フォルクスワーゲン1302S:伊東和彦の写真帳_私的クルマ書き残し:#21
輸入車販売会社から雑誌記者に身を転じ、ヒストリックカー専門誌の編集長に就任、自動車史研究の第一人者であり続ける著者が、“引き出し“の奥に秘蔵してきた「クルマ好き人生」の有り様を、PF読者に明かしてくれる連載。
VWビートルはいつ世でもクルマ好きの心を引きつける存在のようだ。ヒストリックカーとしての人気は高く、休日に路上で出会うことがよくある。そうした姿を見ていると、かつて所有した旧いビートルの記憶がよみがえってくる。これを書きたいとずっと思ってきたが、肝心の私が所有していたシルバーのクルマの写真が1枚も見つからず、あと送りになっていたのだが、記憶が薄れる前に記すことにした。
私は免許を取得する前から、周囲のクルマ好き先輩諸氏の影響をもろに受けてVWビートルにまつわる神話が気になってしかたがなかった。洗脳された私にとってのアイデアルカーになったのは、遠縁が持っていた水色のサンルーフ付き1500スーパービートルで、万が一、手に入ったならビートルの背中に立て掛けるようにスキーを背負ってみたいと夢想していた。私の世代ではサーフボードではなく、スキーだったのだ。
やがて、大衆車の成功作であるビートル、BMCミニ、フィアット・ヌオーヴァ500、シトロエン2CV(もしくはAMIかディアーヌ)の中から少なくても1台、できれば4台を完全制覇することが願いになった。
念願かなってビートルを手に入れたのは、雑誌記者になってからの1980年代半ばのことだった。それはビートルが転がり込んできたという表現がぴったりの登場だった。叔父が新車から愛用していた、14年落ちながらディーラーの整備が行く届いた程度抜群の1971年1302Sで、めずらしいセミオートマチック仕様でクーラーが付いていた。叔父は都内での足に使う用途で購入したので、あえてこの仕様にしたのだと聞いた。その前は長年にわたって乗り続けていた日産オースチンA50だったから、快適なクルマを望んだのだろう。
1302シリーズからは、フロント・サスペンションがポルシェ博士の発明になるトーションバー式ではなくなり、一般的なマクファーソン・ストラットに変更されていたことが悔やまれたが、新登場したコンパクト・メルセデスとの入れ換えに当たってディーラーが提示したタダ同然の下取り価格のままで……、との私の提案を呑んでくれたから文句はいえない。
それに、AT車は私にとって未体験であったことに加え、ポルシェ911のスポルトマチックと同じ構造と聞いていたので、ポルシェに乗った気分も味わえるかな、いずれスポルトマチック911に乗ることもあろうから練習になると思ったのも事実だ。
そのころわが家には1.5リッターのゴルフ1があり、VWを代表する2車を乗り比べることができたのは幸運だった。初めてビートルのステアリングを握り、それまでに雑誌で読んだだけだった性癖や特性、乗り心地についてのコメントを自分で再確認し、その実力を実感できたときの感激を今でも鮮明に覚えている。今だから言えるが、ビートルがわが家にやってくる直前に交通事故に巻き込まれて左足を傷め、クラッチの操作が難儀になっていたこともあり、ATのビートルに飛び付いたのである。
ビートルが普段はゴルフの整備で世話になっていた、ヤナセ港北のVWサービスに乗っていったところ、顔見知りのフロントマンが、私がビートルを手に入れたことをたいそう喜んでくれ、入念な点検入庫を提案してくれた。氏はビートルでメカの経験を積んだという大ベテランで、ビートルを知り尽くしていて、たくさんのアドバイスをしてくれた。
乗り始めてすぐに感銘したのは、10万kmを超えていたビートルのボディがとてもソリッド(ゴルフ1以上に感じた)で、想像したよりも乗り心地がフラットなことだった。
世間ではとうに時代遅れにはなっていたが、私にとってはビートルの挙動、操作感、質感などすべてが新鮮に写り、ファミリーカーとしてなんら不便を感じず、とても楽しかった。そしてゴルフの生真面目さに少しばかり飽きはじめていた私は、突然にやってきたビートルにホビーの相手としての親しみを感じ、ビートルばかり乗るようになってしまった。海にも行ったし、雪を求めて冬のドライブにも連れだした(スキーは背負えなかったが)。
すべてが気に入っていたビートルは、ホビーカーとして長く持ち続けていかったが、1年ほどで新しい趣味の対象が出現し、それ以前から懇願し続けていた知人にもらわれていった。ドイツ車の生真面目さに浸っていた私の前に突如として現れた、自由奔放なイタリアンに心を奪われたのである。
その後、私の“大衆車制覇作戦”は進行し、BMCミニ1000を手に入れ、フィアット500は知人からの長期貸与で想いを遂げ、2CVは知人のクルマに頻繁に乗せてもらうことで、ほぼ完結(?)をみた。ビートルには縁があり、多忙な知人が持てあまし気味だったオレンジ色の1303Sカブリオレを暫く預かることになり、ドイツ車独特の重厚に作り込まれたソフトトップに感銘を受けながら暫くオープンエアの楽しみを満喫させてもらった。
1台のビートルが転がり込んできたことで、クルマへの視点が変わった気がした。