奇想とユーモアの天才絵師──長澤芦雪、その犬も虎も、画になる理由
ふと目を奪われたのは、モフモフの子犬たちが群がっている画──。その姿は、愛らしいのに、どこか“おかしみ”があって、忘れられません。それが、長澤芦雪(ながさわ ろせつ)の描いた子犬の日本画でした。 近年、美術ファンのみならず“犬好き”の心までとらえている長澤芦雪。2024年に大阪中之島美術館で開催された大回顧展も大きな話題となり、「芦雪犬(ろせつけん)」の愛らしさに魅了された人も多いことでしょう。
雪狗子図襖-Puppies in the Snow MET DP-13581-004.
ですが、芦雪の魅力は、ただ「ユニークで面白い」だけではありません。円山応挙という偉大な師を持ちつつも、その枠を打ち破り、独自の表現を生み出した芦雪。襖を立てて描くという型破りな制作法、大胆な構図と繊細な筆致、そして笑いと切なさをにじませる動物たち。
そんな芦雪の生涯と作品を、いま一度、じっくり味わってみませんか。
「奇想」と呼ばれた理由
近年、よく耳にする「奇想の画家」という言葉。これは、伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)、曽我蕭白(そが しょうはく)、歌川国芳(うたがわくによし)ら、従来の型にとらわれない奔放な表現で注目された絵師たちに与えられた称号です。
なかでも芦雪は、精緻な筆致を持ちながら、構図の大胆さやユーモラスな描写、そして何より「見る者を楽しませる」エンターテイナー性が際立っています。奇想の画家とは、奇抜であると同時に、自由で、発想の豊かさに満ちた存在。その名にふさわしい人物こそ、長澤芦雪なのです。
応挙を超えた弟子?!──長澤芦雪の人物像
長澤芦雪は、江戸時代中期、京都で活躍した絵師です。生年は1754年(宝暦4年)ごろとされ、狩野派と並ぶ写生派「円山派」の祖・円山応挙(1733−1795)に師事しました。
応挙は、写生を重視したリアルな描写を特徴とする画家で、そのもとには約1000人もの弟子がいたといわれます。そのなかで「唯一、応挙を超えた」とまで評されるのが芦雪です。
この「超えた、超えない」話題……。端的に芦雪の天才っぷりを評価する上で、とてもわかりやすい切り口です。ですがもちろん、これはある特定の技法や表現という観点からの評価にすぎません。
応挙と芦雪が日本画壇に与えた影響は異なり、画に対する価値観や、人間としての器まで含めて「どちらが上か」を一概に決めることはできないのです。(でも、円山派の型を破ったのは確か!)
横道に逸れましたが、若冲(1716−1800)や蕭白(1730−1781)と同時代を生きた芦雪は、伝統的な日本画の枠組みを破るような表現力と遊び心を備えていました。
江戸時代に発行されていた、著名人を紹介する書物『平安人物誌』には、「幼より才気煥発にして、書画の道に通ず」と記されているようで、若くして非凡な才能を発揮したことがうかがえます。
しかし一方で、奇行も多く、酒癖の悪さや奔放な言動が記録されています。また、彼の死には謎も多く、享年は41歳とも45歳ともされ、病死・自殺・毒殺など諸説あり、定かではありません。それもまた、芦雪という人物の“得体の知れなさ”を際立たせているようです。
襖を“立てたまま”描く──驚きの制作スタイル
雪狗子図襖-Puppies in the Snow MET DP-13581-001
芦雪の襖絵には、圧倒的な迫力があります。その理由の一つは、彼が襖を立てかけた状態で描いたという、当時としては異例の制作方法にあります。
襖絵は床に置いて描くのが一般的です。もし墨をたっぷり含んだ筆で垂直の壁に画を描こうとした場合、描いたそばから、墨汁が滴り落ちるのをイメージできるかと思います。それを防ぐには、筆に含ませる墨汁の水分量をコントロールし、スピード感をもって、一気に描き上げる必要がありますよね。
筆使いひとつとっても、難易度が高いですし、「下絵は?」「失敗したら?」と考え出したら、そりゃ、床に置いて描こう、となるのが当然です。
ところが、芦雪は無量寺(和歌山県串本町)に滞在した際、襖を立て、一気に筆を走らせました。
失敗が許されない、一発勝負。なんと大胆不敵で、豪快な。
そして、描かれた画は、いまにも動き出しそうな躍動感と、繊細な筆使い。芦雪の新境地誕生の瞬間でした。
この方法によって、鑑賞者が実際に部屋に入ったときの視点を意識した構図が生まれ、ダイナミックなスケール感や奥行きが実現されたのです。その結果、虎や龍、牛といったモチーフが、生きているかのような臨場感をもって迫ってきます。
天真爛漫さが、ワンダフル──芦雪犬の魅力
芦雪といえば、なんといっても「芦雪犬」。雪の中にうずくまる黒犬、首をかしげる白犬、後ろ足の片方をクタっと横に出した“おすわり”姿。どれもどこかユーモラスで、見る人の心をふっとゆるめてくれます。
《紅葉狗子図》1790年頃
初期の犬の絵は、師・応挙の影響を強く受けた、写実的で柔らかな筆致でした。けれど中期以降になると、ポーズや構図に“クセ”が見え始めます。じゃれあい、重なり合う姿や、背中を向けてみたり、何とも言えない表情を見せたり──。
《薔薇蝶狗子図》
