尾上右近インタビュー「所詮、好きで歌舞伎をやっている」~4月歌舞伎座『春興鏡獅子』への意気込み
2025年4月に歌舞伎座で、尾上右近が新歌舞伎十八番の内『春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし。以下、鏡獅子)』に挑む。
歌舞伎俳優としての活躍はもとより、清元節の七代目清元栄寿太夫の名前を持ち、映画、ミュージカルでも才能を発揮。TVのバラエティ番組に出れば、歌舞伎とカレーへの情熱を迸らせる歌が上手な愛されキャラで親しまれている。そんな右近が「生きる意味」と語るほどに憧れてきた作品が、歌舞伎舞踊『鏡獅子』だ。
SPICEでは、ビジュアル撮影にのぞむ右近を取材した。『鏡獅子』への特別な思いと、「所詮好きでやっている」からこその「寂しさ」と「自分らしさ」とは。
■『鏡獅子』敬意と感謝を込めて
『鏡獅子』は、九代目市川團十郎が創り出し、それを九代目團十郎の薫陶を受けた六代目尾上菊五郎がアップデートし、今の形に完成させた。新年の江戸城大奥を舞台にした舞踊で、前半は小姓の弥生として可憐に踊り、後半は白く長い毛の獅子の精に。一人の役者が踊り分ける。
歌舞伎座『春興鏡獅子』尾上右近ティザー映像も好評!
「『いつか歌舞伎座で鏡獅子が踊れる役者になる』。その思いが届いたことはこの上なく嬉しいです。夢の第一歩です。鏡獅子を通じて歌舞伎の素晴らしさを教えてくれた曽祖父六代目尾上菊五郎、市川家のお家芸であるこの作品を私が踊ることをお許しくださった團十郎のお兄さま、そして夢を持つ権利を僕に与えてくださった師匠の菊五郎のおじさまへの心からの感謝と敬意を胸に、全身全霊の鏡獅子をつとめさせていただきます」
(オフィシャルコメントより抜粋)
新歌舞伎十八番の内の1つであることから、右近は「音羽屋の役者としての意識はもちろん、『鏡獅子』の原点である成田屋(市川團十郎家)への敬意も大事に踊りたい」と語り、「もちろんただ先人に捧げるだけでなく、目の前のお客さんにいかに楽しんでいただけるかも意識しています。プレッシャーよりも、今はワクワクしています」と力を込める。
■清元の家に生まれて、歌舞伎の世界へ
本名は、岡村研佑。1992年5月に、清元節の七代目清元延寿太夫の次男として生まれた。歌舞伎俳優の家ではなかったが、曽祖父は六代目菊五郎。3歳の時、六代目のビデオを見て歌舞伎を好きになった。『鏡獅子』だった。
「西日が差す、グレーのカーペットの部屋で、祖母に“ひいおじいさんの映像を見る?”と言われたことを覚えています。おじいさんが出てくるのを想像していたら、弥生の女方の踊りで始まって、これがひいおじいちゃんなんだ……と。弥生は丸くて嫋やかで可憐で。それが後シテ(作品の後半)では、勇猛果敢な獅子に。神々しくて雄々しくて。弥生と獅子のギャップに、そして、それが自分のひいおじいちゃんであることに夢中になりました」
憧れは、その時限りではおさまらなかった。
「自分も“これをやりたい、これになりたい”と、清元節と踊りのお稽古をするようになりました。それがすべての始まりです」
「子どもの頃は、浅草の仲見世通りでナイロンでできたおもちゃの獅子の毛を買ってもらい、自分で隈取をして真似をしたりもしました。歌舞伎が好きな僕を面白がり、思い出作りにと初舞台のきっかけをくださったのが、十八代目中村勘三郎のおじさまです」
初舞台は、2000年4月歌舞伎座『舞鶴雪月花』の松虫役。
「思い出作りの舞台だったはずが、僕はさらに歌舞伎にハマってしまったんですよね。その月の夜の部では、当時18歳だった(中村)勘九郎さんが『鏡獅子』をなさっていたのも思い出深いです。あれからちょうど25年、右近を襲名させていただいて20年、自主公演『研の會』で『鏡獅子』をやってから10年。祖母の家で『鏡獅子』を観てからだと……もうすぐ30年なんですね」
感慨深げに「そうか、そうなるのか」と呟く。
