駒澤大学陸上競技部岩井部長から見た平成の常勝軍団。伝統のチームを裏方から支える観察眼とは
駒澤大学陸上競技部部長として、大八木総監督、藤田監督と共に日本一を追求するチーム作りに励む岩井部長。裏方に徹しながらも、選手たちの変化を見逃さない観察眼と、人としての成長を支える教育者としての視点を持ち合わせている。インタビューを通して、「人間力」の育成と介護にも通じる「人の痛みを理解する心」の大切さについて語っていただいた。
伝統と革新の融合で目指す、日本一の強さ
―― 昨年度の箱根駅伝は総合2位という結果でしたが、どのように捉えていますか?
岩井 結果としては全日本大学駅伝・箱根駅伝・出雲駅伝の3大会とも準優勝でしたが、箱根駅伝復路を大会新記録で優勝できたことは今年度のチームづくりに繋がっていると思います。
昨年度は、前半のトラックシーズンが非常に厳しい結果に終わって、チーム全体としては箱根駅伝に向けた3大駅伝に対して不安はありました。ただ、夏の合宿から前キャプテンの篠原がしっかりチームをまとめ、藤田監督・大八木総監督が見守る環境で、非常に良い雰囲気の中で合宿ができていましたね。
―― 駒澤大学は各大会で毎年上位の成績を残していますが、強さの秘訣はどのようなところにあると考えていますか?
岩井 選手たちの精神力の強さはもちろんありますが、それに加えて大八木総監督がこれまで指導してきた伝統と、さらにチームを発展させていく藤田監督の指導力が好成績を残している理由だと感じています。
この両輪があるから駒澤大学は強いですし、そこは他の大学が真似できない部分ですね。
―― そのような強いチームを作る上で、組織として大切にしていることはありますか?
岩井 一人ひとりがチームのために貢献しようという思いを持つことです。
強い選手であればあるほど記録を出せなかった選手に対して寛容な心を持てますし、逆に記録が出なかった選手は、今度こそ自分がチームのために貢献しようという思いが生まれます。
こうしたチームメイト同士でお互いを思う気持ちが、強さの相乗効果を生んでいるように私から見えてますね。
それに、駅伝は一人だけ強い選手がいても勝てません。自分の弱さと相手の弱さを理解できる選手こそ成績が伸びていきます。
―― 選手同士の連携や結束力も強いのですね。
岩井 そうですね。結束力は強いと感じますが、やはり50人以上の組織なので「365日一致団結して、何の争いもないチームです」というのは、綺麗事になってしまうかもしれません。
ただ、長距離選手は競技の特性もあって我慢強い人が多いと思います。お互い我慢強さの中で相手の苦しみってのもしっかり理解し合ってる、そんな組織なんだろうなと思います。
裏方の支援が生み出す、選手たちの安心感
―― 岩井さんは部長としてどのような役割を担っているのでしょうか。
岩井 私の立ち位置はどちらかというと選手たちの活動を裏方からサポートする役割で、監督、総監督、選手、コーチたちが何の心配もなく日々の練習に取り組めるような環境づくりを行っています。
その環境というのは単なる設備面の整備だけでなく、活動資金の確保やサポーターの方々の声を選手に届けることも担っています。
表には出てこない存在ですけれども、その部分がどれだけしっかりしてるかが強い組織の絶対条件だと私は思っています。
そういう思いを持ちながら外部との繋がりを大切にして、皆様に愛されるような組織にするために日々取り組んでいます。表から見えないなりの充実感とやりがいを普段から感じていますね。
―― 裏方として活動する中で、具体的にはどんな瞬間にやりがいを感じますか?
