海外滞在中の死産 悲しさ、怒り、言葉にできない思い…
ライターの【はなまる】です。40歳のとき妊娠し、出産しました。でも妊娠したのは2度目です。私の経験をお話します。
妊娠7ヶ月目の健診、赤ちゃんの心拍が聞こえない
夫の海外赴任でアメリカに滞在しているとき、待望の第1子を妊娠しました。順調だと思っていた妊娠7ヶ月目の健診の日のことです。主治医の日本人産科医は夏休み中だったため、代わりに白人のアメリカ人医師が診察してくれました。そして「胎児の心拍が聞こえない、処置する必要がある」と告げられたのです。
医師に前回の心拍と、今回の心拍を聞かせてもらいましたが、順調と思っていただけに信じることができません。自覚症状も全くなかったため、説明を受けてもしっかりと受け止められませんでした。
そのとき診察してくれた医師に、主治医が夏休み中なので、1週間後に来るように、そして、それまではいつも通り生活するようにと言われ、病院を出ました。 あまりのショックで帰りは車の運転も不安になり、沈む思いと、こみ上げる感情で涙があふれ出てきました。
主治医が夏休みから戻るまでの苦しい1週間
家に戻っても、涙が止まりません。赤ちゃんは本当にもう生きていないのか、主治医が夏休みから戻るまでの1週間、病院に行かず、このまま心臓の止まった赤ちゃんがおなかのなかにいて、大丈夫なものなのか、他の先生では処置できないのか、次の日に病院に電話してみました。
前の日の健診とは違う医師が電話に出て、「おなかのなかの赤ちゃんは心臓が止まっていることは確か」そして「主治医が夏休みから帰るまで、家で待って下さい、大丈夫だから」と。その次の日も電話をしましたが、返事は同じでした。
毎日毎日、こみ上げる赤ちゃんへの思い…1週間で赤ちゃんへ「さようなら」も十分できましたが、心は疲れていきました。
1週間後の主治医面談、処置担当の医師を紹介される
心も体も疲れ果てた1週間が過ぎ、やっと主治医に会うことができたのですが、そこで、処置担当の別の医師を紹介されました。
3日後、別の病院で初めてその医師と面談をし、「なぜこの病院に来るまで10日もかかったのか」と、少し責められた調子で言われ、今までの事情を説明しました。すると、「処置までにこれだけ時間がかかって、体が大丈夫だったわけだけれども…」と、やはり私が心配した通り、処置はすぐにすべきだったという意味合いのことを言われました。
ただ、産科医にもう一度事情を聞くとか、クレームをするという気力は、私にも夫にも残っていませんでした。
大学病院での日帰りの手術から退院まで
手術は、おなかを切らずに下から赤ちゃんを出す方法で行われました。次の妊娠のことを考えたからです。事前に2日に分けて子宮口や膣を広げる器具を挿入し、そのままの状態で2日後の手術に臨むというものでした。
2日間の激痛に耐えたあと、朝6時30分から手術となり、当日はまだ暗いうちから大学付属病院へ向かいました。検査を受けてから、全身麻酔して手術をし、同じ日の夕方には帰宅しました。
その後、体は回復しましたが、心の立ち直りはなかなかできずにいました。
手術から6カ月後、アメリカ暮らしは結局2年足らずで終わり、夫の仕事の関係で日本に帰りました。そして死産から4年後、40歳で2回目の妊娠が判明し、予定日は1回目の妊娠と同じ3月30日でした。あのときの赤ちゃんが戻ってきてくれた、きっと今度は生まれてくると思いました。そして、4月6日、予定日より1週間遅れて2960g、身長50cmの赤ちゃんが誕生しました。出産も自然分娩でおなかを切らず、下から生むことができました。死産のときは悲しさ、怒り、落胆、言葉にできない思いがありましたが、今思うと、何かがつながっている、そう思えてなりません。
[はなまる*プロフィール]
夫と子どもの3人暮らし。妊娠2回目で第1子を高齢出産しました。結婚してから8回引越し、海外生活も2度ありましたが、やっぱり日本が一番好きです。
子どもは小学6年生になり、手がかからなくなってきました。私も仕事を見つけたいと思っているところです。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。