【あんぱん】「愛する国のために死ぬより...」戦地へ向かう千尋(中沢元紀)の本心が溢れ出す名場面を振り返る
毎日の生活にドキドキやわくわく、そしてホロリなど様々な感情を届けてくれるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)。毎日が発見ネットではエンタメライターの田幸和歌子さんに、楽しみ方や豆知識を語っていただく連載をお届けしています。今週は「名場面の誕生」について。あなたはどのように観ましたか?
※本記事にはネタバレが含まれています。
アンパンマンの作者・やなせたかしと妻・小松暢をモデルとする今田美桜主演の朝ドラ『あんぱん』第11週「軍隊は大きらい、だけど」が放送された。
やなせたかしの史実を盛り込み、主人公・のぶ(今田)も朝田家の面々もほぼ登場しないという大胆な構成に踏み切った今週。
嵩(北村匠海)は高知連隊から小倉連隊に転属。謎めいた雰囲気の八木信之介上等兵(妻夫木聡)と出会う。月曜から新兵・嵩らに対して先輩隊員の神野(奥野瑛太)や馬場(板橋駿谷)らによる激しいビンタなどの暴力が描かれ、「辛すぎる」という声がSNSには溢れた。しかし、やなせの自伝を読むと、こうした表現がまだマイルドであることがわかる。さらに注目すべきは、戦争のような苦境でこそ人間の本性や暴力性が現れることを容赦なく描いた点だ。
暴力というと、上官から受けるイメージを抱く人も多いだろうが、実際に激しい暴力をふるっていたのは上官よりもむしろ「古兵」で、特に進級できない古兵が憂さ晴らしに新兵いじめをしていたという、やなせが語る史実は、ドラマでもしっかり描かれた。権力を持つ上の者よりも、むしろ下に置かれた者がより下の者・弱い者にいじめや暴行を行うというのは、今でも学校や社会の中でよく見る光景である。
しかも、八木に嵩がかばってもらうと、むしろ嵩への暴力はエスカレートする。そんな中、嵩が八木の勧めで幹部候補生試験を受けることになると、暴力はいったんなくなるが、徹夜で勉強するため馬の不寝番を買って出た嵩がうっかり居眠りしてしまい、それを見つかり、試験を受けられないことに。しかし、八木の計らいで特別に受けさせてもらい、結果は「乙種幹部候補生」に合格。試験の成績は甲幹に合格だったが、居眠りによって「乙幹」となる。
するとその夜、不寝番の嵩のもとに神野と馬場が酒を持って現れ、嵩の合格を祝い、ささやかな酒宴となる。2人はこれまでの暴力を詫び、中国上陸に向けて一致団結しようと言う、一見和やかで微笑ましいやりとりだが、嵩が幹部候補生に合格した途端優しくなることにはモヤモヤする。しかし、酒を飲んで騒ぐのも、下の者に暴力をふるうのも、根底には不安があり、そこから目を逸らし、打ち消すため。これが人間の弱さのリアルだろう。
やなせは「殴る人と絶対に殴らない人がいる」と自伝で書いていたが、ここで言う「絶対に殴らない人」は、八木であり、嵩だ。その一線を分けるものは何だったか。中国上陸の緊張感漂う中、酒を飲んで騒ぐ者たちを傍目に冷静な表情でいる理由を八木に問われた嵩は、「自分はこうして絵を描いていると心が落ち着く」と説明する。どんな状況でも覆らない自分の軸、信じるものを持つ者は強いということか。
軍隊で激しい暴力にさらされ、必要に迫られて大きな声でハキハキと軍隊喋りができるようになっている嵩だが、伍長になっても人と対するときの声は相変わらずはちきん・のぶから「たっすいがー」と言われ、ハッパをかけられてやめてほしいと言っていた内気な少年・嵩の囁き声のまま。また、新兵達と共にちょこんと座って作業する小さな背中は、少年・嵩の姿と重なる。高身長で顔立ちも子役とは似ていないのに、北村匠海は本当に器用な役者だと思う。
ところで、インテリの八木が嵩をかばったのは、嵩が井伏鱒二の本を読んでいたことで、自分と同じ匂いを感じたためだったことがわかる。その一方で、嵩は弱いと指摘。弱い者が戦場で生き抜く術を嵩に問われると、言う。
「弱い者が戦場で生き残るには卑怯者になることだ 仲間がやられても仇をとろうなんて考えるな」
軍隊で生きていけるとは到底思えなかった弱い嵩が、八木との出会いという幸運もあり、どうにかやっていく一方、意外な方向に突き進むのは京都帝大に進学した弟・千尋(中沢元紀)だった。
千尋は海軍少尉になっており、小倉で嵩と再会、自分が入隊した経緯を語る。仲間達が皆、海軍に志願を決め、盛り上がる中、「お前はまだ決心がつかんのか」と迫られ、憤りや疑いの視線を向けられたためだ。「兄貴もあの場にいればわかる。みんなが行くのに、一人だけ行かないわけにはいかなかった」と本音を漏らす千尋。同調圧力が「個」を踏みにじり、その疑いや迷いを奪っていくこと、それがやがて危険な全体主義になり、戦争に突き進むという過程を、この作品は何度も何度も丁寧に見せつける。
敵に爆雷を投下するという千尋に、「何のために生まれて何をして生きるがか」と寛(竹野内豊)の問いを投げかける嵩だが、後戻りできないと千尋は返し、「この国の美しい山や川を守るために戦う。伯母さんやおしんちゃんを守るため、それから、わしを生んでくれたあの母さんを守るために、のぶさんや國民学校の子らを守るため」と瞬きせずまっすぐ嵩の目を見て言いきる。
しかし、その本音は「もう一度シーソーに乗りたい。もういっぺんのぶさんに会いたいにゃあ」だった。体が弱かった千尋は、おそらく幼い頃から「はちきん」で元気なのぶに憧れを抱いていた。それがいつしか恋心に変わっていたが、隣にはいつも兄の嵩がいた。それで諦めていたはずが、嵩は結局のぶに思いを伝えることもなく、のぶは次郎と結婚してしまう。
「兄貴はたつすいがーのアホじゃ!」と憤り、「生きて帰れたら、もう誰にも遠慮せん」と宣言。「愛する国のために死ぬより、わしは愛する人のために生きたい」と痛切に叫ぶ魂の芝居は本作全体の中でも名場面の1つになるだろう。ちなみに、千尋を演じる中沢元紀は6月13日放送の『あさイチ』に出演していたが、本当に真面目で寡黙な好青年で、こうした誠実さが千尋という人物にリアリティを与えていたのだなと痛感する。
ところで、重く苦しい状況の続く今週、清涼剤となったのが、小倉で再会した健太郎(高橋文哉)だ。出征前の最後の晩餐で嵩にカレーライスを作ってくれた健太郎が「調理番」になっていた流れ、演じる高橋が調理師免許所持者という事実もさることながら、そもそもやなせの史実・小倉入営で受けた過酷な暴力を描く上でひとときの癒しとして登場させるために健太郎を福岡出身に設定したのか。そうだとしたら、思いがけないファインプレーである。
次週はさらにシビアな戦況が描かれるが、目を逸らさず観続けたい。
文/田幸和歌子