「『鏡獅子』は僕にとって、生きる意味だと常々言ってきました。でもプロとして歌舞伎座でやる上で、そのような個人的な想いを持ち込むことはどうなのか。too much(過剰)になってはいないか。感情は持ち込まず、当たり前の顔でやる美しさもある。色々考えてはきたのですが、やはり僕はどこまでも青臭くいたい。決してお客さんに“そういう気持ちで見てください、応援してください”と求めているのではなく、シンプルに、青臭さとかファン目線みたいなものが、歌舞伎に対する自分のマインドとして自然体だと感じています」
憧れ続けた『鏡獅子』だ。高めのテンションで喜びを聞く取材を想像していた。しかし右近は、エネルギーを感じさせつつも、ゆったりと落ち着いたトーンで思いを語った。聞けば、出演が決まった時も「意外と心静かだった」と言う。
「小学生の頃、ずっと年上の大先輩から“右近君に歌舞伎座で主役は一生無理だと思うよ”と言われたんです。意地悪とか喝を入れるとかではなく、“君には難しいから清元を継いだ方がいいよ”のニュアンスだったんじゃないのかな。たしかに当時の僕は暗かったし、その割に主役をやりたがっていたし(苦笑)。ショックでしたが、尊敬するこの人が言うのなら、そうなんだろうなと思いました」
でも、歌舞伎を諦めなかった。
「諦められなかった。首を鎖でつながれた犬みたいに、歌舞伎からも六代目からも離れられず、これはもう執着ですよね。そんな僕が、歌舞伎座で主役をやらせていただける時が来たわけです。時代の流れの中で自分が選んでもらえたのだと受け止めています。『鏡獅子』をやれる嬉しさは、よっしゃ! 夢が叶うぞ! という以上に、自分の中で結構深いことなんです」
■好きで歌舞伎をやっている
化粧の手を止めて鏡越しに言う。
「この鏡台、六代目のリメイクなんですよ。早稲田大学の演劇博物館が所蔵する六代目の鏡台を採寸して同じ寸法、同じ形で造っていただきました。お願いした材木業の方々の、それぞれの会社の木を組み合わせた寄木になっていて」
岐阜県中津川市の職人により木曽ヒノキで製作された特注品だ。各地の広葉樹を集めた小田原・箱根寄木細工があしらわれている。木の自然の色合い一つひとつに、関わった方々のエールが込められているかのようだった。
化粧を終えて、撮影準備が整った稽古場へ。カメラマンは岡本隆史氏。右近は衣裳を着付けられながらも、あちこちに目を配る。こだわりは具体的に伝える。
「アーティストと違い僕ら役者は、人様とやっていく仕事です。演者同士、裏方さん、スタッフ、お客様。相手への敬意とか配慮が欠落していないかは常に気にかけるし、人には明るく接する。僕のような立ち位置なら、なおのことそれは大事。とはいえお客さんに“何が面白いですか?”と聞き、他人軸にあわせるばかりが役者ではないとも思うんです」
「役者がエネルギーを注いだところから生まれる『やっちゃえ精神』とか『衝動性』みたいな、自分軸も絶対に大事。意識的にも無意識にも、小さい頃から自分がつまらなくならないバランスで、自分軸と他人軸を行き来してきたように思います。“嫌われて、舞台に立てなくなったら終わりだ!”みたいな、子役の頃の感覚がこびりついているのかもしれません。でも、それもすべては自分がやりたくて、すべてが鏡獅子に繋がると思ってやってきたことです」
「言葉にするのも野暮ですが」と前置きをして、右近は続ける。
「所詮、僕は好きで歌舞伎をやっている役者です。この先、僕が歌舞伎にとって必要な存在になれたとしても、そこは変わらないし、皆と一心同体で芝居を作りつつも、歌舞伎役者の家に生まれた皆とは境遇が違うことは、常に肝に銘じておかなくちゃって。その孤独や寂しさが、僕が歌舞伎をやる意味になり、僕らしさになると思えるようになりました。役者は経験や感じたことの全てを活かせる仕事。寂しさに大義を持てるなんて、恵まれています」
「親とも思える人たちに出会い、公私ともに出会った人たちに導いてもらい、同世代の仲間にも恵まれて。その環境が今の僕を作りました。“血は水よりも濃い”という慣用句がありますが、僕は“血より濃い水もある”と身をもって知っています。ここから先は、“血より濃い水もあるし、それよりさらに濃い血もどうやらあるらしい”ってところまで見せていけたらいいな。そんな役者になれたら……最強ですよね!(笑)」
