仕事が続かない。頑張りたいのに頑張れず悩んだ私がたどり着いた“ちょうどいい”働き方
自身の体調や特性から「頑張りたいのに頑張れない」と自信を失くしたことはありませんか。
現在フリーランスのプロップ(空間演出)スタイリストとして活動している菅野有希子さんは、体調の波が大きく「学校に行けない」「仕事が続かない」と悩んだ経験を持ちます。
時には「これでいいのかな」と葛藤しながら、今の仕事を10年続けられている「無理のない働き方」にたどり着くまでの過程を振り返っていただきました。
***
遠くから幼稚園児の声と車の通る音、買い物客の大きな声が聞こえる。平日の午前11:00、こんな時間にパジャマでベッドにくるまって動けないのは私だけなんじゃないか、と情けない気分になる。
もういい加減やめればいいのに、SNSを回遊しては知人の輝かしいキャリアを眺めては「みんな頑張ってるのに私は一体何をしているんだろう……」とついつい思いそうになる。
学校も会社も“普通”ができなかった自分へのコンプレックス
現在41歳、フリーランスでプロップスタイリストという仕事をしている。
昔から体調が不安定になりやすく、女性特有のホルモンバランスの乱れで体や心のバランスを崩すこともあれば、いわゆる“未病”と呼ばれるように、はっきりとした原因はなくとも目眩や微熱が出ることもある。体調の波に合わせて仕事を調整しているので、朝から夜まで働き決まった週末に休みを取るという一般的なリズムの暮らしではない。
たまにハードワークな日もあるけれど、その分平日でもゆったりスケジュールの日を作る。そんなわけで「平日の昼間からゴロゴロ」な時もままあるが、体調に波のある自分にはちょうど良い。
「クリエイティブな仕事をマイペースにしてます」なんていえば聞こえはいいけれど、40代といえば働き盛り。周りはキャリアを順調に伸ばして後進を育てている人や、大きな仕事で名を成している人など、人生の後半戦へ向けて大きく羽ばたく人ばかり。なんだか申し訳ないような気持ちになることもある。
振り返ってみれば、学生の時から今に至るまで「普通」ができない人生だった。
中学2年生の時、特にこれといった原因はないのにふと糸が切れたかのように力が尽きて不登校に。引きこもり続けて数年、高校1年の終わりに学校をやめた。
その後、大検を取得して大学へ進学。「毎日登校してみんな一緒のスケジュールを過ごす」高校生までは苦痛だったが、自分でカリキュラムを決め、自分の深めたいテーマで論文を書く大学という場所は性に合っていたようで、大学の4年間は楽しく過ごすことができた。
しかし、社会人となって再び「人並みになれない」壁にあたる。
新卒では、経営コンサルタントの仕事に就いた。「こういう世界も面白いかも?」という安直な考えで入社したが、周りは理系院卒の男性ばかり。スマートに資料を作りプレゼンをこなす(ように見えた)同僚を尻目に、エクセルを触るのも初めての私はメジャーリーグに間違えて足を踏み入れてしまった草野球選手のよう。
自分が力不足なことを誰よりも自分自身が許せず焦る日々を過ごすうち、気づくとまたしてもエンジンが切れて一歩も家から出られない日々に舞い戻ってしまった。
心身がボロボロになりしばらく休養した後、何度か復職を試みるもやっぱり続けるのは厳しいと判断し退職。その後もどうにかこうにか違う業界に転職してみたり、派遣で働いてみたり。それすらままならないならと、ごく簡単なアルバイトだけでもできないかと試してみたけれど、どの職場も続かない日々だった。
もうこうなると自分への信頼はゼロどころかマイナス。学校に行けない。仕事もまともに続けられない。私ってなんにもできない……。
初めて出会えた「続けられる」仕事
そんな「人並みにできない」私が転機を迎えるのは30代になってからである。
今では離婚をし独り身で過ごしているけれど、28歳の時に結婚したのを機に一度仕事を(というか仕事を探すことを)やめた時期がある。
一人暮らしの経験がなく、そもそも人生自体おぼつかない20代だったこともあり、それまでまともに料理をしてこなかった。そんな私がはじめての自分のキッチンではじめての料理に取り組んでみて「あ、私これけっこう好きかも」と目覚めたのだ。
季節や気分に合わせてせっせと料理を作る。いや、料理そのものというよりも、「こんな献立をこんなうつわで食べたいな」という景色をつくる。それが楽しくて楽しくて。せっかく作ったから写真でも撮っておこうか、せっかく写真撮ったならSNSにでもあげてみようか。
こんなささいなきっかけが、今の私の仕事につながる第一歩となる。
