を望んでしまうかもしれない……それもまた現実でした。 あれだけお世話になって大好きだった義母。幸いその最期を望んでしまうような関係性になる前に、施設に入ってもらうことができました。私はもちろん、夫からしてもとても辛い選択だったと思います。けれど、どんな選択をしても心の葛藤はあるでしょう。自分たちの選択が正しかったという自信もありません。ただ義母が元気な笑顔を見せてくれる今に幸せを感じられるのであれば、それが私たちなりの正解だったと思うようにしたいです。