養子で歌手・川嶋あい「絆は血より時間」養親・実母の死を超えて挑み続けた“レジリエンス力”
養子当事者でシンガーソングライターの川嶋あい氏インタビュー第3回。彼女がこれまでつながり続けてきたと語る「命のバトン」と夢を叶えられた理由について。4月4日「養子の日」に考える養子縁組の現在地。全3回
【写真➡】川嶋あい 歌手をめざした子ども時代の写真を見る4月4日は「養子の日」です。シンガーソングライターの川嶋あいさんは19歳のときに自らが養子であることを公表。その後は歌手活動とともに、子どもたちへさまざまな支援活動を行っています。波乱万丈とも言える彼女の人生から学ぶ“命のバトン”をつなぐべき意味とは。
育ての母の葬儀後 生みの母を探して
16歳にして養父母を亡くし、天涯孤独となった川嶋あいさん。3歳で児童養護施設から川島家に引き取られたあとは、歌手になることを応援してくれる母のために青春のすべてを音楽に注ぎました。
やがて、人々の心に長く響く名曲の数々を生み出していくことになりますが、それまでには過酷ともいえる出来事の数々に見舞われます。
「12歳のときに、突然自分が養子であることを知ってから、16歳で育ての母を亡くすまで、自分の生い立ちについて、あまり考えることはありませんでした。育ての母に聞くことはできたのかもしれませんが、聞くことで悲しませてしまうような気がして。
また、考える暇もないくらいに育ての母が濃すぎる愛情を注いでくれましたので、さびしいと感じることは全くありませんでした」
しかし、育ての母の葬儀のあと川嶋さんは生みの親を探し始めました。それは、どうしようもない孤独感からの衝動だったといいます。
「当時やっていた路上ライブをサポートしてくれた仲間が、今の所属事務所のスタッフです。そのスタッフたちと一緒に生みの親を見つけようと福岡市中の区役所を回りました。
そして、翌日には生みの母も、もうこの世にはいないことが判明したんです。少しは予想していましたが、やはりかなりショックで。そのあとは育った養護施設も訪ねて、そのころのことをうかがったりもしました」
そして翌年の春には、育ての母親との約束だった1000回の路上ライブを達成。その後、彼女は生みの母親の素性を知ることになります。
今の事務所スタッフとの出会いのきっかけとなった渋谷駅前でのストリートライブ。高校生のころ。 提供:つばさレコーズ
「ちょうど福岡に行っていたときに、養護施設の先生経由で生みの母の親友だったという方に急に会えることになりました。もう、どんなステージよりも緊張したのを覚えています。
その方は私を見るなり泣いてしまい、その後も泣きながら生みの母の話をしてくれました。私がおなかにいることがわかったときに生みの母がどんな心境だったのかなど、こと細かく教えてくださいました」
海外での学校建設など、さまざまなチャリティ活動も精力的に行っている川嶋さん。 写真:柏原力
生みの母の思いを知った 「愛」の名は生みの母が命名
「なかでも印象的だったのが、妊娠中に生みの母が親友に送った手紙です。『“愛”っていう名前にしようと思っている』と書いてあり、生みの母が命名してくれたのだと初めて知りました。
そして、何よりうれしかったのが、手紙の文章から生みの母のルンルンしてる気持ちが読みとれたんです。私を生むことを楽しみにしていたのだという思いが伝わってきました。
このときまでは、生みの母は生後すぐに私と離れたことをどう思っていたのだろう? 私は望まれて生まれてきたのだろうか? ということばかりを考えてしまっていました。でも、その手紙を見て、親友の話を聞いて、うれしい気持ちや安堵感、生みの母への感謝の気持ちが自然とわいてきました」
生みの母親、育ての母親、そして16歳から現在まで支え続けてくれている事務所のスタッフ。そこには意外な共通点があると川嶋さんは続けます。
「親友の方いわく、生みの母は学校イチ豪快な女性だったそうです。豪快さを感じられるエピソードをたくさん聞かせてもらいました。
これは今になって気づいたことなんですが、育ての母もとても豪快な人だったんです。そして16歳で天涯孤独になったときから私を支え続けてくれている事務所の社長もすごく豪快な人です!
