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野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その9①」八甲田で「長生きの茶」

まるごと青森

野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その9①」八甲田で「長生きの茶」

2025年10月20日(月) 八甲田で「長生きの茶」

命にかかわるような猛暑が続いていたと思ったら、気がつくと秋。空の色まで変わってきた。秋なら紅葉だ。八甲田に行こう。ロープウエーの上から赤や黄色に染まった山々を見下ろしたい。青森駅から車で八甲田ロープウエー山麓駅に向かう。空模様が怪しいが、ともかく行ってみよう。

車が途中の酸ヶ湯に近づくにつれ、周囲の山肌の黄色が濃くなってくる。といっても目に見えてというのではなく、少しずつ少しずつ色を増していくのだ。やがて車は萱野高原に着いた。夏場のここはキャンプ場として賑わうが、いまは私たちのような紅葉見物の人々が腹ごしらえをしたり休息したりするためにやって来る。

大きな構えの店が2軒並んでいる。そのうちの1軒を見ると正面の窓越しにおでんの鍋があって、湯気が上がっている。青森はしょうが味噌でおでんを食べる。年間を通じておでんを食する地域はいくつかあるが、青森もそのひとつだ。

入口脇に二つの給茶機が見える。「長生きの茶」だ。木の板に書かれた材料はハト麦、エビス草の実、大麦、玄米、万年茸、熊笹、稗(ひえ)、粟の8種。このお茶は「1杯飲めば3年長生きし、2杯飲めば6年長生きし、3杯飲めば死ぬまで生きられる」のだそうだ。

「このお茶はいつごろからあるんですか?」

おでん鍋の前で忙しそうに立ち働いていた女性に尋ねると、小さな紙片をくれた。
江戸の寛永年間から萱野高原は津軽藩の放牧地で、牧童頭をしていた川越源右衛門という人が牧童の健康のために雑穀や茸をつかったお茶を考案した。改良を重ねて川越家10代の今日まで伝わっているお茶であると書いてある。
私は備え付けの紙コップで3回に分けていただいた。これで多分死ぬまで生きることができるだろう。

さて空は重い雲に覆われているけれど、ともかくロープウエーに行ってみようと車を走らせてはみたものの、11時過ぎに本降りの雨になり、11時半になると雪が混じってきた。案の定、ロープウエーは運休していた。切符売り場の壁にかかった掲示板は「山頂付近は25メートルの強風。気温はマイナス0.4度」と表示している。

それを知ってか知らずか、観光バスが止まっていて、待合室やおみやげ売り場からアジア系の外国語が聞こえてくる。がっかりした風はなく、むしろ「とうとう目的地にやってきた」という達成感のような風情すら感じられる。そんな狭い待合室から外に出れば雪混じりの雨。長居は無用だ。

車は酸ヶ湯温泉旅館の広い駐車場で止まり、私と同行のSさんは旅館の飲食施設「鬼面庵」の客となった。といっても平日なのに昼時は観光客で賑わっている。券売機で「酸ヶ湯そば」の食券を買い、ボードに名前を書いて順番を待つ。そこそこの時間がたって私たちは席に案内された。

それにしても食べ物屋で「鬼面」とは何か理由があるのではないか。そばを運んで来た女性に聞いた。

「鬼面て何ですか?」

「雪解けのとき大岳の斜面に鬼の面のような模様が出るんですよ。それで鬼面」

調べてみると大岳山中に「鬼面岩」という登山スポットがある。そのことだろうか。
いまは鬼面庵になっている場所には旧国鉄時代、国鉄バス十和田北線の「酸ヶ湯温泉」駅があった。当時の切符がネットオークションに出品されることもある。

次の目的地は蔦沼だ。その道すがら「ひょうたん茶屋」に寄った。看板は見えなかったが、地元の人からその名を聞いた。不思議な店だ。入口でマスターが立ったままコーヒーを淹れている。それだけで「茶屋」を想像しにくいし、店内にはテーブル席とソファが並んでいる。奥に行けば「しょうが味噌おでん」の暖簾がかかったカウンターがあり、そこは紛れもなく茶屋の雰囲気だ。
「濃厚カレー牛すじうどん」というメニュー写真が壁に貼られている。髪の毛を後ろで束ねたご主人に聞いてみた。

