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房総半島の里山を走り続けて一世紀 小湊鐵道が100周年記念列車出発式(千葉県市原市)【コラム】

鉄道チャンネル

特製ヘッドマークを付けた記念列車出発式でテープカットする小出譲治市原市長、石川小湊鐵道社長、榊原義久市原商工会議所会頭=写真左から=。市原出身の小出市長は写生コンテストで小湊鐵道の絵を描いた思い出を披露しました(筆者撮影)

1925年(大正14年)……。日本では治安維持法が公布され、ドイツではヒトラーの私設部隊・ナチス親衛隊が発足、イタリアではムッソリーニが独裁宣言と、戦争の足音が忍び寄っていたこの年の3月7日、千葉県房総半島に地方鉄道が開業しました。その名は「小湊鐵道」。

東京湾岸の五井(市原市)を起点に、半島を横断して社名通り小湊(鴨川市)を目指しました。路線は上総中野(大多喜町)止まりだったものの、いすみ鉄道(旧国鉄木原線)に乗り継いで半島縦断の夢をかなえました。

それから100年。近年は沿線人口減少や相次ぐ自然災害など厳しい話題が多めですが、苦境を跳ね返すパワーの源は社員の明るさややる気。同じ会社の高速バスは羽田空港や新宿、渋谷に路線を持ち、「千葉に小湊あり」をアピールします。

本コラムは〝100歳バースデー〟の2025年3月7日、五井駅で開かれた「100周年記念事業(列車)」出発式を中心に、会社のミニヒストリーや沿線ルポをお届け。2025年初に方向が固まった鉄道再生への道のりは、別稿コラムにまとめました。

五井駅に隣接する車両基地は「五井機関区」ですが、機関車は「里山トロッコ号」のDB4だけ。駅の自由通路からキハ200をはじめとする車両群を一望できます(筆者撮影)

「12社約800人の『チーム小湊』」(石川社長)

100周年の小湊鐵道は話題満載。3月7日の出発式(記念式典)に続き、翌8日は全列車運賃無料の「記念フリー乗車デー」。ファミリーや遠来の鉄道ファンで、沿線は終日にぎわいをみせました。

7日のセレモニーは五井駅隣接の「こみなと待合室」(高速バス待合室)と駅ホームで。石川晋平社長は「当社は最近15年間で8回の自然災害に見舞われ、コロナの影響も完全に克服できていない。そうした中で。希望の光は12社約800人の『チーム小湊』。記念事業のメニューは、すべて社員が考えてくれた。200周年の2125年に向けて、スタートを切りたい」と力強く出発宣言しました。

記念事業のビューポイント。「100th Anniversary 五井~里見」の文字と、里山の花や鳥をデザインにした特製ヘッドマーク付けた記念列車が、約半年間運行されます。

記念列車の車内は万国旗で装飾されます(筆者撮影)

記念きっぷや鉄カードプレゼント、記念グッズ発売もアナウンスされます。3月20日~12月14日の特定日には、養老渓谷~大多喜(いすみ鉄道。大多喜町)の両駅を結ぶ、2階席オープンの「房総里山スカイバス」が運行されます。

沿線の催しは、I’Museum(市原歴史博物館)と市原湖畔美術館で。気になる方は、特設サイトをのぞいてみてください。

【参考】小湊鐵道開業100周年特設サイト
https://www.kominato.co.jp/100thanniversary/

日蓮の生地・小湊の誕生寺に向かう

ここからミニヒストリー。大正年間の好況で各地に鉄道建設の動きが起こり、1917年に小湊鐵道が設立されました。

目的地は旧小湊町の誕生寺。日蓮の生地として多くの信仰を集めます。鉄道建設の目的は、京成など同じく参詣者輸送でした。

100年前の1925年3月7日、最初の五井~里見間が開業。時代が昭和になった1928年、上総中野まで39.1キロが全通しました。

スポンサーは安田財閥。創始者の安田善次郎が多くの地方路線設立にかかわったことは、鉄道に詳しい方ならご存じでしょう。1943年に安田財閥は保有株を京成電気軌道に譲渡。京成グループ入りしました。

