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天才・葛飾北斎ってどんな人? 蔦重との関係は?【江戸時代に隆盛した文芸・美術『すみだ北斎美術館』編vol.2】

さんたつ

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江戸時代中期になると、江戸の町は人口100万人を超える世界有数の大都市になった。その頃の江戸の町を舞台にした2025年の大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』は、主人公・蔦屋重三郎(蔦重)が、浮世絵の版元として成功するまでの物語だ。本作では、追加キャストで野性爆弾のくっきー!が葛飾北斎を演じ、注目を集めている。前回に引き続き、主に当時の浮世絵師を代表する葛飾北斎と弟子たちの作品を収蔵・展示する東京・両国にある『すみだ北斎美術館』の学芸員・山際真穂さんに、葛飾北斎がどんな人物だったのか伺ってみた。

すみだ北斎美術館(すみだほくさいびじゅつかん)

あらゆる浮世絵のジャンルで活躍した北斎とは?

葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」すみだ北斎美術館蔵。

世界的に知られる浮世絵師・葛飾北斎は、どのような人物だったのだろうか。

「とにかく描くことへの情熱が並大抵ではなかったのだろうと思います。北斎が数えで75歳の時に出版された絵手本の『富嶽百景』の初編で『自分は6歳の頃から絵を描き始めたけれども、70歳以前の絵は取るに足らないもので、73歳にしてようやく動植物の骨格や作りなどを悟ることができた。86歳でさらに上達し、90歳で絵の奥義を究めて、100歳まで描ければ神妙の域に達するであろう。100歳を超えれば一点一角が生きているようになるだろう』といったことも記しています。

100歳を超えてもまだ成長したいという向上心はすごいですね。生涯を通じて画業に没頭していた人なのだろうと思います」

お話を伺った『すみだ北斎美術館』の学芸員・山際真穂さん。

江戸時代の平均寿命が30~40歳だった頃に、すでに高齢である75歳の北斎が100歳を超えた自分の未来を思い浮かべているのは驚きだ。

「もう一つ、北斎の特徴ともいえるのが、さまざまなジャンルで活躍していたということです。風景画・名所画や美人画だけでなく、武者絵、妖怪絵、花鳥画、読本(小説)の挿絵などにもおよび、作品数は3万点ともいわれています。正確な数字はわかりませんが、相当数の浮世絵を残したことは間違いないですね」

北斎は生涯93回の引っ越しをしたと伝わる。さまざまな説があるがはたして真相は?

「『掃除の時間を惜しみ引っ越しした』など、さまざまな説が伝わっています。真偽のほどはさだかではありませんが、それだけ絵に没頭したということではないでしょうか。

数多く引っ越しをしながらも隅田川のある『すみだの地』で多くの時間を過ごしたことは北斎の制作に影響を与えている可能性があります。北斎は波や滝などの水に関連した浮世絵を多く残しているのですが、日常的に隅田川の水の動きを見ていたのではないでしょうか」

北斎が隅田川から着想を得たであろう水の表現を、そういった点を踏まえて見るのも楽しいかもしれない。

北斎の逸話として、売れっ子なのに貧乏だったということが伝わっている。

「北斎は人気があり、画料は決して安くなかったようですが、引っ越しが多かったことなどからかなり散財をしていたと思います。

ほかにも、北斎の孫がかなりの放蕩者で、その尻拭いをしたり、借金取りが来ると、中身を確かめないまま置いてある画料をそのまま持っていかせたと伝わっています。この話ばかりでなく、お金に無頓着だったというのはよく聞きます」

中身を確かめずにポーンと渡す、そんな剛毅な生き方をしてみたいものだ。

北斎も認めた美人画の名手・葛飾応為

「北斎を学ぶ部屋」に再現された北斎アトリエ。

葛飾北斎の弟子であり、娘でもある葛飾応為(おうい)。2025年10月17日(金)公開の映画『おーい、応為』では、応為の人生が描かれていますが、どのような人だったのだろうか。

