根拠なき“ナマポ”バッシングの背景とは?実在の生活保護対象家庭をモデルに描く『スノードロップ』が語りかけるもの
「国民の権利」としてのセーフティネット
生活保護制度は、日本国憲法第25条「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」に基づき、生活に困窮する人々に対して国が必要な支援を行う制度だ。厚労省によれば、生活保護は「資産や能力等すべてを活用してもなお生活に困窮する方」に対し、最低生活費と収入の差額を保護費として支給する仕組みである。
拡がるネガティブイメージの背景、社会的孤立を生む制度の「壁」
生活保護制度は本来、誰もが利用できる権利であるにもかかわらず、ネット上では“ナマポ”などという侮蔑的なスラングが広まり、制度利用者への偏見がいまだに根強い。2012年には自民党総裁選に出馬していた石原伸晃氏がテレビ番組でナマポという言葉を使用したことが、制度へのバッシングを助長した一因と批判する声もあった。
また、お笑い芸人・河本準一氏の母親が生活保護を受給していたことが報道され、ワイドショーなどで不正受給問題が過度に取り上げられるということもあった。そうした根拠のない批判による偏向イメージなどによって制度全体への不信感が拡大し、本来支援を受けるべき人々が申請をためらう事態も生じている。
厚生労働省の調査によると、生活保護を受給できる世帯のうち、実際に受給しているのは約3割に過ぎないという。これは申請手続きの複雑さだけでなく、社会的な偏見や“恥”の感覚、日本人特有の忌避感も申請を妨げていることを示唆している。昨今さかんに流布されている外国人の受給に対するバッシングも、さもありなんだ。
映画『スノードロップ』が描く、見えない貧困と制度の限界
生活保護は「最後の砦」というイメージがあるが、「誰もが使える権利」でもある。制度の正確な理解と、偏見のない社会的認識が、真に支え合える社会の第一歩となる。報道、政治、教育、そして文化作品が果たす役割は大きく、私たち一人ひとりがその変化の担い手となるべきではないだろうか。
10月10日(金)より新宿武蔵野館ほかにて公開される映画『スノードロップ』は、生活保護制度の「漏給」や社会的孤立を背景に、制度の限界と人間の尊厳を問い直す作品。制度の存在だけでは救えない現実があることを、静かに、しかし力強く描いている。
“健康で文化的、最低限度の生活”とは? 実話ベースの重みと真のメッセージ
『スノードロップ』は、カイロ国際映画祭インターナショナルコンペティション部門、大阪アジアン映画祭映画祭コンペティション部門など国内外の様々な映画祭に選出された話題作。17年ぶりの映画主演となる西原亜希が主人公の葉波直子を、各方面で注目を集める若手俳優イトウハルヒがケースワーカーの宗村幸恵を演じる。
本作は、生活保護制度を受給することに根本的な矛盾の選択をした、実在する一家をモデルとした物語。2000年代初頭からグローバルに活躍する吉田浩太監督は、自身の生活保護受給経験からこの一家の在り方に大きな疑問を抱き、映画化を熱望したという。
西原亜希の“眼”の演技も印象的な予告編映像を見ても、セリフ以上に“沈黙”がメッセージを発していて、それが心にチクリとしたささくれを残す。朗らかなケースワーカーとして登場するイトウハルヒと、二人の感情が交差するような瞬間に宿る何か。健康で文化的、最低限度の生活の範疇とは――しっかりと社会派映画でありながら、制度に問題提起するだけではない、深くて近い人間ドラマだ。
『スノードロップ』は10月10日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開