【大学教授・齋藤孝さんが解説】山頭火、まど・みちお、一茶に学ぶ自己肯定の境地
人生100年時代、60代は新たなスタートラインです! そんな大切な時期をいきいきと過ごすための、頭と心のコンディショニング法を紹介しているのが大学教授・齋藤孝さんの著書『60代からの知力の保ち方』(KADOKAWA)。本書は日々のちょっとした習慣を通して、60代からの知力を無理なく、そして楽しく保つ方法を優しく解説します。「まだまだこれから!」という意欲を応援し、後半生をより豊かにするためのヒントが満載です。60代は、これまでの役割が変わり、自分を見つめ直す時期。脳と心と体をバランス良く整え、知的な活力を高めていきませんか?
※本記事は齋藤孝著の書籍「60代からの知力の保ち方」から一部抜粋・編集しました。
「だらけ」を肯定する
社会に期待されないことは、実はとても楽なことです。誰も見ていない、他者からの評価がないことほど、気持ちを楽にすることはありません。
会社員だった知り合いは、「会社は万病の元」と言って、いそいそと定年退社し、早速大学院に通い、家庭菜園も始め、生活をエンジョイしています。
「自分はもう必要とされていない」とネガティブに感じてしまう方は、「だらけ」の訓練が足りていないのです。
だらけの代表といえば、放浪の自由律俳人、種田山頭火 。だいたいこの人は暇人なのです。
「酔うてこほろぎと寝てゐたよ」
「まつすぐな道でさみしい」
「どうしようもないわたしが歩いてゐる」
私はEテレの教育番組「にほんごであそぼ」の総合指導をしていますが、山頭火の句を取り上げることがあります。幼児が暗唱するのもどうかなと思うものの、子どもたちが笑うのでつい使ってしまいます。
「蜘蛛は網張る私は私を肯定する」
蜘蛛は網を張るのが仕事なんだな、張ることで自己肯定しているようだと、その蜘蛛を見て、自分を自分で肯定する句です。
詩人、まど・みちおの作品にも、同じような視線があります。「アリ」という詩です。
「アリは
あんまり 小さいので
からだは ないように見える
いのちだけが はだかで
きらきらと
はたらいているように見える
ほんの そっとでも
さわったら
火花が とびちりそうに...」
(『まど・みちお詩集 ぞうさん』童話屋)
蟻が蟻であることはなんて素晴らしいんだ、命が内側から輝いているという詩です。象ではなく、蟻の命を見つめたところが秀逸です。ぴかぴか命が光っている感覚を味わった時に、自己肯定も生まれる。自分も命あるものだからそれを感じとれるのです。
小林一茶の俳句も、小さなものに対する感性がすぐれています。小さなものへの視線は、慰められると同時に、なにかこちらも励まされるものが秘められているのです。