SBSカップ国際ユースサッカー開幕前に“元日の丸戦士”がトークショー!ジュビロ磐田時代にドゥンガに怒られた話で大盛り上がり!
2024SBSカップ国際ユースサッカーの開幕を前に、元日本代表の高原直泰さんと、元五輪代表の松原良香さんのスペシャルトークショーが、袋井市のエコパスタジアムで開かれました。
大会は8月22日、開幕します。今年はアルゼンチン、韓国、日本のU-18代表と静岡ユースが熱戦を繰り広げます。
SBSテレビでは、大会初日の「静岡ユース対U−18アルゼンチン代表」の一戦を実況生中継します。さらにウェブでの全試合配信が決定しています。
トークショーでは、2人に当時の思い出やJ1に復帰したジュビロ磐田について、ここでしか聞けないぶっちゃけトークで語り尽くしていただきました。司会はSBSアナウンサーの青木隆太と重長智子です。
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トークショー
(青木)最初のトークテーマはSBSカップの思い出です。良香さんは1991年、92年に静岡県選抜で2度出場しています。高原さんは1996年に静岡ユース、97年日本ユースで出場しています。当時のことを覚えてますか。
(松原)覚えてますね。大会はいつもSBSテレビで見てました。海外の名門と戦えて、ちょうど僕の時はハマンという後にドイツ代表になる選手がいました。あの時代に、そういう相手と戦うことができた。
当時は静岡がイケイケ、ノリノリの時代だったので、「俺たちの方が日本代表より強いぜ」ぐらいに思っているわけですよ。絶対に勝つ自信があったし、世界の相手とガチンコ勝負できるってこんな幸せなことはなかったですね。
(高原)僕は個人的には、けっこう点を取ったんじゃないかな(笑)
(青木)高原さんは96年が4ゴール、97年が3ゴール。合わせて7ゴール挙げてますね。
(高原)当時はやっぱり海外のクラブとの試合はなかなかできなかった。「負けねえぜ」みたいな気持ちがあって。子どもの時にそういう機会があるのはすごく大きかったなあと。
(重長)ちなみに96年に高原さんが出場した時はブラジルのグレミオ、そしてオランダのアヤックスというチームが来ていて、ロナウジーニョ選手も静岡に来たんですよね。
(高原)グレミオがめちゃめちゃ強かったんですよ。その時はロナウジーニョって分からなかったです。後からジュビロで同じチームになったグラウもいた、とか。
(青木)一緒に戦ったメンバーで印象に残ってる選手はいますか。
(松原)川口能活はもちろんですよね。1個下で、昔は先輩の練習着を洗濯しなきゃいけない時代。能活が一生懸命やってくれた。ジュニアユースや県トレから、ずーっと一緒にやって来ているので、みんな家族みたいな感じ。のちにプロになってもやりやすさはありましたね。
「うまい選手がいい選手とは限らない」
(青木)SBSカップでの経験がその後のプロキャリアで生きたことはありましたか。
(高原)そこで点を取ったことは自信になりますよね。
(青木)今年のSBSカップはアルゼンチンと韓国を迎えることになっています。高原さんはアルゼンチンと韓国どちらでもプレーしています。
(高原)アルゼンチンはハングリーさがあるし、力強さ、個人での打開力もすごいあるなと感じた。当時16歳ぐらいのテベスがいて、彼はまさにそういう感じの選手でした。今回もそういうタイプの選手がいれば、いい刺激になるのでは。
アルゼンチンだけでなく海外勢は強度が高い。日本では、うまい選手はごまんといると思うんですよ。でも、うまい選手がいい選手とは限らない。うまい選手といい選手は違う。「ボールを持ったらできる」では通用しない。だって、サッカーはボールを持ってないことの方が多いので。
「ドゥンガにめちゃめちゃ怒られた」
(青木)続いてのテーマは、ジュビロ磐田がJ1で勝ち抜くには。
(松原)まだ優勝するクラブではないので、しっかり地に足をつけて、中長期的な視野でチームを作り始めているところです。我慢しながらベースを築き上げる1年だと思います。
(青木)ジュビロ磐田の黄金期、当時の雰囲気ってどんな感じだったんですか。
(高原)当時はすごい緊張感がありましたね(笑)高卒で入った時に、ドゥンガにめちゃめちゃ怒られて。
(重長)なぜ怒られたんですか?
