なぜ初代ドラマーはクビになった?「最も偉大なバンド」に迫る『NO ハンブルク NO ビートルズ』&『ビートルズ ‘64』
2024年はザ・ビートルズで締めくくる
2024年も暮れに迫った今、なぜかザ・ビートルズが熱い。昨年末には“最後の新曲”が発表、今年はビートルズの解散までをメンバー4人それぞれの目線で描く4作品が2027年の公開を目処に同時進行中というビッグニュースもあったが、この冬にはバンドの初期を追ったドキュメンタリーが2本も配信&公開されるのだ。
もはや興味の有無や好き嫌いを問わず人類のDNAに刷り込まれているといっても過言ではないビートルズだが、これまではお揃いのマッシュルームカットにスーツ姿、あるいはヒッピー風のサイケな風貌というイメージが広く浸透してきた。そんな彼らの初期の活動を知るのはコアなファンだけだったが、新たなドキュメンタリー公開によってそのイメージが大きく覆されるかもしれない。
ビートルズを作ったのはリヴァプールではない
12月6日(金)より公開の『NO ハンブルク NO ビートルズ』は英リヴァプール出身であるはずの彼らの礎が、じつは独ハンブルクで培われたという事実を追った作品。生前のジョン・レノンが「僕らはリヴァプールで生まれ、ハンブルクで育った」と語っていたことを裏付けるように、1960年のハンブルク初訪問の経緯から、1963年の「プリーズ・プリーズ・ミー」のヒットを経て1966年に6回目の訪問を果たすまでを、元メンバーと関係者の証言やアーカイブ映像と音声、アニメーションなどを使って生き生きと蘇らせる。
ポール・マッカートニーは「手錠で繋がれ、囚人のように飛行機に乗せられた」という、強制送還となった事件の経緯を説明。脱退したスチュアート・サトクリフと付き合ったアストリッド・キルヒヘアは、初めてビートルズの演奏を見た経緯から、スチュアートが亡くなったのを知った際のジョン、ポール、ピート・ベストの三者三様のリアクションを詳細に語る。
またリトル・リチャードは、「ジョン・レノンのような人には会ったことがない」という楽屋でのエピソードを披露。ビートルズのレコードプロデューサーだったジョージ・マーティンは、ドラマーのピート・ベストをリンゴ・スターに替えた理由を告白。リヴァプールの<キャヴァーン>でのライブまでピートが外されたと知らなかった当時からのファンは、「ピート、フォーエバー。リンゴ、ネバー」と叫んだという当時の様子を回想する。
およそ6年にわたるビートルズの初期を時系列で追体験する本作。彼らはハンブルクで何を得て、あるいは何かを捨て去ったのか? リーゼントにレザージャケット姿だったメンバーがスーツに衣替えした理由もわかるかもしれない。
『NO ハンブルク NO ビートルズ』は2024年12月6日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、池袋シネマ・ロサ、アップリンク吉祥寺他全国公開
スコセッシ製作! 完全新作のドキュメンタリー配信中
そしてディズニープラスで11月29日(金)より独占配信中なのが、あのマーティン・スコセッシ監督が製作を手掛けた完全新作ドキュメンタリー『ビートルズ ’64』だ。
1964年2月、初めて米ニューヨーク・ケネディ空港に降り立ったビートルズ。空港はそんな彼らを一目見ようと駆け付けた何千人ものファンで溢れかえったという。また、当時絶大な影響力を持っていた音楽番組<エド・サリバン・ショー>でのパフォーマンスは7,300万人以上が視聴し、72%という当時の最高視聴率を叩き出した。
本作はアメリカにおける“ビートルズ・ショック”を映し出しながら、ジョンにポール、ジョージ、リンゴの4人が、それまでとは比較にならないほどの名声を手にするまでの日々をとらえ、舞台裏により深く切り込む。さらに、音楽業界の分岐点ともいえる彼らの活躍と栄光に焦点を当てながらも、ビートルズに情熱を捧げたファンたちへの新たなインタビューを交え、彼らが作った<時代>を解き明かしていく。
プロデューサーと務めたスコセッシは自身の作品での音楽使いに対するコダワリでも知られるが、かつてジョージの妻オリヴィアから依頼を受けて『ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』(2011年)を監督しており、ビートルズとの関りは深い。本作はポールとリンゴ、オリヴィアに加え、ジョンの息子ショーン・オノ・レノンらもプロデューサーとして名を連ねている。
『ビートルズ ’64』は2024年11月29日(金)よりディズニープラスで独占配信中