あるときSNSを見た友人から、テーブルスタイリングを依頼された。趣味の延長で手伝ってみたら、そのつながりで他の人からも声がかかるように。スタイリングの実績をSNSに載せることで、投稿を見た別の人からまた次の依頼が来る……といったふうに、徐々に撮影やスタイリングの仕事が増えていったのだ。
仕事にしようと思ったことは何一つ実らなかったのに、仕事だと思わずやっていた好きで得意なことが、気づいたら本業になっていた。
《画像:スタイリングと撮影を担当した「リサとガスパール」公式Instagramの投稿》
こっちかな? あっちかな? とぶつかりながら模索した、自分に合う働き方
あれからもうすぐ10年がたつ。学校も会社勤めも続かなかった私が、不思議とフリーランスは続いている。
ゆるやかだけれど、続いてる。
何をしても続かなかった日々があるからこそ、この続いているということが自分にとってはとても重要なのだ。
10年近くも続いているのはなぜなんだろう? と振り返ってみると、今は私に合ったスタイルで働いているからだなと痛感する。
どういうところが合っているかというと、まずは自分の役割がはっきりしているタイプの仕事であること。
もちろんフリーランスとはいえ、クライアントの意向があり、予算や納期も決まっていて、複数人がチームになって進める部分は多分にある。しかしながら、スタイリングを担当する際に「私のパートはここです」と分担がはっきりしていて、どんなプロップ(小道具)がベストかを提案するのは私1人、厳選してものを集めるのも私1人、撮影当日ものを選んで配置して美しい空間を作る責任も私1人というのは大きい。
次に、シングルタスクであること。
学生の頃レジ打ちのアルバイトをしていたのだが、常に店内に気を配り、さまざまなお客さまの要望に同時進行で応えなければならないマルチタスクの仕事は、私には全く向いていなかった。
その経験を経て、今は一人で集中してこなせるシングルタスクの仕事を選ぶようにしている。
最後に、スケジュールをある程度自分で決められること。
20代の模索期間を経て学んだのは、一般的に言われる「楽」で「勤務時間も短い」仕事が、私にとってそうとは限らないということだ。
今の私は、MTGや撮影日などある程度決まった予定はあるものの、自分でスケジュールを組んで不定期に働いている。早朝6時から夜中11時までスタジオにこもって撮影する日もあれば、3日くらいひたすらのんびりしている時もある。自分の体調と相談しながら塩梅をとれるからこそ、続けられている。
今でこそ、これらが「全力で走れない自分なりの働き方なんだ」と思うに至っているけれど、もちろん最初から分かっていたわけではない。
高村光太郎の詩「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出來る」(道程 p.280 高村光太郎 抒情詩社 1915(国立図書館コレクション))ではないけれど、こっちかな? あっちかな? とぶつかりながら、気づいたら自分のスタイルができていたということなのだろう。
他人と比べて「最高」ではなくても、「最善」の自分を認める
今でも「人並みになれない」というコンプレックスは燻(くすぶ)り続けているし、床にふせっている時にSNSをひらけば飛び込んでくる「何かを頑張っているみんなの姿」を見て、頑張れていない自分を情けなく思い、責めてしまうことがある。
でも、現実的に、私は今自分ができる精一杯をやっているのである。他人と比べたら至らなくても、自分のできる範囲では頑張っている。
体調や環境、生まれ育ちや未来への不安、そういった自分の人生のさまざまな事情に囲まれて最善を選んだ結果が今なのである。
私は、“今”たくさん稼ぐことより、細く長く働き続けることを意識している。目先の利益より、長い目で見た継続を。攻めて賭けるより、守りでリスクを減らす。なんとも地味だけれど、ちょっと無理するとすぐ熱を出すようなタイプだからこそ、このマインドが自分を守るために合っていると思う。
そう唱えて今日も自分をどうにかこうにかなだめつつ、生きている。
編集:はてな編集部
著者:菅野有希子
テーブルコーディネーター /プロップスタイリスト。会社員を経て2016年独立。雑誌・書籍・WEBメディア等で、食からインテリアまでライフスタイル提案のスタイリングを幅広く手がける。”暮らしを楽しむ”をテーマに小規模な撮影ではフォトグラファーを兼ねることも。リノベーションしたマンションで一人暮らしするうつわ愛好家。
/