(高原)いや、わかんないです。ちょっとしたことで(笑)髪を染めてみたら、「明日までに染め直してこい」みたいな(笑)
(松原)タカは、今なら考えられないような試合中のエピソードがあるよね(笑)
(高原)ホントですよ、訴えますよ(笑)。例えば、自分が1人で強引にドリブルしてシュートして、相手に当たってコーナー。その時に中山さんとかがフリーでいたのに、使わずに俺が全部1人でやったら、ドゥンガが「もうそんなに1人でやりたいなら、全部やってください。どうぞー、どうぞー」みたいな(笑)。その後はコーナーキックもフリーキックも全部蹴らされました(笑)
(一同)えー!
(松原)試合ですよ、プロの公式試合。
(高原)今だったら許されないでしょ(笑)でも、ドゥンガのすごいところって後々気づきましたけど、代表の試合で欧州や南米と行ったり来たりするじゃないですか。30時間掛けて行って、試合して、戻ってきて。それを1週間とかでやる。でも、戻ってきてすぐに試合をしても、単純なミスはほとんどしない。ドゥンガってすごかったんだなあって。
(松原)僕もたまにドゥンガに電話しますけど、当時のタカのことを言ってますもんね(笑)でも、今彼の生き方を見ていれば、それが答えだと思いますよ。ブラジルの貧しい子どもたちのために社会貢献活動をしたり。サッカーを通じて学ぶって、こういうことだよと今も教えてくれる。
(高原)ちょっと脱線したけど、当時はみんなうまいから練習中でも単純なミスをしない。単純なミスが目立っちゃうんですね。そうすると、練習中のミスが許されないという空気感の中で毎日練習することになる。それはやっぱりうまくなっていくよね。そういう環境の中でサッカーをやれたのは良かったなあと。
(青木)今のジュビロは厳しい状況が続いていますけど。
(松原)こんなの当たり前なんですよ。どのチームを見てもそんな簡単にいきませんよ。
ただ、数字上でもはっきり分かるんですが、点を取っているのがジャーメインとペイショット。その周りの選手のゴールが明らかに少ない。
ベテラン、中堅、若手のバランスを考えて代謝をよくしていかなければならない。今はチームを作ってる段階なので、パリ五輪を外れてしまった鈴木海音選手たちが「ここからやるんだ」と軸になっていってくれれば。若い頃のタカのように。若い人がどんどん出てくるといいな。あとは静岡出身の選手が築いていってくれるようになるといいですね。
「迷ったら一歩を踏み出せ」
(重長)大舞台が始まる時のメンタルはどのようにコントロールしていましたか。
(高原)アルゼンチンに行って戻ってきてからは、より自分の目標が明確になってきた。それを達成するために何をするか。結果を出すしかなかった。結果を出すことで自分の未来が
切り開けるかもしれないと。普段のトレーニングから、何をしなければいけないか考えていました。
(松原)当時は何も考えず、感覚で一生懸命やっていたのが結果になっていた。でも、今は学ぶことが大切だと思う。一歩を踏み出すことにためらうこともあるけど、迷ったら一歩を踏み出したほうがいい。負けた時か悔しい思いをした時がチャンス。最近は緊張するとかは一切ないですね。そのためにしっかり準備するし、あとはやるだけと今は思うようになりましたね。
質問コーナー
(質問)プロ入り前にJリーグクラブからのオファーは何チームありましたか?
(松原)僕はセレッソの1つでした。
(高原)6クラブぐらいかな。夏までは横浜フリューゲルスに行こうと思っていたけど、当時ジュビロの山本昌邦さんが来て…。「ジュビロで試合に出れば代表につながっていくから」と言われて、なるほどなあと。
(質問)一番しびれたご自身のゴールは?
(高原)しびれすぎて、もう動けない(笑)選べない。皆さんの心の中にある(笑)
(質問)中学世代のフォワードが得点するために必要なことは何ですか。
(松原)僕が思うのは3つ。1つ目は個性。いい子ちゃんだとストライカーには向かない。2つ目はコンディショニング。3つ目は理解力。サッカーは一人で点を取れるわけじゃない。チームがどんな戦い方をしているとか、パスを出してくれる選手の特徴をつかむとか。ドゥンガだったらワンタッチで出てくるかもしれないけど、名波さんなら止めるだろうなとか。
(重長)高原さんは?
(高原)練習しよ。練習するしかないよ、うん。中学時代はシュート練習は多かったですよ。今のように水を飲ませてもらえていたら、もうちょいクオリティーが上がっていたかも(笑)
(一同)そういう時代でしたよねえ。
(高原)いつもどうやって隠れて水を飲もうかって(笑)
(松原)ドゥンガは水を飲ませてくれたの?
(高原)どうだったかなあ(笑)でも、マッサージ室で「なんでお前がここにいるんだよ、まだはえーよ」みたいな(笑)
(重長)ドゥンガさんの話で1時間いけますね(笑)
(松原)ジュビロの中でタカは最もドゥンガから教育を受けたね。