開業当時。当時の制服は今の学生服のようです(所蔵・小湊鐵道。出発式会場で筆者撮影)

小湊と京成で記憶したいのが千葉急行電鉄。小湊は1957年、千葉中央(京成千葉線、当初はJR本千葉)~海士有木(自社線)間の新線建設を構想しました。1973年に千葉県、千葉市が出資する第三セクターの千葉急行電鉄が設立され、1992年に千葉急行線が開業、1995年にはちはら台駅まで延伸開業しましたが、経営は厳しく、1998年には京成に譲渡。京成千原線として現在にいたります。

構想通りなら、京成千原線は海士有木に延伸されて小湊と接続する可能性もありました(京成は電化、小湊は非電化で、軌間も違うので相互直通はあり得ませんが)。空想の世界で、京成上野発ちはら台、海士有木経由上総中野行き「電化・非電化直通ハイブリッド・フリーゲージトレイン(?)」を走らせるのもありかもです。

主力はキハ200形

ここから車両のラインナップ。戦後まで残ったSLけん引の貨物列車は気動車に代わり、1962年までに無煙化されました(SL全廃は1956年とする資料もあります)。

SLけん引の貨物列車が養老川を渡ります。SLはDB4のモデルになった通称「コッペル」。コッペルはドイツのメーカー名です(所蔵・小湊鐵道。出発式会場で筆者撮影)

初期は国鉄払い下げ車の気動車も在籍しましたが、1961年の新型気動車・キハ200形登場で近代化。キハ200は、同時期の国鉄キハ20に似たスタイルで、半世紀以上も主力車両として活躍します。1963年夏には、国鉄気動車に連結されて千葉駅に乗り入れました。

キハ200は現在も小湊の主役ながら、2021年からの代替わりエースがキハ40。JR東日本から5両を譲受しました。

キハ40は一般列車のほか、観光急行列車としても運行。同形車は、JR東日本では観光列車への改造車を除き、定期列車から引退しています。それだけに貴重というわけです。

さらに、2015年に登場したのが観光列車「里山トロッコ号」。機関車・DB4が4両の小型客車をけん引します。
「SLなのにDB?」と思った方は、相当な鉄道ファン。先頭の機関車は見た目はSLでも、正体はDL(ディーゼル機関車)です。唯一の客車列車で、週末や夏休みなどに五井~里見~養老渓谷間を走行します。

SLライクのDLがけん引する観光列車「里山トロッコ号」。終点の養老渓谷には転車台がないため、五井行き復路は最後尾の機関車が推進運転します(筆者撮影)

「里山を走る鉄道」の面目躍如

ラストは駆け足ですが、小湊鐵道線の同乗ルポ。キャッチフレーズは「里山を走る鉄道」で、沿線は文字通り「里」と「山」に分かれます。

五井を発車してしばらくは住宅街を進みます。車窓に広がる景観は、やがて田園風景に。季節ものですが、一面の菜の花畑を行く列車は、小湊を代表するシーンでしょう。

房総半島横断の国道297号線と並走後、上総鶴舞駅付近で国道と別れて西進します。ホームにサクラがある飯給(いたぶ。難読駅です)は、撮り鉄ご用達の駅。上総大久保~養老渓谷間で養老川を渡り、車窓から蛇行する川を眺められます。

筆者が沿線ルポした2025年2月12日は、集中工事で養老渓谷~上総中野間はバス代行。通常ダイヤでは、上総中野で小湊といすみ鉄道の車両が並ぶ光景が見られます。

養老渓谷駅には足湯も。渓谷までは徒歩20分ほど。紅葉が有名な「栗又の滝」へのバス便もあります(筆者撮影)

記事:上里夏生

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