「頭はいい人」と「頭が良い人」は全くの別物、という話
「お前ら恥ずかしくないんか!学年最下位なんやぞ!」
もう遠い昔の1980年代、地学の教師が絶叫しながら教壇を激しく叩くことがあった。
学年は9クラス、そのうち4クラスをその教師が教え、後の5クラスは別の教師が教えている。
学年平均は70点程度だが、ウチのクラスは58点だったことが相当、ムカついたらしい。
「俺はなあ、頭の悪い生徒は大嫌いなんや!お前らロクな大人にならんぞ!!」
つばを飛ばしながら叫ぶオッサンの目はバッキバキで、怒りに任せて教壇を叩きまくる。
指導というより、もはや教師という立場を利用した暴力だ。
そんなこともあり、思わずこんなことを言う。
「教え方が悪いんじゃないですか?先生が担当してないクラスのほうが平均点高いですよ」
こういった人種が大嫌いなので、ついついケンカを買った。
するとみるみるオッサンの顔が真赤になり、私の答案を取り上げると“愚かな間違い”を一つ一つ丁寧に解説し、「コイツはバカ」という証明を始める。
結果、平均点くらいだった私まで10段階で3(赤点)をつけられ、高校1年にして人生初の追試を受けるハメになってしまう。
思えば昭和や平成初期には、こんな大人が多かった。
教習所のオッサンといえば、偉そうな指導や舌打ち、タメ口は当たり前で、いつもケンカになる。
「なんで半クラくらい上手くできへんねん!」
「それを教えるのがお前の仕事やろ!」
大学時代にはこんなことを言い放った教授がいたことも、とても印象に残っている。
「次のテストで70点以下だった学生は、知能に問題があるので私の授業を受ける資格はない」
こういった“超絶上から目線”の、謎の万能感でマウントしてくる人の脳内はいったいどういう事になっているのか。
長年の謎だったのだが、最近ようやくその答えらしきものがわかった気がしている。
「キモヲタ」の世界
話は変わるが、こちらもずいぶんと昔、中学生の頃の話だ。
「バカ9人組」と周りから揶揄されていた、仲の良い親友グループの一員だったことがある。
今からは信じられないが、当時はパソコンやアニメに走るやつはキモヲタ(キモいヲタク)扱いという時代。
9人全員が宮崎アニメに夢中で、当時としてはかなりレアだったパソコンを持ち、プログラミング技術まであったので、そんな扱いをされてしまっていた。
しかしこのキモヲタグループ、リーダー格の岡田は3年間、全ての定期テストで学年1位を守り続けた、とんでもない秀才。
一番の変人だった石田は、2~3位が定位置なのに夜の10時に家電したら、
「ごめんなさいね、いつも夜9時30分には寝ちゃうの」
と言われるなど、いつ勉強しているのかわからないような天才である。
そんな岡田や石田にどうしても勝てず悔しかった私は、中2の夏、2人を相手にこんな宣言をする。
「卒業までに、もし1回でもお前らに勝てへんかったら、中庭の鯉のドブ池で全裸で泳いだるわ」
「お、言ったな桃野。絶対やからな」
「当たり前やろ。卒業式の日にやったるわ」
それを横で聞いていた“バカ9人組”の1人で、大の親友だった島田は心配そうにこんな事を言う。
「桃野、こいつらマジで頭おかしいし、絶対に約束守らせるぞ…。本当に大丈夫か?」
「当たり前やろ。俺のほうが頭がいいことをすぐに証明したるわ」
そんな心配をしてくれる島田もまた、アニヲタをこじらし、dot絵でお気に入りのキャラを描くのが何よりも大好きな変人だ。
さらに自分でもアニソンを弾きたいとギターやキーボードまで習い始め、鉛筆画で描くトトロやシータは見事だった。
それでいて学年トップクラスの成績を維持し、何よりもとても穏やかで優しい性格だったので、教師からもクラスメートからも愛されるヤツだった。
それから1年余り。岡田や石田にどうしても勝てないままに時間は過ぎ、いよいよ最後の実力テストを迎える。
「卒業式の日、楽しみやな(笑)」
「おう、テスト終わった後に、同じこと言ってみろ」
そう強がるも最後のテストでも敗れ、中学時代の私の全敗が確定する。
すると卒業式の日、最後のHR(ホームルーム)を終えた岡田と石田が早々にウチの教室に張り込み、前のドアと後ろのドアを固めているのが見えた。
ヤバい、こいつら本気だ。このままだと本当に、ドブ池に突き落とされる…。
すると私は、担任の最後のあいさつが終わると荷物を担ぎ、窓から庇(ひさし)に飛び移るとそのまま地面に飛び降りて逃げた。
幸い教室は2階だったので、中学生の若さならどうってことのない高さである。
すると岡田や石田は窓から大声で叫ぶ。
「おい、桃野が約束破って逃げたぞ!捕まえろ!!」