■光の中、飛びめぐる獅子
歌舞伎の獅子の拵え(ふん装)は、着ているだけでも大変だと聞く。重いかつらがズレないように、頭にしっかり固定すると、はじめはどれだけフィットしていても、締め付けられてジワジワ辛くなってくるのだそう。
カメラの前の右近は、そんなストレスを少しも感じさせなかった。軽やかに華やかにいくつものポーズを決め、アップの写真には具体的な角度の希望を自ら提案。背景の黒も右近のリクエストによるものだという。
衣裳を整えて毛の位置を調整し、微調整を重ねる。
続いて、跳躍する瞬間の撮影に応じる。ジャンプと同時にストロボが炊かれる。モニターに画像が映し出された時、一同から「おお~」と歓声があがった。一瞬の光の中でジャンプをくり返す。ジャンプして発光、ジャンプして発光。そのたびに白く長い獅子の毛が、美しく伸び上がった。
右近とカメラマンの集中に周囲も引き込まれる。気づけば実際の舞台以上の時間この姿で、本番とは比べ物にならない回数の跳躍をしていた。と気がついたのは、右近が獅子から素に戻った時だった。
「ちょっと! キツくなってきたー!」
勇壮な獅子だった右近の、駄々っ子のような冗談交じり(実際、冗談じゃなくキツかったはず!)の口ぶりに、皆は思わず笑い、一段と仕事の手を早めた。残りの撮影も無事に終了。熱くて明るい現場だった。
■『鏡獅子』の先に描く夢
「『鏡獅子』に向けて、今はスタッフや家族、身近な人たちが僕を気づかってくれているのを感じます。でも皆も自分も、それを忘れられるくらいの自然体で、4月を迎えられたらいいですね」
「昨年、『東海道四谷怪談』のお岩さまをやらせていただいた時、芝居にものすごく入れこんだんです。舞台以外の時間も、感情の知覚過敏みたいにすぐに爆笑するし、すぐ感動しちゃう躁状態。エキセントリックなほどに入れこむ経験をして、気が済みました。1月のカズ(中村壱太郎)さんとの『二人椀久』も強い思いがある作品でしたが、毎日平常心。よく眠り、ご飯を食べ、本を読みストレッチして、歌舞伎座にきて家に帰る。もう、あんなに入れこまなくても大丈夫だって思えるようになったのは、お岩さまのおかげ。心から感謝しています」
『鏡獅子』に夢中で生きてきた。夢が叶った後はどうなるのだろう。
「それがちょっと怖かったんです。でも市川中車さんから、ボクサーの堤聖也さんの話を聞きました。色々な困難を乗り越えてがんばってこられた方だったので、WBA世界バンタム級チャンピオンになられた時、燃え尽き症候群で引退してしまうのでは、と皆が心配したそうです。でも本人は、“新たな目標ができました”と。中車さんは、“ひとつ目標を持てる人は、また新たな目標を見つけることができるから”とおっしゃってくださいました」
「それに『鏡獅子』はゴールではなく、ここから追求していくもの。その意味では、多分今までと変わらないのでしょうね。これまでも『鏡獅子』に憧れながら、目の前の一つひとつに愛情を注げるだけ注ぎ、自分なりにできる限りの密度で接してきました。それは、これからも変わりません」
「まずは『鏡獅子』を、一生の当たり役にしたいですね。そして次の目標は、新作歌舞伎を作ることでしょうか。役者の皆さんは、それぞれに家の芸に強い意識を持ち、大切に受け継がれています。『鏡獅子』に対する成田屋さんからも、それを感じました。そういった意識が、結果として家のブランディングに繋がり、お客さんはそこも含めて歌舞伎を楽しまれています」
「今の僕には、それがありません。『鏡獅子』には六代目菊五郎の創意工夫、エネルギーが注ぎ込まれています。それに匹敵するくらいの僕のエネルギーを注ぎ、僕のひ孫が憧れてくれるような新作を、創る必要があるのかなと感じているところです。そのためにも、ここからまた、途方もない修業が続くのでしょうね」
『鏡獅子』もその先も、楽しみが続く。右近は「まだ始まってもいないのにね」と笑っていた。歌舞伎座『四月大歌舞伎』は、4月3日から25日までの上演。尾上右近の『鏡獅子』の始まりを、ぜひ歌舞伎座で楽しんでほしい。
取材・文・撮影(ビジュアル撮影時)=塚田史香