偶然ではあると思いますが、そういう豪快な人たちが私の“命のバトン”をつなぎ続けてくれているって、ちょっと運命的なものを感じずにはいられないなって思うところもありますね」
家族を持つなら 親になるとしたら
豪快な人たちに見守られ、“命のバトン”をつないでもらったと語る川嶋さん。この先、もし家族をもち、自身が親になることがあるとしたら、どのようなイメージを描くのだろうか。
「私を支えてくれた人たちのように、豪快になれるかは自信がありません(笑)。でも、子どもとは毎日一緒にいて楽しく笑い合って過ごしたいです。
私と母がそうだったように遠慮することなく、互いのありのままを出し切って生活していきたい。
子どもには自分の道をしっかり歩んで自立してほしいですが、親として夢へのサポートを全力でしたいです。育ての父母や事務所の社長が私にしてくれたように、全力で支えてあげられる存在になりたいです」
学校建設をしたカンボジアを訪問。子どもたちと一緒に校歌を歌った。 提供:つばさレコーズ
カンボジアの子どもたちに教科書をプレンゼントし一緒に桜の花を植樹した。 提供:つばさレコーズ
川嶋さんの代表曲『旅立ちの日に…』は2006年にリリースされましたが、20年近く経った今も多くの人の心を支えています。実はこの曲を作ったのは、彼女が中学3年生のとき。
「自分の中学卒業のタイミングに、当時の気持ちを重ねて作った曲です。この曲は母が一番好きだった曲なんです。
作ったときに聞かせたら『いい歌だねえ』と喜んでくれたのを今でも覚えています。路上ライブで歌ったことを話したときも、『みんな喜んでくれたやろ』って話していました」
卒業を迎える子どもたちの等身大の気持ちが温かい言葉で紡がれているこの曲は、今も多くの卒業式で歌われています。なかでも、川嶋さんにとって忘れられないエピソードがあるそうです。
「東日本大震災の発生直後、宮城県南三陸町の戸倉小学校の6年生の子どもたちは津波から逃れるために学校の裏山に避難していました。
夜になって寒さが増してきたころ、歌って気持ちだけでも温めようという案が出て、そのときに歌ってくれたのがこの曲だったんです。ちょうど卒業式で歌う予定で合唱の練習をしていたそうです。
その話を震災の1週間後に聞いて、支援物資をもって現地に駆けつけました。そのときに、子どもたちから一緒に歌ってくれませんかと言ってもらえて、みんなで歌いました」
卒業式では子どもと一緒に熱唱
そのあと、予定されていた卒業式が行われたのはその年(2011年)の8月のこと。その式には川嶋さんも駆けつけ、再び子どもたちと一緒に『旅立ちの日に…』を歌いました。
「その年の日本で一番遅い卒業式だったかもしれません。まだ、『復興』なんて言葉をいうのもはばかられるくらいの時期でした。そんな中でも子どもたちなりにいろんなことを感じ取っていたのかなと思います。
自分たちを支援してくださる方が、日本だけじゃなく世界中から来てくれて、助けてくれている。そういう環境を子どもたちなりに理解して受けとめて、いつか恩返しができる人間になりたいということを、卒業式で発表していました。
警察官や消防士、看護師になりたいという子も多かったです。あの場所には、ものすごく強く、たくましくなっていた子どもの姿があったなと思いますね。そんな場所で一緒に歌うことができて、本当にありがたかったです」
夢を叶えることができたのは
一見すると過酷とも言える出来事を乗り越えてきた彼女は、幼い日に出会った音楽によって導かれた人生を自身で切り開きしっかりと歩んでいる。強さをもちながらもしなやかに生き抜くそのパワーはどこから生まれてくるのだろうか。
「私の人生は、いろんな人との出会いに支えられてきたと思います。じゃあ、その出会いのチャンスはどうやってつかんだのかと聞かれると、とても怖かったし、不安で震えるほどだったけど、不器用なりに一歩踏み出したから出会えたのかなと思います。
どうなるかはわからないけれど、挑戦してみるということですよね。不器用だけども、まっすぐな気持ちで挑戦しようとしている姿勢を、見ていてくれる人は必ず一人はいると思います。その出会いを逃さないでほしいです。
私は、常に私のことを見て寄り添って考えてくれていた養父母やスタッフがいてくれたからこそ、自分の夢のために一生懸命生きることができたのだと思っています。その人たちがいなければ、夢をもつこともできなかったかもしれないです。
絆を作るために大切なことは“血のつながりじゃなくて時間”だと思っています。時間をかけて、見つめ合っていくことが何よりも大切だと信じています。特に、一人でも多くの大人が子どもを見守る時間を作ることができれば、子どもたちは今よりもっと自分の人生に大きな希望を抱くことができるようになるかもしれません。
今、もし養親や里親へなろうかと悩まれている方は、ぜひ勇気をもって歩を進めてみてください。時間が血よりも濃い大切なものを運んできてくれるかもしれません」
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自身の過酷な人生をていねいな言葉で紡いでくれた川嶋あいさん。やわらかな口調ながらも、瞳に宿る強いパワーがとても印象的でした。
最近、子どもにも必要な力とよくいわれる「レジリエンス」(困難をしなやかに乗り越えていく力)がぴったり当てはまります。
数々の名曲を生みだした才能におごることなく、いつも周りに感謝しながら歩み続けていく──。そうすれば彼女の曲のように、優しい世界が広がっていくのかもしれません。
●川嶋あいPROFILE
2003年にI WiSHのaiとして人気番組の主題歌「明日への扉」でデビュー。2006年からは本格的にソロ活動をスタート。代表曲としては、「My Love」「compass」「大丈夫だよ」「とびら」などがある。特に「旅立ちの日に…」は卒業ソングの定番曲として大人気を誇る一曲となっている。個人のライフワークとしてボランティア活動などにも積極的に参加しており、海外に学校建設を行っている。
取材・文/関口千鶴