中山秀征、ヒデちゃんの知られざる下積み時代。「デビューのきっかけは第2の吉川晃司オーディション」
5日22日(水)のゲストはテレビタレントの中山秀征さん!
『いばらない生き方―テレビタレントの仕事術―』を出版されたヒデちゃんにデビューのきっかけ、レギュラー14本だった頃のお話、など色々と水曜パートナーの三田寛子さんと伺いました。
肩書を「テレビタレント」にする理由
向井:僕らは吉本興業って会社で「芸人」っていう肩書き。
中山:そうだよね。
向井:いろんな肩書きがある中、中山秀征さんは「テレビタレント」という肩書き。
三田:肩書きは堂々と「テレビタレント」ってね。本にも書かれてましたけど、本当にマルチにご活躍で、そこを「テレビタレント」って選ばれたのは?
中山:例えば志村けんさんは自分の事を「コメディアン」っておっしゃったんですよね。「僕は芸人じゃなくてコメディアンなんだ。」と。逆にたけしさんは「芸人」っておっしゃるじゃないですか。高倉健さんだったら「映画俳優」ですけど、自分は、って思ったときにタレントなんですけれども、やっぱりテレビ主軸としてテレビに憧れてきたので、あえて「テレビタレント」と言うこだわりをさせてもらおうかな、っていう。
デビューのきっかけは「第2の吉川晃司」オーディション
向井:そもそも芸能界に入ってくるきっかけでいうと?"
中山:本当に子供のときからテレビが好きで。本当に憧れ。テレビの中に入りたい!ぐらいの子だったの。
向井:やっぱりそこがまずあるわけですね。
中山:そう。だからやっぱりテレビに入りたい。僕らの時代はブラウン管でしょう。奥行きがテレビにあったんです。あの頃はね頑張れば入れる気がしたの。
向井:厚みがあるから(笑)
中山:頑張れば入れるんじゃないか、っていう。そういう思いだったの。そんな子供が14歳で、とにかく何かをするには劇団に入らなければいけない、ってお友達の女の子が教えてくれて。当時「明星」とか「平凡」にそれこそ『金八先生』とか『仙八先生』とか見てて、三田さんが出てたわけですよ。そういうのに憧れて。でも劇団入らないと出れないみたいよ、って教えてくれて劇団に入るんです。
三田:へえ!
向井:それで最初『火曜サスペンス劇場』っていうドラマがすぐ決まって。当時原日出子さんが主演で、いわゆる校内暴力の話だったんですね。で、少年探偵みたいな役で、いい役でスタートする。いきなり殺されてはしまうんですけど。僕の遺影で「聖母たちのララバイ」ですから。
向井:でもすぐにうまくいったっていう感じでもないんですよね?
中山:この世界っていうのはプロダクションから呼ばれてくるんですよ。僕呼ばれないのに来てるんですよ。15歳で東京に上京して。最初は下宿転々とするんですけど、うまくいかないんです。いろんなエキストラとかやって。「なんで来ちゃったんだろう」って時があったんですよ。
三田:そんな時期があったの?
あったんです。それが16歳で栄養失調になったりとかしてたの。
向井:お金がなくて?
中山:そう。無理して来ちゃってるもんだから、親に迷惑かけられないと思って食べなきゃいいや、と思ったらやっぱ駄目だね。それでまずいっていうんで当時「デビュー」っていう雑誌があって。
三田:あったねえ!
中山:オーディション雑誌で、片っ端から大手プロダクションを受けて、そのうちの一つが当時の渡辺プロダクションで「第2の”吉川晃司”募集」だったんですよ。
一同:(笑)
三田:本当に!?
中山:なんでも良かったんです。背に腹は変えられなくて。もうわからない、もう目も虚ろな中で、とにかく履歴書だけは毎日書いてて大手にバーっと出して帰ってきたのが渡辺プロで。その渡辺プロの歌のオーディションに行くわけですよ。
三田:へー!じゃあ「モニカ」とか歌っちゃったわけ?