芦雪は、犬を飼った人ならわかるような、犬たちのお茶目なしぐさや、ぐだっとした姿を、ふわふわした質感とゆるーい表情を添えて描き出しています。そんなところが、犬好きさんたちの心を鷲掴みにするのでしょう。このユニークさこそが、「芦雪犬」が現代に愛される理由かもしれません。
ユーモアと迫力──動物たちの物語
虎図と龍図|大胆な構図と緊張感の演出
和歌山県・無量寺(串本応挙芦雪館)に残る襖絵の中でも、特に圧巻なのが《虎図》《龍図》。この2つは向かい合うように配置され、部屋全体がまるでドラマの舞台装置のようです。
《虎図》の虎は、睨みを利かせているはずなのに、愛くるしさすら感じる顔立ち。そして、しなやかそうな体躯が狙いを定めて構え、いまにも飛び出しそうな臨場感と迫力。このふたつの要素が相まって、「緊迫感と、モフモフのキャラもの」のような不思議な空気が画面から漂い、見るものを惹きつけます。
錦江山無量寺障壁画 (和歌山県串本町、串本応挙芦雪館)のうち《虎図》1786年
《龍図》には、天空を飛翔する龍が描かれています。濃墨を用いて力強く描かれた龍の身体、龍が空を切り裂くことで生じた強風と空気のうねり──実際に本物の龍が目の前に現れ、息づかいまで聞こえてきそうです。
タ錦江山無量寺障壁画 (和歌山県串本町、串本応挙芦雪館)のうち《龍図》1786年
「驚かせる」「心を動かす」ためのユーモアと誇張。芦雪の画面には、遊び心と技巧が共存しています。
白象黒牛図屏風|複層的なコントラストの魅力
六曲一双の屏風絵《白象黒牛図屏風》も、芦雪の動物表現の真骨頂でしょう。左隻には黒牛、右隻には白象。どちらも画面からはみ出るほどの大迫力なのに、両者は静かに座っていて極めて静的です。
《白象黒牛図屏風》の左隻(黒牛部分)
《白象黒牛図屏風》の右隻(白象部分)
黒牛の前には、白い子犬がぺろっと舌を出しながら横座り。一方、白象の背中には、黒いカラスが2羽止まっています。このデフォルメされた大小の対比は、芦雪の得意とするところ。
白と黒。大きなるものと、小さきもの。左隻と右隻で入れ替わる配色。この折り重なるコントラストが、この画のひとつの魅力であり、醍醐味ではないでしょうか。
なめくじ図|一筆描き?ユーモアの極みもアートに
一見すると、一筆で思いのままに曲線を描いただけの画。しかしその終点には、ぽつんとナメクジ。そう、これは《なめくじ図》。
《なめくじ図》
芦雪が筆を一度も離さずに描いたとされるこの作品は、まさに「なんでこれを描いた!?」と笑いながら問いかけたくなる一枚です。(ナメクジの軌跡を辿ると、始点から終点まで、ちゃんと繋がっています笑)
けれどよく見れば、その線の流れやナメクジのポーズには、デザイン性と生命感があります。さらには、ナメクジの個性や、感情さえもあるんじゃないかと思ってしまいます。ユーモアの中に、確かな観察眼とセンスを感じさせる芦雪、奇才ですね。
「画で人を楽しませたい」──そんな芦雪のサービス精神が、ここにもにじんでいます。
芦雪画のもうひとつの顔──落款に込めた想い
長澤芦雪の作品には、枠の中に「魚」の文字が記された落款が押されています。長沢芦雪が「魚」の落款を使うようになった背景には、師・応挙との印象的なエピソードがあります。
長沢蘆筆(芦雪)・皆川淇園賛 《白鶏図》(一部)
ある冬の日、芦雪は凍った池に閉じ込められた魚を見つけます。ところが、夕方になると氷が溶け、魚が泳いでいました。その光景を応挙に話すと、次のようなことを語ったそうです。
「絵も同じようなもの。氷のように堅い鍛錬を重ねても、すぐには結果が見えないこともある。しかし、やがて氷が溶けるように、努力の積み重ねが絵に命を吹き込むのだ」
この言葉を受けて、芦雪は魚の落款を用いるようになったといいます。それは、努力と忍耐を重ねた末に、作品が“泳ぎ出す”という絵師としての信念や覚悟の象徴だったのでしょう。
晩年には、この魚印の枠の一部が欠けた形で使われるようになります。意図的にそうしたのか、それとも偶然かは不明ですが、「自分の絵が確立された」という自負、または人生後半の内面的変化を反映しているとも解釈されています。
《雪狗子図襖》(落款部分)
まとめ|奇抜さの中に滲みでる優しいまなざし
「奇想の絵師」、長澤蘆雪の魅力は“奇抜さ”だけではありません。大胆さの奥にある観察眼、遊び心の奥にある慈しみ、そして画に命を吹き込むユーモアとテクニック──。
見る人を「笑わせたい」「驚かせたい」「心動かしたい」。そんな気持ちが伝わってくるからこそ、芦雪の画は今もなお、人の心を魅了するのだと思います。
芦雪と出会える美術館・展覧会
芦雪の作品に出会える代表的な美術館や展覧会です。お出かけ前に、各美術館にお問い合わせください。
【和歌山県 串本町】
串本応挙芦雪館(無量寺)
代表作:『龍・虎図襖』『白象・黒牛図襖』(重要文化財)
芦雪が実際に描いた襖絵が、現地の寺院空間で公開されています(不定期公開/事前確認要)。
【企画展】
<2025年>
「日本美術の鉱脈展 未来の国宝を探せ!」展
大阪中之島美術館
一部の研究者は熱心に研究しているものの、一般の方々にはほとんど知られていないものなど、「知られざる鉱脈」としての日本美術に光を当てる展覧会として、芦雪の作品も展示されます。
期間:2025年6月21日〜8月31日
<2026年>
長沢蘆雪
府中市美術館
東京発の長澤芦雪企画展です。
期間:2026年3月14日〜5月10日