そういうと“バカ9人組”の他の何人かまで参加し大捕物がはじまるのだが、結果として逃げ切ることに成功し、今も逃げ続けている。
しかしその“後遺症”は重く、卒業後何年経っても集まるたびに、
「おい、お前まだドブ池で泳いでないこと忘れるなよ」
という会話から始まるのが長年のネタになり、少し多めに飲み代を払うことで見逃してもらっている。
そんな岡田は京大を卒業後、大手メーカーの開発職として活躍。
石田もまた京大に進み、院を出るとそのまま京大の教員になった。
島田も任天堂に就職すると、WiiやSwitchの開発を任されるエンジニアになり、中学時代の趣味そのままに仕事を楽しんでいる。
思えば“バカ9人組”は、それぞれがおかしなこだわりと自分の世界を持ち、“好き”や“価値観”を追求することに夢中だった。
そして「三つ子の魂百まで」のことわざ通り、その延長のような仕事に就くと、「キモヲタ」の世界を今も追求し続けているヤツばかりである。
そんな彼らは、いつ会っても、どれだけ大きな仕事を成し遂げても、昔のまま変わらない。
仕事や生き方の満足度は自分だけが決められるということに、自然体なのだろう。
「他人の評価などなんとも思わない」変人とは、そういうものだ。
あんな頭のおかしい変人どもと共に過ごせた若い日を、今更ながら懐かしく嬉しく思っている。
「俺は部長やぞ!」
話は冒頭の、昭和のオッサンについてだ。
超絶上から目線の、謎の万能感でマウントしてくる人の脳内はいったいどういう事になっているのか。
なんとなくだが、教習所のオッサンや大学時代の教授など、
「何かができることでマウントしてくるヤカラ」
というのは、それが唯一の拠り所なのだろう。
これは能力だけでなく、役職でも同じだ。]
「俺は部長やぞ!」
「これは職務命令や!」
そんな噴飯ものの指示を聞いたことがあるビジネスパーソンは多いだろうし、今もそんな上司の下でストレスを感じている人もいるかも知れない。
ひどい場合、自分のほうが長く働いていることを拠り所にするヤカラもいる。
指示が明確で合理的であれば、役職や階級などを持ち出さなくても人は動く。
にもかかわらず、こういった「属性でマウント」してくるリーダーは、もはやそれだけで無能であると自白しているようなものだ。
「車の運転ができる俺と、できないお前」
「難しい学問を知っている俺と、この程度のことも知らないお前」
このような関係は、部分的な何かに少しだけ、相手よりも相対的に優れているだけに過ぎない。
にもかかわらず、その優位性で得意になりマウントを取るなど、みている方が恥ずかしくなるというものだ。
そして私達は、実は日常生活の中でそんな恥ずかしいことを多かれ少なかれ、やらかしている。
「なんでこんなこともできないの?」
「こんな失敗するなんて、新人以下やろ!」
そんな叱責に心当たりがある人は、程度の差はあれ地学の教師や教習所のオッサンと同じようなことをしている。
親としての立場、上司としての立場からマウントしているに過ぎず、相手にとって何一つプラスになっていない。
その一方で、自分のなすべきことや、やりたいことにのめり込んでいる“変人”は、そんなことに頓着しない。
自分の得意領域に不案内な誰かが迷い込んできたら、むしろ優しく迎え入れる。
そう、まるで中学時代の“バカ9人組”のように。
“キモヲタ”とは、そういうものだ。
ふとそんなことを、友人がSNSで呟いていたのをみて、思い出した。こんな言葉だ。
彼女自身、大学で准教授・教授を歴任し、定年退職した今も国立大学で教壇に立ち続け、“道”を追い続けている人だ。
変人をカッコいいと思うのは心から同意だが、彼女自身もそういう人種なのは間違いない。
そんなことで、久しぶりに“バカ9人組”のことを思い出した。
ヤツラとまた久しぶりに飲んでみたいとふと思ったが、きっと全員が集まれば私は間違いなく拉致され、ドブ池に叩き込まれると思う…。
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【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など
島田の結婚披露宴では、友人代表としてスピーチをしました。
しかし会場を静まり返らせる、放送事故レベルのことをやらかします…。
その騒動の様子は朝日新聞さんに寄稿していますので、よろしければお読みください。
https://globe.asahi.com/article/14623979
X(旧Twitter) :@ momod1997
facebook :桃野泰徳
Photo:Hiromu Ozaki