チャーハンは宇宙 / 人類の数だけチャーハンがある
チャーハンは宇宙。人類の数だけチャーハンがある。いや、あるいは、それ以上。
かつて私が、中国は雲南省の麗江に1ヶ月ほど沈没していた時。
家族経営の宿。ナシ族のおばあちゃんをゴッドマザーとする、ナシ族と漢民族によるアットホームな宿における、チャーハンの思い出を書き残しておきたい。
【画像】麗江にいた当時(2005年)のGO羽鳥&ナシ族のおばあちゃん&旅人の仲間
中庭のテーブルには簡単なメニューも置いてある。ここはレストラン、食事ができますよと。簡単な料理なら作りますよと。数種類しかないメニューだったが、私は「炒飯」を頼むのが常であった。
漢民族の女将さんが作ってくれた炒飯。
うん、ハオチー。
翌日、あらためて炒飯を頼むと、ナシ族のおばあちゃんが作ってくれた!
オー、ヤンズイーメー! (ナシ語)
翌々日も炒飯を頼むと、なんとナシ族のパパさんが作ってくれた。
パパさんの味がした。
その翌日も炒飯。
家族は誰もいなく、なんとファミリーの親戚のおじさん (たまたまそこにいた)が作ってくれた。
おまえが作るんかい! という衝撃。
なぜこのように「いろんな人が作ってくれるシステム」になっているのかというと、その炒飯代は100% 「作った人の懐に入れてOK」というルールが適応されていたからである。
その場にいる者すべてにチャーハン調理権が与えられているレストラン。それはまるで、ストリートピアノのように。
連日のチャーハン。同じものなのに全部違うから飽きがこない。というか、全員チャーハンが作れるとか、炒飯発祥の地である中国マジで半端ない。
そんな宿には、ナシ族の娘さんが、ちょいちょい手伝いに来ていた。
私と同じくらいの歳で、とても可愛い。なのに彼女はバリバリのナシ族。中国語とナシ語を使い分けて話すのがカッコよかった。
私はひそかに彼女に恋心を抱いていた。だから1ヶ月いてしまったというのもある。
私が少しのナシ語を知っているのは、彼女とコミュニケーションを取りたかったから。ひそかにナシ族のおばあちゃんにナシ語の教えを乞いていたのだ。アララレ〜!(ナシ語)
そんな、勝手に、一方的に恋焦がれてしまった私は、彼女のチャーハンも食べたことがある。
誰も作る人がおらず、「じゃあ私が」と厨房に消えていったナシ族の娘。
そして差し出された「ナシ族の娘のチャーハン」。
それはそれは……
ものすごく背徳の味というか。
こんなことを言うと気持ち悪いかもしれないけれど、ナシ族の彼女の全てを食べている気がした。(←※実際に文字にしてみたらどう見ても変態です。ありがとうございました。)
やさしさ。
つよさ。
うつくしさ。
すべてが、その「炒飯」に詰まっていた。
それを私は、食べる。
人生を、食べる。
結局私はその宿で、その場にたまたまいた「宿の隣に住むおばちゃんの炒飯」まで食べるという経験まで積んだ。
同じ宿の、同じテーブルの同じ席で、いつもと同じ「炒飯」と頼んでいるだけなのに、10人近い人間の炒飯を食べていた。
ひとつも同じ炒飯は無かったし、すべてのチャーハンには「その人らしさ」が詰まっていた。
もしかしたら炒飯は他の料理に比べ、「念」の入りやすい料理なのかもしれない。
よく「宇宙には意識がある」と言われたりもする。そして上記の通りチャーハンには念がある。
素人のチャーハンの味にはブレがあるから、人類以上のチャーハンが存在するのは間違いない。その数たるや♾️(無限大)。
やはりチャーハンは宇宙なのだ。きっと。
執筆:チャーハン研究家・GO羽鳥
Photo:RocketNews24