岩井 一番分かりやすいのは、やはり大会やレースで良い記録が出た時ですね。
なかなか記録が出なくて苦しんでいるところや日頃努力している姿を見ていますので、そのような選手が良い記録を出して喜んでる姿を見ると自分のことのように嬉しいですし、その瞬間には「このチームの一員になれてよかったな」と感じます。
また、ファンの皆様から愛されるチームを、より近くで見ていられることは非常にやりがいです。毎年全国上位の成績を残すようなチームに、こんなに近距離で携わらせてもらっているのは特別感がありますよね。
私も微力ながら全員がハッピーになるために何か貢献したいなと強い思いが湧いてくるところが、生きがいにもつながっています。
観察眼を磨き、選手一人ひとりの変化に気づく
―― 環境づくりに取り組んでいるとのことですが、選手たちとはどのように関わりを持っているのでしょうか。
岩井 直接的に指導をすることはありませんが、選手たちのちょっとした変化には気づけるようにしています。もちろん総監督と監督が常に見てることではありますが、二人が気づけないような細かい部分を拾い上げています。と言っても、トップレベルの総監督と監督なのでほとんどないのですが(笑)
それでも多忙な時期にはチーム内のすべてを管理しきれないこともありますので、そういった時に私が第3のキャッチャーの役割で選手たちを意識的に見るようにしています。
ただ、総監督や監督より前に出ないことは守るようにしています。いくら選手たちのちょっとした変化に気づいたとしても、まずは2人にコミュニケーションを取ってもらう。選手と監督の間柄においては、直接会話をして関係性を築いていくことが理想だと思っているからですね。
―― 具体的に選手のどのような変化を感じたりしますか?
岩井 やはり勝負の世界ですから、たとえ少し足が痛くてもほとんどの選手は無理して走ってしまいます。総監督や監督は百戦錬磨の名将ですので、その点はしっかり見抜くのですが、練習外となるとなかなか目が届かない部分もあります。
例えば、練習後の後ろ姿が元気なかったり、授業を休んで単位が取れていなかったりなどは何らかのサインであることが少なくありません。そのような指導者たちの目がいかないところを探して、何か変化がないかというのは敏感に感じるようにしています。
―― 練習外の選手の様子を普段からチェックしているのですね。
岩井 はい。とにかく観察眼っていうのは非常に大事だと感じています。これは指導者だけでなく、一般企業であれば上司も一緒ですね。
成功者たちを見てて共通するところは、他人のことをとにかく観察している点。大八木総監督も藤田監督も「ここまで見るのか」というほどに敏感です。
細かいところで言うのであれば、選手の字の書き方。昨日と違う字の書き方が違うだけで気づいたりすることもあるくらいです。字は心理状態を表す側面もありますが、そういった些細なところから選手の状態に気づけることに名将たちは非常に長けてると思います。
世の中で成功してる実業家の方々、もしくは他のスポーツ界で成功してる方々も、よく見るし、よく聞く。私も同じ目線を持てるように常日頃から注意していますね。
―― 大八木総監督や藤田監督とチームを築いていくうえで、岩井さん自身が影響を受けたことはありますか?
岩井 それは「二人に負けないくらいチームのために動いていきたい」と感じさせられたことですね。
本当に頭が下がる思いなのですが、大八木総監督と藤田監督を見ていると、誰よりも働いています。二人は朝5時半ごろから練習を始め、夜は部員たちが寝る22時ごろまではしっかり寮で指導をしています。
そして全員が寝静まった後も陸上に関する分析をはじめとした仕事をしていて、ほとんど毎日睡眠時間がないぐらいに誰よりも働いてます。
そういう姿を近くで見ていると、自分はもっとできるなと自然と思いますよね。総監督は今年67歳になりますが誰よりも動いて誰よりも働いていますので、10歳以上年下の私がしんどいと言ってる場合ではありません。
そこは私にとっての原動力となっていますし、トップの人たちが背中で見せてくれていることが私が4年間続けてこれた理由だと感じています。
なので私も可能な限り結果を出せるように動き、総監督や監督が私に見せてくれたような姿を今度は違う人に見てもらい、同じように感じてくれる人が出てくればいいなと思います。
―― 岩井さんが目指す理想のチームや組織について教えてください。
岩井 もちろん強いチームであり続けることは我々に課せられた命題なので、そこは絶対死守し、日本でもトップレベルを維持し続けていきます。
そのうえで、ただ強いだけではなく自分に厳しく人には優しく、しっかりと結果も出す。誰よりも人の痛みが分かる総合的な人間力の高い選手たち、もしくはスタッフたちが育つような組織にしたいですね。
そして選手たちが社会に出て歳を重ねても、「駒澤大学陸上競技部にいて良かったな」「自分の人生の石碑となる所があの4年間だったな」と思ってくれるような場所にするのが個人的な目標です。
