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幻のゴッホ《芦屋のひまわり》──白樺派が託した芸術の祈り

イロハニアート

1945年8月6日、兵庫県芦屋市の山本邸が空襲により全焼し、フィンセント・ファン・ゴッホの一枚の《ひまわり》が失われました。《ひまわり》の中でも、背景にロイヤルブルーを用いたこの特徴的な作品は、白樺派の理想と日本の近代美術の夢を象徴し、日本人の精神文化にも深く根付いていた名画でした。

空襲によって焼失した《芦屋のひまわり》。画像は、二次元美術作品を忠実に写真複製したもの

, Public domain, via Wikimedia Commons.

ゴッホと《芦屋のひまわり》──情熱と狂気の象徴


ゴッホは《ひまわり》シリーズの中で、黄色い花をさまざまな背景色と組み合わせることで、色彩の調和と衝突を試みました。その中でも《芦屋のひまわり》は、深いロイヤルブルーの背景に黄色い花々を浮かび上がらせる構図で、最も劇的な色彩対比を見せています。

空襲によって焼失した《芦屋のひまわり》。画像は、二次元美術作品を忠実に写真複製したもの

, Public domain, via Wikimedia Commons.

彼が弟テオや画家仲間への手紙の中で「黄色と青の爆発的な装飾効果」について語っていたことを踏まえれば、この配色は単なる偶然ではなく、ゴッホ自身が追い求めた色の“理想的な関係”だったとも言えるでしょう。

他の《ひまわり》と比べても、《芦屋のひまわり》には、色彩に対する強い意志と挑戦が刻まれており、そこには特別な思いが込められていたと考えることができます。

ゴッホが《ひまわり》を描いたのは、1888年、南仏アルルでの滞在中。彼はこの地で“画家たちの楽園”を作るという夢を抱き、友人ポール・ゴーギャンを招いて共同生活を始めようとしていました。そのために家を整え、部屋を飾るために描いたのが、《ひまわり》でした。

フィンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり》

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明るく燃えるような黄色、躍動感のある筆致、朽ちゆく花々。これらは友情や希望と同時に、破綻と孤独の予兆でもありました。《ひまわり》はゴッホの激情と祈りが一体となった作品であり、生命と死、美と苦悩が交錯する象徴的な存在です。

当時、ゴッホは精神の不安定さと戦いながら、絵画に自らの存在意義を託していました。その姿は、後に白樺派の人々が見た“真実を生きた芸術家”そのものでした。

白樺派と山本顧弥太──魂の共鳴


1910年代、日本では雑誌『白樺』を中心に、西洋の思想や芸術を紹介する運動が起こります。武者小路実篤、志賀直哉、柳宗悦らを中心とする白樺派の面々は、当時の日本社会において画期的な存在でした。彼らは形式美よりも“生き方”としての芸術を重視し、ゴッホに強い関心を寄せていきます。

『白樺』創刊号

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白樺派が注目したのは、ゴッホの生涯そのものでした。病と貧困に苛まれながらも、人間と自然への深い共感を込めて筆を握り続けたその姿勢に、彼らは真の芸術家の魂を見出したのです。志賀直哉は「ゴッホの絵には人間の苦しみと美しさがある」と評し、柳宗悦はゴッホの芸術を通して“普遍的な美”の可能性を感じ取っていました。
そんな白樺派の思想に賛同し、実際の支援者として名乗りを上げたのが、大阪で綿織物で財を成した山本顧弥太でした。彼は武者小路実篤のすすめに応じ、1920年にゴッホの《ひまわり》を購入します。この作品こそが、後に「芦屋のひまわり」と呼ばれることとなります。

展示と頓挫した夢──幻の白樺美術館


白樺派は《芦屋のひまわり》を中核に据えた「白樺美術館」設立を構想していました。芸術家の魂を尊重し、誰もが自由に鑑賞できる場を作りたいという願いは、当時の日本において先進的なものでした。しかし、金融恐慌や関東大震災の影響を受け、この構想はやがて頓挫してしまいます。

神戸の実業家、山本顧彌太

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結果として、《芦屋のひまわり》は山本顧弥太の私邸に飾られることとなりました。それでも山本はこの作品を手放すことなく、応接間の壁に大切に掛けていました。彼はその後、会社を閉じ、邸宅を売却するに至りますが、《芦屋のひまわり》だけは手元に残します。そこには、芸術がもたらす力への深い信頼があったのでしょう。
日本国内では、大正10年(1921年)に東京・上野、そして大正13年(1924年)に大阪・天王寺で展示されましたが、わずか14日間だけの公開にとどまりました。その希少性もまた、作品に神秘性を与える要因となりました。

戦火と喪失──終戦前夜の悲劇


時代はさらに暗転します。日中戦争、太平洋戦争と戦火が広がる中、山本は作品の安全を案じて大阪の銀行に保管を依頼しますが、「湿度が高く、絵画が劣化する恐れがある」として断られます。こうして《芦屋のひまわり》は再び芦屋の邸宅に戻り、戦火の只中に置かれることになってしまいます。

《芦屋のひまわり》の前に左から山本顧弥太、武者小路実篤

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1945年8月6日、神戸空襲の炎が芦屋にも及びます。《芦屋のひまわり》は壁にしっかりと固定されていたために移動が間に合わず、邸宅とともに灰燼に帰します。それは、終戦のわずか9日前の出来事でした。日本が希望を失いかけていたあの夏、ひとつの芸術の灯火もまた静かに消えていったのです。

再現と継承──記憶の中に咲き続ける《芦屋のひまわり》


《芦屋のひまわり》は戦火によって焼失しましたが、その存在は今なお現代の私たちに深く影を落としています。2000年代に入り、大塚国際美術館ではこの幻の名画を原寸大の陶板画として忠実に再現しました。他の6点の《ひまわり》と並んで展示されるその姿は、鑑賞者に深い感動を与え、失われた芸術の記憶を呼び覚まします。

陶板画として復活した《芦屋のひまわり》大塚国際美術館(筆者撮影)

また1987年には、安田火災海上保険(現・損保ジャパン)がロンドンのクリスティーズにてゴッホの別の《ひまわり》を約53億円で落札し、東京・新宿にあるSOMPO美術館に所蔵されることとなりました。これにより、日本国内で再び《ひまわり》を目にすることが可能になり、ゴッホという芸術家と日本人の精神的なつながりが今も息づいていることを象徴しています。

再び日本のやってきた《ひまわり》SOMPO美術館(筆者撮影)

オリジナルの《芦屋のひまわり》は、もはや物質としては存在しません。しかしその喪失が残したものはあまりに大きく、白樺派が夢見た理想、山本顧弥太の覚悟と祈り、そして芸術が持つ力の証として、今もなお語り継がれています。ゴッホが筆に託した魂の炎は、静かに、しかし確かに、私たちの心の中に咲き続けているのです。

参考文献)
・Great Paintings Explained: Sunflowers by Vincent Van Gogh
https://christopherpjones.medium.com/great-paintings-explained-sunflowers-by-vincent-van-gogh-76d2fdbadf66

・日本にあった幻の「ひまわり」 失われた作品の切ないお話
https://mmms.me/articles/bluesea/1027

・ゴッホの「ひまわり」は7枚ある?描かれた理由について詳しく解説
https://media.thisisgallery.com/20214255

・ゴッホ作 幻の「ヒマワリ」追加展示 - 大塚国際美術館
https://o-museum.or.jp/pages/84/

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