幽霊、妖怪、怪談。暑い夏が涼しくなる、日本の「怖い絵」を紹介
うだるような暑さが続く日本の夏。毎年やってくる猛暑に、うんざりとしている方も多いのではないでしょうか。 日本には、古くから「怖いもので涼をとる」という独自の文化があります。肝試しをする、ホラー映画を観る、そして怪談話に耳をかたむけるなど、背筋がゾクッとするような感覚を味わい、心理的な涼感を得る文化です。 そして、日本の美術史の中には、見ている者を震えあがらせるような「怖い絵」が多く残されています。本記事では「妖怪」「怪談」「怨霊」という3つのテーマから、暑い夏を涼しくしてくれる「怖い絵」を紹介します。
怖い絵①:日本文化に欠かせない「妖怪」
日本の「怖い絵」を語る上でまず欠かせないのは、「妖怪」たちでしょう。
妖怪は古くから日本人の暮らしや文化に深く根付いてきました。現代に生きる私たちも、「一つ目小僧」や「河童」、「ろくろ首」などのイラストを目にする機会が多いでしょう。
さまざまな個性を持つ「妖怪」たちのなかから、思わず目を奪われる「怖い絵」を紹介します。
襲い来る巨大ガイコツ!歌川国芳『相馬の古内裏』
歌川国芳『相馬の古内裏』
巨大なガイコツの姿に目を奪われるこの絵は、武将・平将門(たいらのまさかど)の伝説と、謡曲『善知鳥』を参考にして描かれた読本『善知安方忠義伝(うとうやすかたちゅうぎでん)』に取材して描かれた作品です。
タイトルにある「相馬の古内裏」とは、相馬小次郎こと平将門が下総国に建てた屋敷で、将門の乱の際に荒れ果ててしまっていた廃屋のことです。
将門の遺児である滝夜叉姫と良門は妖術を授かり、父の遺志を継いでこの廃屋に仲間を募っていましたが、そこにはやがて妖怪が出没するようになりました。それを知った源頼信の家臣、大宅太郎光国は妖怪を退治してその陰謀を阻止します。
巨大なガイコツの絵に、思わず息を飲む人もいるのではないでしょうか。実はこのガイコツは、この絵を描いた絵師・歌川国芳(うたがわ・くによし)が、人体の解剖書を参考に描いたといわれています。
絵の中央に描かれた光国を悠然と見下ろし、今にも襲いかかりそうなガイコツは、一度見たら忘れられないようなインパクトを残します。妖怪というある種ファンタジーな要素と、人体のリアルな表現力が相まって、独特の魅力が生まれたのかもしれません。
意外とグロテスク?瓦版『人魚図』
瓦版『人魚図』
人魚と聞いて、どんな姿を想像するでしょうか。西洋のおとぎばなしでは、人魚は若い女性の姿で描かれることが多く、美しく幻想的なイメージを持つ方も少なくないでしょう。
ところが、江戸時代の瓦版(新聞)に掲載された『人魚図』を見ると、人魚に対するイメージががらっと変わってしまうかもしれません。
この絵に描かれた人魚は、「越中国(えっちゅうのくに、現在の富山県)」に現れ、仕留められたそうです。解説文には、この人魚の大きさが「頭(カシラ)三尺五寸」、「丈(タケ)三丈五尺」、「髪毛長(カミケナガ)壱丈八尺」だと説明されています。
三尺五寸はおよそ1.06メートル、三丈五尺はおよそ10.6メートルほどであるということですから、この人魚は顔の大きさだけでも1メートルを超えている巨体だったとわかります。
さらに、髪の長さは壱丈八尺で、約5.45メートルにもなるということ。大きく発達した顎に鉤(かぎ)鼻、鋭い眼は女性にも見えますが、般若のように恐ろしい顔つきです。そして、上半身が人間、下半身が魚である西洋の人魚とは違い、ここに描かれた人魚は頭の下からすべてが魚の姿をしているのも特徴といえるでしょう。
夢に出てきそうな、独特の気味悪さが感じられるのに、つい何度も見返したくなる「怖い絵」です。
不気味!でもユーモラス。佐脇嵩之『百怪図巻』
佐脇嵩之『百怪図巻』より「ぬらりひょん」
江戸時代の絵巻『百怪図巻』には、世にも恐ろしい妖怪たちが描かれています。
これは江戸時代中期の画家、佐脇嵩之(さわき すうし)によって描かれた作品だと言われ、30体の妖怪の姿が描かれています。
たとえば、一見和服姿の老人のように見える「ぬらりひょん」の絵は、後頭部が大きく膨らみ、体のバランスと比べて異常なまでに頭部が発達しており、非常に不気味です。