中山:そうです!ここで一つ。もう晃司くんはデビューして『すかんぴんウォーク』って映画で大ヒットしてるんで。ただ僕の考えでは「吉川晃司は2人いらないだろう」と。勝手な、大きなお世話ですよ、これ。
向井:まあいるわけですからね(笑)
中山:”第2”と言われても、同じものはいらないだろうっていうことで、歌3曲って言われたんですけど、違う歌を唄おうと思って西城秀樹さんの「ギャランドゥ」と、女性の歌を唄えるという事で「春なのに」。柏原芳恵さん。で、演歌も歌えるってことで「夢芝居」を入れたんですよ。
向井:はい。梅沢富美男さん。
中山:そしたら「お前な、吉川晃司募集だって言ってるだろ」って。
一同:(笑)
中山:「俺は2人いらないと思うんですけど」「お前が言うな」と何度も言われて。
向井:でもそれで?
中山:受かるんですよ。
向井:受かるわけですよね!
三田:その魅力が。歌も上手だったんでしょうけど、その話術。心掴んじゃったんじゃない?
大ヒット番組『DAISUKI!』は11時間収録していた!?
向井:ヒデさんは「テレビタレント」っていうところにぐっとこう。
中山:シフトしますね。
向井:そのきっかけって何かあるんですか?
中山:お笑いコンビとしてもドラマの主役もいろいろやったんだけど、やっぱりお笑い第3世代の波とかが来て。3年後ですよ。17歳でデビューして、すごい勢いで3年後「古い」って言われたんですよ。
中山:もう20歳の時には「古い」って言われてるんですね。
中山:「古いよ!」って言われて。ダウンタウン、B21スペシャルって続々と来るから「もう古い」って感じになって。1からレポーターとか、地方の番組であったりとかを1個1個丁寧にやってたら、1つが2つになりっていうのを続けていたら、25歳のときにレギュラー番組が14本になってたんですね。
一同:(笑)
向井:レギュラー14本!でも1つ大きなきっかけとしては本の中にもありますけど、『DAISUKI!』って番組はでかいですか?
中山:そう。90年代の初頭に松本明子ちゃんと飯島直子ちゃんと出会って『DAISUKI!』っていう番組が深夜で異例の大ヒットをするんですよね。
向井:街ぶらロケ。ロケ番組ですよね。
中山:そうですね。パチンコだけやったり、街歩きやったり、宝くじをやったり、物件探しをやったり、明日やりたいことを全部やってたんですね。
三田:企画は、自分でもこれやりたい、あれやりたいとか一緒に番組作りを?
中山:そう。前の週にやるんですよ。何やりたいかっていうのをお酒飲みながら話をしてスタッフとかと。そしたら今直ちゃんは家を探してる、と。じゃあ物件探しをやると、そういう事なんですよ。
向井:そういう番組って、今だったら演者がやりたい事をパッてやっていくってあるような気もするけど、当時ではなかったんですか?
中山:うん。でも逆にフットワークは当時の方が軽いかもしれない。今だったら揉まれちゃうよね。物件探しが良いか、ってやるかもしれないけど。当時は前例がないんで。だって街歩きだけで1時間とか、料理だけで1時間ってないから。
向井:ですよね。
中山:だから前例がないことをやっていたのが面白かったんですけど、多分ね。
向井:その前例のなさが新鮮で、番組が当たるっていう。
中山:そういう事ですね。本当に遊んだのを中継したって言う。だって11時間ぐらいカメラ回してんだよ。もう嫌だよ、帰りたいよ、ってカメラマンがうなだれたんだから。
向井:1時間番組撮るのに?
中山:11時間くらい回してたんですよ。本当に遊んじゃうから。
三田:編集・スタッフの方もね、根気がいるし。
向井:でもその空気が番組で全部伝わるってことですよね。
中山:そうそう。結局編集で11時間撮ったって細かく編集して繋がないんですよ。10時間捨てて、1時間使う。一番良いとこだけをロングで使うんですよ。だからもうそこに起承転結が生まれてるところの一番いいとこ使うわけですね。だからリアルっちゃリアルなんですよ。
向井:でもそれが良かった。今だったらそんな撮り方はできないじゃないですか。
中山:できないですよね。まあその頃でもあんまりやっちゃいけないと思いますよ。
一同:(笑)