人の幸せと自分の幸せをどちらも追い求め、上長を敬い、後輩の指導も欠かさない。そういう理想的な組織に邁進していくことが私の最終ゴールにしています。それが私にとっての生きがいでもありますので、そういった目標は常に意識して取り組んでいきたいなと思ってます。
介護にも通じる“存在感を高める”ということ
―― さきほど観察眼の話をしていただきましたが、介護においても同じように相手の気持ちを理解したり、心身の変化に気付くことは大切です。そういった視点では介護とも共通点がありそうですね。
岩井 高齢者の方の場合、自分の思いをうまく伝えられない時もあると思います。痛みを直接相手に伝えられなかったり、苦しさを言葉に出せなかったり。
これはスポーツの世界でも一緒で、選手たちは何が不調で何が原因でうまく走れないかを自分の言葉で表現できないことがあります。きっとそれはある意味高齢者の方々と同じ状態で、そういう時の声かけはときに傲慢な言葉にもなってしまうのではないかと思います。
であれば言葉は必要なく、ただ横にいてあげることも選択肢として持っておく必要があるのではないでしょうか。介護者がそばにいるだけで心が和んだり、痛みは消えないかもしれませんが気がまぎれたりするかもしれません。
このチームで言えば大八木総監督や藤田監督がいるだけでチームが引き締まります。何より選手やコーチ陣も、より前向きに取り組もうと思える存在でもあります。
同じように「近くにいるだけで安心をもたらす」ことは、介護の世界でも通じるところはあると思います。存在感を高めるというのは、ぜひ介護に向き合っている方にも意識してもらいたいですね。
―― 「高齢者は自分の思いをうまく伝えられないこともある」とおっしゃいましたが、他者の痛みを理解するためには、どのようなことが必要だと思いますか?
岩井 当たり前のことかもしれませんが、その人の気持ちになってみるというシミュレーションですかね。これは非常に不思議なのですが、縁のある方が病気や怪我で苦しい思いをしてる時は、我が身のようにと理解できると思います。
例えば自分の子どもが怪我をしたとなったら、親御さんからしてみたら我が身のように痛いわけですよね。でも、全然知らない人が怪我をしてても痛みは感じない。同じ体験でも関係性や縁の有無で全然痛みが違います。
なので他者の痛みを理解するためには、いかに縁のない人であっても自分ごととして捉えられるかが重要になります。ここは訓練していかなければなりませんし、心を鍛えることが必要です。
より良いケアを行うためにも、他者の痛みや苦しみを我が身のことのように考えられるようになることが求められるのではないでしょうか。
「老年論」に学ぶ老年期の人生観
―― 少し抽象的な質問になりますが、岩井さんは「老い」に対してどのような考えを持っていますか?
岩井 たとえ老いていったとしても、生きがいは大切にしていきたいと思っています。
もし「やることがない」「生きがいがない」と感じる方がいらっしゃれば、それはそれだけ欲が削ぎ落とされた状態です。なので、生きがいがないと認識した時に、「じゃあ自分はどうすればいいんだ」と転換ができる強い自己を持っていただきたいですね。
そのまま「もう自分は生きがいがない、ダメだ」と思い続けてしまうと下降線を辿って、気持ちもどんどん落ち込んでいきます。人間は大なり小なり気持ちの波がありますが、どんなに悪い状態であっても今生きてるということは、必ず少しずつ上がっていきます。できるタイミングで構いませんので、少しずつチャレンジする機会を増やしてみてください。
気持ちの波が下がっていく数を減らしていくことで、新たに生きがいが見つかることもありますし、苦しいと感じる瞬間も減ってくるはずです。なので、その波をいかにコントロールするかを模索したり、自分の生きがいとなることは何なのかを探し続けることが非常に大事だと思いますね。
―― 生きがいを見つけることは簡単なことではないですよね。悩んでしまうことも多い気がするのですが。
岩井 悩むってことは言い換えればそれだけ時間があるということだと思います。なので、極論なんでもいいです。目の前のトイレ掃除でもいいですし、断捨離でも構いません。ちょっとでも体力つけたいからと散歩をするのでも問題ありませんから、今目の前で自分が集中できることを探してみてください。
仮に何も見つからなければ、ひたすら座って何もしないことをしてみてください。それが禅の世界だと座禅や瞑想となりますが、とにかく目の前の今という瞬間に集中して生きる。何か集中できることを見つける。そうすると気持ちが下がってしまうことは減っていくと思いますよ。
約2000年前の哲学者・政治家であるキケロが書いた老年論では、老いることで得られる知恵や精神的な成熟については価値があるとされており、老年を単なる衰退の時期ではなく、充実した人生の一段階として位置づけようとしています。
―― キケロの老年論について、もう少し詳しく教えていただけますか?
