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鈴木浩介、美弥るりか出演 俳人・西東三鬼の短編集『神戸・続神戸』を原作とした舞台『流々転々 KOBE 1942-1946』が上演

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『流々転々 KOBE 1942-1946』

2026年2月14日(土)・15日(日)神戸文化ホール 中ホールにて上演される、『流々転々 KOBE 1942-1946』 。この度、ビジュアル&制作陣からのコメントなど公開された。

神戸文化ホールは、開館50周年の節目となる2023年から3年間にわたり「開館50周年記念シリーズ Creating in Kobe 神戸で創る」を展開してきた。本作は、その掉尾を飾るプロデュース公演。

本公演は、俳人・西東三鬼の短編集『神戸・続神戸』(新潮文庫刊)を原作とした演劇作品。戦時下の厳しい言論統制の下、東京に絶望した西東三鬼は、1942年から神戸に移り住み、山と海を一直線に結ぶ坂道・トアロードの国際ホテルに身を寄せた。『神戸・続神戸』は、そこで体験した日々をもとに書かれた短編小説で、奇妙で鮮烈な人間模様を描いた名作として近年再評価されている。今回の『流々転々 KOBE 1942-1946』では、三鬼の小説をもとに、上演台本・山口茜が現代的な視点を織り込んだ物語を、演出・小野寺修二が独自の身体表現で舞台化。神戸に刻まれた過去の記憶と、いまを生きる私たちの視点が交わり、新たな作品として立ち上がる。

演出は、独自の身体表現を用いてスタイリッシュな作品を生み出す小野寺修二(カンパニーデラシネラ)。上演台本は、京都を拠点に活動し、原作の世界観を深い眼差しで言葉へと立ち上げる山口茜(サファリ・P/トリコ・A)。セノグラフィー(舞台美術)に杉山至(芸術文化観光専門職大学准教授)、照明に吉本有輝子、音響に横田和也、衣裳に鷲尾華子といった各分野で活躍する実力派スタッフが集結。

また、本作はアーティスト・イン・レジデンス方式で創作が進められており、これまでに神戸市内40か所以上での街歩き・リサーチを積み重ねてきた。俳人・西東三鬼が過ごした神戸を糸口にしながら、現代のまなざしで立ち上げられる新しい舞台表現でおくる。

そして東京から神戸に逃れてきた「私」を演じるのは、舞台・映像で幅広く活躍する鈴木浩介。「私」と交錯する複数の女「たち」を演じるのは、宝塚歌劇団出身で唯一無二の存在感を発揮する美弥るりか。さらに、関西を拠点に活動する注目の俳優・ダンサーや小野寺修二に加え、神戸大学からエキストラ(人間発達環境学研究科/国際人間科学部 有志)も出演。総勢19名で、身体と言葉が交錯する鮮烈な人間ドラマを創り上げる。

さらに、本公演をより身近に感じてもらうための関連イベントの開催も決定した。現時点で予定されているのは「街歩きイベント」「リーディング・ライブ」「トアロード探訪」の3本。“よりみち”するように神戸を体感できるラインナップとなっている。

演出:小野寺修二 コメント

ある日神戸文化ホールから、開館 50 周年記念プロデュース公演として、『神戸・続神戸』という小説の舞台化を考えている、というお話を伺いました。神戸にはこれまで何度か滞在し馴染み深かったのですが、神戸の街、戦時中を舞台にした作品ということで、また普段自分は身体表現を軸にしていて、物語の筋にはあまり重きを置いてこなかったこともあり、是非!と手を挙げながら、切り口についてはまだ心許なく本を手にしました。
『神戸・続神戸』には「頑強に事実だけを羅列」とありますが、書かれているエピソードは寓話と感じられることばかり。しかし調べると、そういった破天荒が当時の神戸にあったよう。闊達な空気、もたれかかり過ぎない、俯瞰し過ぎない、人と人との関係性がそこにありました。そしてそれはきっと今に繋がっている。
最初この企画を伺ったのは今となってはもう随分前で、時間がまだあるのを良いことに、折々神戸に寄らせていただき、関西ゆかりの舞台の人と会う機会を何度もいただいたり、テキストの山口茜さんが行う神戸の街のフィールドワークに同行させていただいたり、直接形にならない何かを積み重ねてきました。たくさんの場所、人と出会って脈絡のなかったそれらですが、少しずつ像が結びつつあります。
『神戸・続神戸』著者の西東三鬼自体、神戸の人ではなく、岡山で生まれ東京に出て、紆余曲折があり「脱走」して神戸に来たのですが、主人公もそのように登場します。今回も違う土地からの目線だからこその客観性で身体化し、多くの初協働となる関西ゆかりの出演者の方たちと、「神戸」を立ち上げたいと思います。

上演台本:山口茜 コメント

人は疲れている時、あるいは誰かを待つ時、とりあえずその辺の座れそうな場所に腰掛けることがある。
しばらくして疲れが和らいだら、あるいは誰かが来たら、立ち上がって目的の場所へと歩いていく。
そこに居座ることは滅多にないだろう。
今回の物語の舞台であるホテルはまさに「その辺の座れそうな場所」だった。
この物語の登場人物たちは皆、とりあえずそこに座って、戦時下を生き延びようとした。
しかし面白いのは、彼女ら、彼らもまた、「とりあえずその辺の座れそうな場所」であろうとしたことだ。
みながみな、揃いも揃って自ら他者にとっての一時的な避難場所たらんとしたことに、
私は人間の本来のあり方と神戸という土地の力を見る。
戦争は、その色を濃くしただけのように感じるのである。

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