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2つの「アパート」から見えてくる、韓国社会の移り変わり【連載】金光英実「ことばで歩く韓国のいま」

NHK出版デジタルマガジン

2つの「アパート」から見えてくる、韓国社会の移り変わり【連載】金光英実「ことばで歩く韓国のいま」

人気韓国ドラマ『梨泰院クラス』『涙の女王』などを手掛けた字幕翻訳家が、韓国のいまを伝えます

 流行語、新語、造語、スラング、ネットミーム……人々の間で生き生きと交わされる言葉の数々は、その社会の姿をありのままに映す鏡です。本連載では、人気韓国ドラマ『梨泰院クラス』『涙の女王』などを手掛けた字幕翻訳家が、辞書には載っていない、けれども韓国では当たり前のように使われている言葉を毎回ひとつ取り上げ、その背景にある文化や慣習を紹介します。第1回から読む方はこちら。

#3 아파트(アパトゥ)

 ここはソウル繁華街の居酒屋。隣のテーブルから突然、大きな声が聞こえてきた。

「アーパツ、アパツ! アーパツ、アパツ!」

 若者たちがリズムにあわせて数字を唱えながら、手を重ね合わせている。仲間内での飲み会ゲーム「아파트(アパトゥ)」だ。

 そんな彼らの様子を見ながら、私はつい笑ってしまった。私の頭の中にはまったく別の「アパート」が流れはじめていた。

「♪별빛이 흐르는 다리를 건너(星の光が流れる橋を渡り)~」

 男性歌手ユン・スイルが1982年に発表した名曲「아파트(アパトゥ)」。50代以上の韓国人にとっては、いまでもカラオケの定番曲だ。

 そして2024年、40年余りの時を経て、新たな同名ヒットソングが生まれた。4人組ガールズグループ・BLACKPINKのロゼと、アメリカを代表するポップスターのブルーノ・マーズが歌う「APT.」だ。

 曲調もテーマも全く異なるが、どちらも時代を象徴する楽曲であることに変わりはない。今回は、この2曲から見えてくる韓国社会の姿について考えてみたい。

新築のアパートと年代物のアパート

 2024年10月にリリースされた「APT.」は、K-POP女性アーティストとして史上最高記録となるビルボード「Hot 100」で3位にランクイン。世界的なヒットを記録した。「アーパツ、アパツ!」という中毒性の高いリズムが話題を呼び、MZ世代の心をつかんでいる。

 ロゼ自身、「スタッフと飲み会ゲーム『아파트(アパトゥ)』をしていたときに、この曲のアイデアが浮かんだ」と語っている。

 ゲーム「아파트(アパトゥ)」はその名のとおり、アパートの階数が増えていくようなルールが特徴のリズムゲーム。参加者は10階以上の階数を設定し、リズムに合わせて手を積み重ねていく。設定した階数に最初に達した人が負けとなり、お酒を飲むなどの罰ゲームが課される。シンプルなルールながら、テンポの速い展開と盛り上がる掛け声のおかげで、気づけば周囲も巻き込んで大騒ぎになる。

 このような何気ない遊びから、新しい音楽が生まれる。その発想の自由さには驚かされた。

 「APT.」の大ヒットをきっかけに、ユン・スイルの「아파트(アパトゥ)」も再び脚光を浴びることになった。5年前にYouTubeにアップされた動画が、最近になって120万回以上再生されている。

 SNSでは「ユン・スイル、再建築おめでとう」といったコメントが飛び交い、「ロゼのアパートは新築、ユンのアパートは年代物」といった譬えが話題になるなど、世代を超えたつながりが生まれている。

「豊かさの象徴」から「格差の象徴」へ

  ユン・スイルの「아파트(アパトゥ)」は、軽快なバラード調のメロディーに、恋人がアパートを去った寂しさをつづった切ない歌詞。1980年代の韓国で、多くの人々の心に響いた。

 韓国の「アパート」は、日本で言う「マンション」にあたる。ユン・スイルの曲がヒットした当時、高層アパートは「豊かさの象徴」であり、多くの人の憧れだった。

 全斗煥(チョンドゥファン)政権の都市開発政策によって、ソウルを中心に次々と高層アパートが建ち、人々のライフスタイルも「一軒家からアパートへ」に変わっていった。アパートは、都市の発展と中産階級の成長を象徴するものだった。

 それから40年。2020年代の韓国では、アパート価格が高騰し、多くの若者が購入を諦めざるを得ない状況になっている。かつては「努力すれば手が届く」存在だったアパートも、いまでは一部の富裕層だけが手にできる高級資産になった。

 ソウルの人気エリアでは、マンション価格が10億ウォン(1億円)を超えるのも珍しくない。いまのアパートは「豊かさの象徴」ではなく「格差の象徴」へと変わりつつある。

 そんななか、韓国では「영끌(ヨンクル)」という造語も生まれた。「영혼까지 끌어모으다(魂までかき集める)」の略で、ありとあらゆる資金をかき集めて不動産を購入することを指す。それほどまでしないと、庶民には手が出ないことを表している。