岩井 この方は、老人は死が近いとか、体力がないといった一般的通念に対して反論を展開した方ですね。
その「老人は体力がない。だから動けない」という通念に対してはキケロは、船の船頭を例にとりました。「船の船頭は全然動かないけれども非常に重要な役割を果たす」と。船の行き先をしっかりと見定め、波の強弱を読みながら船を前に進めて目的地にしっかり到着させる。そういう役目を船頭が負っています。
ただ船頭は決して派手でもなければ、目立つわけでもない。ひたすら座って寡黙なまでに船を導く役目。だから、別に老人は体力がなくて若い人たちに勝てなくても、しっかりとした役割を果たせるのだと主張していました。
―― なるほど。船の船頭というのは興味深い例えですね。ほかにもキケロは老いについてどのような見解を示していたのでしょうか?
岩井 体力がないことに対しては、歳を取っていくにつれて欲が削ぎ落とされていくと。つまり、肉体欲や出世欲、食欲は歳を取るにつれてなくなっていくので、そのような欲を満たせない時の苦しみが老年の人たちは苦しまないと老人に対する偏見を覆す反論をしています。
これはスポーツの世界でも同じことが言えます。スポーツ選手は永遠に現役が続くわけでもないですし、ずっと頂点にいられるわけもなく、いずれは徐々に下っていくものです。
そういった意味では、怪我をしたり歳をとって全盛期のような結果が出なくても、先ほど言ったように船頭のような役割を果たしながら、後輩たちを導くようなプレイングマネージャーになることも可能です。
それに怪我をしてしまった人に対しては、しっかりとケアができる。そういう存在になれるという意味では、キケロの老年論は多分スポーツの世界でも共通すると思います。これは介護のみならず、あらゆる会社のベテランと呼ばれている方々に対しても非常に有益な教えになるんじゃないかなと思いますね。
―― ありがとうございます。最後に、読者のみなさんや介護に関わる方へのメッセージをお願いします。
岩井 介護の世界に携わる皆さんへ、心からの敬意と感謝を申し上げたいと思います。皆さんの仕事は、ただサービスを提供するだけではなく、人の尊厳を守り、一人ひとりの人生に寄り添う崇高な使命を担っています。
仏教の教えにもあるように、人間は相互に支え合って生きています。誰もが老いていき、いつかは介護を必要とする時が来るかもしれません。その意味で、介護の仕事は人間の尊厳と連帯の象徴だと思います。
陸上競技の世界では、苦しい練習に耐え、チームのために自分を犠牲にする精神が尊ばれます。介護の世界も同様に、見えないところでの努力や献身が積み重なって成り立っています。その姿勢は、私たち陸上競技部の裏方の精神とも重なるものがあります。
皆さんには、ぜひ自分自身の心と体も大切にしていただきたいと思います。他者のケアに専念するあまり、自分自身のケアを忘れてしまうことがないように。禅の教えにもあるように、自分と他者は分かちがたく結びついています。自分を大切にすることが、より良いケアにつながるのです。
最後に、介護の現場では日々多くの苦しみや困難に直面されると思いますが、それらの経験がやがて大きな智慧と慈悲に変わっていくことを信じています。皆さんの日々の実践が、高齢社会の模範となり、多くの人々に希望と勇気を与えていくことを心より願っています。
取材:谷口友妃 撮影:熊坂勉