「餅鉄で鉄瓶を作ろう」第2弾 れんが積みの炉で木炭熱し製鉄成功 鉄のまち釜石で市民ら奮闘
“近代製鉄発祥の地”釜石市で行われている餅鉄から鉄瓶を作るプロジェクトが第2段階を迎えた。5月に橋野町の河川で採集した餅鉄を使い、手作りの炉で製鉄する作業が9月29日、10月6日の両日、甲子町大橋の旧釜石鉱山事務所前で行われた。参加した市民らは、日本古来のたたら方式の製鉄を体験。複数の工程を経て生まれる鉄に興味をそそられながら見入った。12月には盛岡市で鉄瓶ワークショップが予定される。
製鉄のための炉はコンクリートブロックを基盤に、耐火れんが約100個を組み上げて作る。底にはこねた耐火モルタルを敷き詰め、側面には高さを変えた2カ所に鉄パイプの送風口を取り付け。低部の送風口は後にノロ(不純物)出しにも使われる。加熱中に炉の中を見られるのぞき口も取り付けた。れんがの上部には鉄製の煙突を重ねる。約3時間で3基の炉を完成させた。1日目は採集した石状の餅鉄を約1時間半加熱し、ハンマーで細かく砕く作業も行われた。
1週間後、いよいよ鉄づくりが始まった。午前9時、各炉に燃料となる木炭20キロを入れて1時間加熱。その後、餅鉄1キロ、木炭2キロ、石灰100グラムの割合で、材料を10分おきに投入していく。風を送りながら加熱を続け、午前10時40分ごろには炉の下部で約1000度に達した。炉内の温度は炎の色で判別できるという。途中で送風口を切り替えると、中の炎の色が変わった。炉内の温度は最終的に約1300度にまで達した。
材料の投入から約1時間10分後、各炉でノロ出し。送風口のパイプをはずし、中をつつくとオレンジ色の粘りのある液体が流れ出た。ノロの主な成分はケイ素、シリカ、硫黄。砂の上にたまったノロは外気に冷やされて固まった。水に入れて冷やした後、ノロのかけらをハンマーでたたいてみると簡単に割れた。鉄の場合は割れずに延びるという。
昼食をはさみ午後1時ごろ、2回目のノロ出し。その後、煙突をはずして約30分蒸らした。参加者は炉の近くでその熱さを実感。作業員の大変さも知った。炉を解体すると、姿を現したのは「ケラ」と呼ばれる鉄塊。割ったものに磁石を近づけ、くっついたものを袋に集めた。最終的に、種焼きした餅鉄20キロから6.5キロの鉄が取れた。
同市の小学生藤井啓輔さん(10)は両親と参加。炭にまみれながらも懸命に作業し、「材料を火で燃やしたり、できた鉄を磁石で集めたりするのが面白かった。意外と楽しい」とにっこり。「煙突で炭が燃えているところやオレンジ色の(ノロ)が出たのが印象的だった」と話し、「昔の人は大変そう」と思いをはせた。父祐一さん(53)は「“鉄のまち”ならではの体験。息子はものづくりにも興味があるよう。いろいろな経験をして将来の選択にもつなげてほしい」と願った。
炉作りから参加した市内の男性(70)は「釜石で生まれ育ったが、鉄づくりの工程は全然知らなかったので、いい学びの機会になった。たたらと近代製鉄の違いも分かり、大島高任が洋式高炉で連続出銑に成功したことはすごいことだったんだと改めて実感した」と貴重な経験を心に刻んだ。
同プロジェクトは滝沢市の南部鉄瓶職人田山和康さん(74)=田山鐵瓶工房代表=の提案で始まった。田山さんは以前、釜石産餅鉄からつくられた鉄で鉄瓶を製作した経験がある。今回は5月の餅鉄採集から加わり、釜石市民とともに鉄づくりに挑戦。盛岡たたら研究会代表でもある田山さんは、今回準備した3基の炉のうち1基に炭を埋め込んで、保温性を高める実験も行った。
田山さんによると、今回のように小型炉で木炭を燃料につくった鉄は純度を高められる利点があるが、鋳物にする場合は合金でないと鋳型にうまく流すことができないという。できた鉄はこの後、県工業技術センターで分析してもらい、炭素量などの成分調整をして流れやすくする。田山さんの手によってどんな鉄瓶が生まれるのか、参加者は楽しみにする。