佐脇嵩之『百怪図巻』より「かわつは(河童)」
さらに、水辺に住む妖怪「河童」は、まるで人間の子供のように描かれていますが、ひょろりと長い手足がなんとも言い難い雰囲気を醸し出しています。この絵には、じっと見つめていると、背筋が冷たくなってくるような不気味さが感じられます。
佐脇嵩之『百怪図巻』より「ぬりぼとけ(塗仏)」
そして、最もインパクトがあるのが、全身が真っ黒に塗られた「ぬりぼとけ」です。真っ赤な両目からは眼窩が垂れ下がっていて、思わず目を背けてしまいそうなグロテスクさです。
しかし、佐脇嵩之の描くこれらの妖怪は、怖いけれどどこかユーモラスで、憎めないビジュアルをしています。単に怖い絵、というだけではなく、くすっと笑えるおかしみもあるのが特徴です。
怖い絵2:夏の風物詩「怪談」
日本の夏の風物詩と言えば、やはり「怪談」でしょう。日本の怖い絵にも、「怪談」を題材とした作品が多く存在しています。
怪談とは、日本の伝統文化のひとつで、その起源は日本全国にある民話や伝説、神話などに由来しているとされています。幽霊や妖怪、怪物などが登場する怪談には、落語や歌舞伎の起源になったものも多いです。
さらに、怪談を楽しむスタイルのひとつとして、「百物語」があげられます。これは100本のロウソクを立てて、ひとりずつ怪談を話していき、100話の怖い話をするという怪談の会のことです。
本セクションでは、そんな「百物語」に登場する物語を題材にした、「怖い絵」を紹介します。
頭にも口が……竹原春泉『二口女』(『絵本 百物語』より)
竹原春泉『絵本 百物語の二口女』
江戸時代後期に執筆された『絵本 百物語』。その挿絵のなかから、竹原春泉によって描かれた「二口女」の絵を紹介します。
二口女は、江戸時代の奇談集『絵本百物語』に登場する妖怪です。この妖怪は、後頭部に第二の口を持ち、第二の口から食事を摂っているのです。
二口女の物語は、下総国(現在の千葉県)の女性が継子(先妻の娘)を虐待して餓死させるところから始まります。その後、夫が誤って斧で彼女の後頭部を負傷させ、その傷跡が唇、歯、舌のような形に変化し、食べ物を欲する口となりました。
この口からは、後に「先妻の子を殺したのは間違いだった」という懺悔の声が聞こえたといいます。
この絵では、おにぎりのようなものを食べる二口女が描かれています。後頭部にある口も、そして女の顔についた口も、どこか微笑んでいるように見えるのです。
先妻の子を殺したというこの女は、一体何を考えながら食事をしているのでしょうか。そんなことに思いを馳せると、じわじわとした恐ろしさが迫ってきます。
提灯で表現される凄惨な死。葛飾北斎『百物語 お岩さん』
葛飾北斎『百物語 お岩さん』
江戸時代には、夏になると歌舞伎で「怪談」を上演するという文化が生まれました。
『四谷怪談』は1727年の『四谷雑談集』に起源を持つ日本の有名な怪談です。やがて『東海道四谷怪談』として歌舞伎化され、大ヒットしました。貧困のため、妻のお岩を疎ましく思った夫の伊右衛門は、裕福な隣人である伊藤喜兵衛と共謀し、お岩に毒を盛って殺害してしまいます。
この絵に描かれているのは、お岩の亡霊が、彼女を騙し殺した伊右衛門を殺すシーンを描いたものです。本図は「南無阿みた仏 俗名いわ女」と書かれた提灯に、お岩の霊が乗り移った様子が描かれています。
これは、提灯からお岩の亡霊が飛び出してくる「提灯抜け」という歌舞伎の舞台演出から着想を得たといわれています。元々は人間であるはずのお岩の顔が提灯と融合しているところから、歌舞伎にはない独自の恐ろしさを表現しているのです。
さらに、お岩の表情にも注目してみましょう。彼女は毒殺されたために、瞼が垂れ下がり、髪の毛がごっそりと抜け落ちています。その様子から、お岩の凄惨な死の様子が想像できるのではないでしょうか。
「いちまい、にまい……」葛飾北斎『百物語 さらやしき』
葛飾北斎『百物語 さらやしき』
こちらも葛飾北斎による、怪談を題材にした「怖い絵」です。浄瑠璃として広まった『播州皿屋敷』から、主人公お菊の姿を描いた作品です。本作は現在の兵庫県姫路市が舞台となっていますが、日本全国に似たような伝承が残っています。