 そう考えると、ユン・スイルの「아파트(アパトゥ)」は、恋人に去られた悲しみを歌った失恋ソングだったが、その背景には都市の華やかさや発展の象徴としてのアパートがあった。

 一方でロゼの「APT.」は、もはや経済的な豊かさとは関係なく、SNS時代の遊び心を反映した軽快な楽曲と言えるだろう。韓国のSNSでは、「APT.」の曲に乗せたパロディー動画が次々と生まれている。「戒厳令」「(北朝鮮の)ロケット」など、社会を風刺する言葉を曲中に盛り込んだものも多い。単なる流行歌に留まらず、韓国社会や韓国カルチャーの「いま」を映す発信源となっている状態だ。

「アパート暮らし」が自慢になる

 いまから30年ほど前、私は東京でサムスンの地域研究家と呼ばれる人たちと出会った。当時、サムスンは将来の幹部候補生を世界各国に遊学させる制度を持っていた。

 韓国よりはるかに発展していた日本も、その遊学先のひとつだった。私は国際交流のNPOで機関誌作りのバイトをしていて、何人かの地域研究家と知り合った。そのなかでも特に仲良くなったのが、新羅(シルラ)ホテルとサムスンカードから来ていた2人だった。いずれもサムスングループに属する、いうなれば「一流企業」のエリート社員だ。

 そのうちのひとり、ソンさんは30半ばの男性で、新宿でよく会っては韓国についてさまざまな話を聞かせてくれた。ある日、住居の話になった。

「ソンさんはソウルのどこに住んでるの?」

「木洞(モクトン)のアパートだよ」

 彼は「アパート」の部分を強調して答えた。私は単純にソウルのエリアを知りたかっただけだったが、彼にとって「アパートに住んでいること」は重要な意味を持っていたのだ。

「韓国でアパートっていうのは、日本のアパートとは全然違うんだよ。日本でアパートというと、古い木造の集合住宅を思い浮かべるでしょ? 韓国では高層マンションを指すんだ」

 さらに彼は続けた。

「アパートに住むことは成功の証。経済的に余裕がないと手に入らない。だから、韓国人にとってアパートは社会的ステータスの象徴なんだ」

 当時の私には、いまひとつピンとこなかった。私の実家は静岡県の普通の一戸建て。アパート暮らしがそんなに特別のものなのか、と不思議に思った。しかし、韓国で長く暮らしているいまなら、彼の言葉の意味がよく分かる。アパートは単なる住まいではなくて、住む人のステータスを映し出す鏡なのだ。

ことばに込められた思い

 ソウルの最近のアパートはとにかく便利だ。専用のフィットネスジムやプール、カフェ、さらには住民専用のゴルフ練習場まで備えたアパートもある。ゴミ出しは24時間いつでもOK。子供が遊べる広場や、住民向けのコミュニティーホールもある。セキュリティもしっかりしていて、建物全体を管理する警備員や24時間稼働の監視カメラ、常駐の管理人もいる。

 なによりも、アパートは「財産」でもある。ソウルのアパート価格は過去10年で急騰し、一部の高級アパートは数億円にものぼる。住む場所であると同時に、投資の対象にもなっているのだ。自然豊かな「ソウルの森」周辺の「トゥリマジェ」「ギャラリアフォーレ」「アクロソウルフォレスト」などの高級アパートには、芸能人や財界のトップが住んでいる。

 とはいえ、すべてのアパートが豪華というわけではない。築40年以上の古いアパートや、エレベーターなしの低層アパートもまだまだ現役だ。

 結局、「アパート」もピンからキリまで。場所やブランドで価値はまるで違う。韓国では「どこのアパートに住んでいるか」でその人のライフスタイルや経済状況が推し量られる。

 かつては夢や希望の象徴とされた「아파트(アパトゥ)」。いまは飲み会のゲームで、みんなが笑いながら叫ぶ「아파트(アパトゥ)」。時代が変われば、言葉に込められた思いも変わる。

プロフィール

金光英実(かねみつ・ひでみ)
1971年生まれ。清泉女子大学卒業後、広告代理店勤務を経て韓国に渡る。以来、30年近くソウル在住。大手配信サイトで提供される人気話題作をはじめ、数多くのドラマ・映画の字幕翻訳を手掛ける。著書に『ためぐち韓国語』(四方田犬彦との共著、平凡社新書)、『いますぐ使える! 韓国語ネイティブ単語集』(「ヨンシル」名義、扶桑社)、『ドラマで読む韓国』(NHK出版新書)、訳書に『グッドライフ』(小学館)など。

タイトルデザイン:ウラシマ・リー

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