「応為は北斎の三女ともいわれるお栄の画号です。お栄のことを北斎が『おーい』と呼んだとも、逆にお栄が北斎のことを『おーい、親父殿』と呼んでいたことから応為になったともいわれています。

応為は酒とたばこを嗜(たしな)み、口が悪かった。アゴが突き出ていて、北斎から『アゴ』と呼ばれていたという伝聞もあります。絵師の南沢等明(みなみざわとうめい)に嫁ぎましたが、離縁されて晩年は北斎と一緒に作画をしていたようです。当館の『北斎学びの部屋』では、北斎と応為の暮らしの様子を模型で再現しています。リアリティのある展示なので、きっと興味を持ってもらえると思います」

葛飾応為『女重宝記 二之巻』すみだ北斎美術館(通期)。

「今回の特別展(※2025年11月24日まで開催の「北斎をめぐる美人画の系譜~名手たちとの競演~」)でも応為の『蝶々二美人図』を展示していますが、北斎が『自分が描く美人画はお栄には敵わない』と言ったとも伝わっています。ただ、現在、応為の肉筆画として認められているのは8図だけなのです。緻密で繊細な美人画を描いた応為の作といわれる作品が8図しかないというのはちょっと考えづらいですね。2人の合作があったとか、北斎の画号で出した方が売れるので応為の画号は入れなかったという説もありますが、それを裏付ける資料は今のところ見つかっていません。

『すみだ北斎美術館』では応為が手がけた版本の挿絵を収蔵していて、過去に企画展を行ったこともあります。

応為は本当に謎が多い人物です。北斎の死後に行方知れずになっており、不明な点も多く、生年も明らかでありません。映画でどのように描かれているか楽しみですね」

『べらぼう』の主人公である蔦重と北斎の関係

葛飾北斎「仁和嘉狂言 二月 ゑま売の所作」すみだ北斎美術館蔵(後期)。

「蔦屋重三郎(蔦重)は、若い才能のある浮世絵師にご飯を食べさせたり、いろいろと世話をしていたようです。北斎がまだ勝川春朗(かつかわしゅんろう)と名乗っていた頃ですが、洒落(しゃれ)や風刺をきかせた冊子である黄表紙の挿絵などにも登用していたようです。

ほかにも、蔦重がプロデュースした『仁和嘉狂言(にわかきょうげん)』は、北斎の師でもある勝川春章(かつかわしゅんしょう)や喜多川歌麿などの当時の一流の浮世絵師にも描かせた画題なので、蔦重が目をかけていた浮世絵師の一人だったのだと思います。ただ、『仁和嘉狂言』刊行の4年後、北斎をこれから売り出そうとしていたであろう矢先の寛政9年(1797)に蔦重は亡くなっています。

また、初代と血縁関係はありませんが、二代目蔦屋重三郎の頃は、北斎と戯作者の曲亭馬琴(きょくていばきん)が組んで、二代目蔦重が仕掛けたさまざまな狂歌絵本を手がけていたようです」

江戸きっての希代の名プロデューサー・蔦重が長く生きていたら、北斎が新たな浮世絵を生み出したかもしれないと思うと残念だ。

今回は北斎の人物像について紹介してきたが、次回は北斎の作品の魅力ついて触れる。『すみだ北斎美術館』で鑑賞できる北斎の浮世絵の魅力に迫ってみたい。

すみだ北斎美術館(すみだほくさいびじゅつかん)
住所:東京都墨田区亀沢2-7-2/営業時間:9:30〜17:30(入館は~17:00)/定休日:月(祝の場合は翌平日)/アクセス:JR総武線両国駅から徒歩9分、地下鉄大江戸線両国駅から徒歩5分

取材・文・撮影=速志 淳 画像提供=すみだ北斎美術館

アド・グリーン
編集プロダクション
1982年創業の編集プロダクション。旅行関係の雑誌・書籍、インタビューやルポルタージュを得意とし、会社案内や社内報の経験も多数。企画立案から、取材・執筆、デザイン、撮影までをワンストップで行えるのがウリ。

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