『播州皿屋敷』は、「主人が大事にしていた皿を割った」と濡れ衣をきせられたお菊が、惨殺され古井戸に捨てられた後、夜毎亡霊となって出てくる話です。「いちま~い、にま~い」と皿を数える声が井戸から聞こえてくるというこの怪談を、知っている方も多いのではないでしょうか。
北斎が描くお菊は、長く伸びた首から何枚もの皿が連なり、妖怪「ろくろ首」のようです。口からは霊気が出ていますが、その横顔はまるでタバコを吸っているようにも見えます。不気味ですが、どこかおかしみのある「怖い絵」として描かれているのです。
怖い絵3:恐ろしくも悲しい「怨霊」
「妖怪」や「怪談」の絵には、見ているだけで背筋の凍るような恐ろしさがありました。
「怖い絵」をより深く楽しむために紹介したいのが、日本の伝統的な恐怖の対象である「怨霊」です。
怨霊とは、生前に強い恨みや憎しみを残したまま、霊魂になっても成仏できずに彷徨っている存在を指します。怨霊は祟(たた)りや災いをもたらす不吉な存在として、人々から長く恐れられてきました。
怨霊が生まれる背景には、歴史的な悲劇や恋愛関係のもつれなど、さまざまな要因があげられます。怨霊の描かれた「怖い絵」をみて、そこに秘められた複雑な想いを感じ取ってみてはいかがでしょうか。
生霊になるほどの凄まじい恋情 上村松園『焔(ほのお)』
上村松園『焔』
多くの女性の姿を美しく描いた画家・上村松園(うえむら・しょうえん)は、『焔』という怨霊の絵を残しています。これは平安時代に紫式部によって描かれた『源氏物語』に登場する女性、「六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)」を題材にした作品です。
六条御息所は、『源氏物語』の主人公である光源氏の恋人でした。しかし、源氏の正妻である葵上(あおいのうえ)に嫉妬し、生霊となって葵上に憑りついてしまったのでした。
本画は、嫉妬のあまり生霊となってしまった六条御息所の姿を描いています。ひと房の髪を口に加え、その表情は怒っているようにも、悲しんでいるようにも感じられる迫力です。
着物には藤の花とクモの巣が絡みつくように描かれており、この世の者ではない恐ろしさと、恋慕のために生霊になってしまった女性の、悲しみや切なさとがひしひしと伝わってききます。
静かな迫力が、美しくも恐ろしい一枚です。
荒れ狂う怨霊の執念 歌川国芳『崇徳院』
歌川国芳『崇徳院』
『平家物語』に登場する怨霊・崇徳院(すとくいん)を描いた1枚です。
崇徳院は、「菅原道真(すがわらのみちざね)」「平将門(たいらのまさかど)」と共に日本の「三大怨霊」のひとりとして知られています。
その理由として、崇徳院(以下、崇徳)がたどった悲劇が関係しています。保元の乱において、弟・後白河上皇との権力闘争に破れた崇徳は、讃岐の国(さぬきのくに。現在の香川県)に流刑となりました。
流刑先で仏教の写本をして京の後白河に送ったものの、これが崇徳による「呪詛」であると誤解され、破られた状態で送り返されたといわれています。崇徳は怒り狂い、その後、後白河を呪詛しながら9年後に死んだという伝承があるのです。
本画では、荒れ狂う大波と雷を背景に、髪を振り乱し真っ青な顔をした崇徳の様子が描かれています。まるで狂人のようにも見えるその姿は、彼の恨みや怨念がどれほど強いのかを物語っているようです。
ちなみに崇徳の詠んだ歌は百人一首にも選ばれています。「瀬を早(はや)み 岩にせかるる 滝川(たきがは)の われても末(すゑ)に 逢はむとぞ思ふ」とは、一見激しい恋の歌のようですが、権力闘争に敗れたわが身を嘆き、その執念を表している歌にも解釈できます。
まとめ
今回ご紹介した妖怪、怪談、怨霊を描いた絵画たちは、単なる「怖い絵」を超えた、日本美術の魅力や日本の伝統文化を教えてくれます。
暑い夏の日、美術館や図書館で「怖い絵」の世界に触れてみてはいかがでしょうか。
参考文献:
『●傑作浮世絵コレクション● 遊戯と反骨の奇才絵師 歌川国芳』(河出書房出版)
『浮世絵でみる!おばけ図鑑』監修:中右瑛(パイ インターナショナル)
『怖い浮世絵』著:日野原健司/渡邉晃 監修:太田記念美術館(青幻舎)