「ああ、カレーを私が淹れたコーヒーで煮たものです」

味の想像ができず「そうなんですか」としか言葉が出てこなかった。

「うちのコーヒー豆はエチオピアから直接仕入れています。お客さんが飲みたいコーヒーではなくて、私が飲ませたいコーヒーを出しています」

なるほど。ではそのコーヒーをいただこう。

やがて紙コップに入ったコーヒーが運ばれてきた。私はふだん遠方から焙煎仕立てのコーヒー豆を送ってもらっているので、少しだけコーヒーの味はわかる。コーヒーを一口含んで、赤い炎がちろちろと揺れる薪ストーブに目をやった。深い酸味からほのかな甘みが立ち上ってくる。ご主人が「飲ませたい」といった意味がよくわかった。

奥さんが薪ストーブの扉を開いて、銀色の塊を取り出した。中でサツマイモを焼いていたのだ。アルミフォイルの下に新聞紙、その下からほくほくのサツマイモが現れた。「どうぞ食べてください」と奥さんがサツマイモをテーブルに置いてくれる。ふらっと寄った客に対するその優しさに心が温まった。

蔦沼の手前に何台もの車が止まっているスポットがあった。降りてみたら、そこは地獄沼だった。

沼からは盛大に湯気が立ち上っている。沼の水温は90度、強酸性だから、沼に生き物はいない。道路から沼の縁まで降りたグループはアジア系の観光客のようだ。スマホをかざして写真を撮りながら、歓声をあげている。

蔦温泉旅館に着いた。

日帰り入浴の受付終了時間が迫っている。とりあえず料金を払って案内された湯殿に向かった。急な階段を降りると湯船があり、木の床がそれをL字形に囲んでいる。洗い場はなく、床の片隅に手柄杓でお湯を汲むための切り込みがあるだけだ。二人の先客が頭からお湯をかけたり体を洗ったりしている。洗い場がない湯殿は古い温泉でときどき見かける。水道がなかった時代に開湯し、そのままの姿を伝える温泉だ。湯治とは体を洗うことより体を治すことが目的だから、これでいいのだ。

蔦温泉は「源泉かけ流し」ではなく「源泉湧き流し」と称する。文字通り湯船の足元からお湯が湧いて来る稀有な温泉だ。そしてお湯は軟らかく優しい。
旅館の横手に蔦沼に向かう道がある。入口に料金所があるのは混雑する特定期間、事前予約制かつ協力金という入場料が必要になるためだ。対岸の紅葉が朝日を受けて深紅に燃え、それが水面に逆さに映る「蔦沼の朝焼け」を見ようという人々で道路は混雑し、路上駐車も増えてしまった。それらの解消のための措置で、今年は10月23日から11月3日まで。私たちはその3日前に来たのでフリーパスだ。クマよけの鈴をバッグにつけ、スプレーを手に細い道を進んだ。

天然のブナを林の間を歩いて行く。足元は整備され、よそ見をしていてもつまずく心配はない。黄色に染め抜いたような無数のブナの葉が揺らめき揺らめきして無言で秋の深まりを物語っている。道の縁石は濃い緑の苔で覆われ、すれ違う人々がいなければ風の音しか耳に届かないだろう。

10分ほど歩いただろうか。ふいに視界が開け蔦沼が見えてきた。足元は木製の広い展望台になっている。紅葉はまだだ。色づき始めたというところだろう。

だが、不満はない。手つかずの自然がそこにある。揺れるススキの向こうに水面が広がり、ところどころ黄色や赤を配した樹林が静かにたたずむ。十分ではないか。本格的なシーズンを前にして、蔦沼をひとり占めした気分だった。

そろそろ山の夕闇が迫ろうとしている。この日、青森市酸ヶ湯と十和田市谷地を結ぶ国道103号線は雪と霧のため午後6時から通行止めになるのだが、そんなことは思いもよらず、私たちは青森市街を目指してひた走っていた。

野瀬泰申(のせ・やすのぶ)
<略歴>
1951年、福岡県生まれ。食文化研究家。元日本経済新聞特任編集委員。著書に「天ぷらにソースをかけますか?」(ちくま文庫)、「食品サンプルの誕生」(同)、「文学ご馳走帖」(幻冬舎新書)など。

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