クルマの役柄:伊東和彦の写真帳_私的クルマ書き残し:#30
コロナ禍の真っ最中、私の読書量は確実に増えていたと思う。小説やドキュメンタリーなどなど、目についた電子書籍をダウンロードし、ネット通販で単行本を手に入れて読み漁った。
ちょうど2020東京オリンピックの開催か延期かが話題になっていた時期でもあったから、『オリンピックの身代金』(奥田英朗著、角川e文庫)というタイトルの小説を読んでみた。電子ブックで上下刊、2冊の長編だ。
1964年の東京オリンピックの開催が開会式に迫るなか、テロで阻止しようとする学生と、この学生を逮捕しようとする警察組織の攻防を描いている。ストーリーの中核は、犯人の学生と同窓生である若いTV局員だ。
警察のエリート幹部を父親に持つという設定の彼の足は、買ったばかりの真っ赤なホンダS600だ。S600は1964年3月に発売されたばかりで、価格はオープンモデルが50万9000円だった。2人以上の勤労者世帯の月収が4万5000円(総務省資料による)ほどの時代だった。
まだ、自家用が高嶺の花だった時期あったから、中でも真っ赤なスポーツカーは異端。彼の保守的な父親は息子の選択をおおいに批判している。私はそのあたりを読みながら、S600の生産は浜松工場ではじまり、1964年5月から狭山工場に移管されているので、彼の新車は狭山工場製なのかとも思った。
彼は赤いSで、オリンピックの工事が進み、日々刻々、景観が変化する喧噪渦巻く東京を走り回る。オープンカーだから、いたる所での工事ゆえの埃っぽい町の空気や、工事の騒音、工期に追われた慌ただしさが、S600の低い運転席からの視線を通じて描かれている。
戦後の荒廃した中から、見事に復興した日本の姿を世界に誇示しようとする催しが東京オリンピックだとすれば、その時代の日本製工業製品の象徴が、サラリーマンにとっての近未来の(おそらく現実可能な)夢として近づいてきたマイカーとしての自動車だ。名神高速が開通し、鈴鹿サーキットで日本グランプリレースが開催され、ちょうど日本のクルマが高速走行時代を迎える転換期に差し掛かっていた時期だった。
中でも赤いスポーツカーは、たとえ庶民にとっては縁遠いものとしても、オリンピック特需に沸いた好景気と、新しい時代の最先端を牽引する若者の姿と嗜好、日本の技術水準が世界に肩を並べるものに成長したことを示す象徴的な存在だと思う。ストーリーの中に大きなアメリカ車を追い抜く情景が出てくるが、それも世情を暗示しているのかもしれない。
特に戦後の企業として二輪車で世界市場を席巻した、“若い企業の”ホンダの製品はその象徴でもある。よって彼が乗る赤い日本製スポーツカー、S600は重要なキャストだ。奥田英朗氏の選択に唸った。同じ日本のオープンスポーツカーでも歴史が古い日産のフェアレディではちょっと違うと思う。
さらに輸入車ではインパクトもメッセージ性もなにもない。
だが、『オリンピックの身代金』は某TV局によってTV映画化されたが、番宣の記憶では赤いスポーツカーは輸入車(ジャガーEタイプだったと思う)になっていた。
これでは、ただの“富裕層の若者の道楽”になってしまう。だいたい、1964年の東京オリンピックを前にして、日本にあったEタイプの台数など数えるほどだったはずだ。それをいくら花形職業で高給なのかもしれないTV局員とはいえ、若い人がそう簡単に乗れるものか。そう番宣を観て私は言い放った。原作が台無しである。自動車にも、出演するものにはすべて適材適所のキャスティングがあるはずだろうに、と。
これが海外の映画では登場人物が乗るクルマにもその人物に相応しい選択が成されていると思う。最近はだいぶ日本の作品でも進化したとは思うが……。
そういえば、私が雑誌記者だったころのことだ。大手映画会社(会社名や詳しい内容は失念した)の助監督と名乗る方から、クルマの配役についての基本的な考え方を聞きたいとの手紙が舞い込んだことがあった。真摯な文面に興味を持ち、いろいろ考えたすえに返信を送ったところ、締めきり開けの絶妙なタイミングで電話をいただいた。けっこう長電話になったが、クルマの時代考証について話あった。その方が手掛けた映画にはどんなクルマが配役になっていったのだろうか。確か助監督さんは初代オースティン・ヒーレー・スプライトが候補で、カニ目のスプライトが使いたいとのことだったが……。