阪神・藤川球児監督が目前の快挙とは? プロ野球史上に残る名将の仲間入りへ
指導者経験なしで監督就任1年目に優勝へ
阪神の優勝がいよいよカウントダウンに入った。就任1年目の藤川球児監督(45)にとっては、ここからが最後の勝負どころだろう。栄光のゴールまで手綱を緩めることなく采配を振ることになる。
高知商から1998年ドラフト1位で阪神入りし、メジャー挑戦や高知ファイティングドッグス移籍などもありながら2020年までタテジマを着てプレー。「火の玉ストレート」と呼ばれた剛速球で日米通算245セーブを挙げた。
現役時代の実績は申し分ないものの、昨オフの監督就任時に不安視されたのがコーチ経験のなさ。引退後は解説者や阪神の球団本部付SAなどを務め、ユニフォームを着ることはなかった。
しかし、蓋を開ければぶっちぎりの首位独走。5月17日に広島から首位奪還して以来、一度も首位を明け渡していない。
就任1年目で優勝した監督は少ないが、その中でもコーチなどの指導者経験なしで優勝となるとごくわずかだ。
1リーグ時代や戦後間もない混乱期を除く1951年以降では、下の通り過去3人しかいない。
落合博満、栗山英樹、工藤公康の「三名将」
中日・落合博満監督が誕生したのは2003年オフ。現役時代は「オレ流」を貫き、3度の三冠王に輝いた実力者は、1998年に日本ハムで現役を終えた後、キャンプで臨時コーチを務めた以外はユニフォームを着ていなかった。
しかし、2004年の春季キャンプ初日にいきなり紅白戦を実施し、3年間一軍登板のなかった川崎憲次郎を開幕投手に起用するなど監督としても「オレ流」を貫き、見事にリーグ優勝。その後、2011年まで8シーズン監督を務めて全てAクラス入り、リーグ優勝4回、日本一1回と輝かしい実績を残した。
日本ハムで10年間の長期政権を務めた栗山英樹監督は、ヤクルトひと筋に現役生活を送り、1990年に引退。その後はスポーツキャスターや白鷗大学教授などを務め、2011年オフ、梨田昌孝監督の後任として日本ハム監督に就任した。
2012年はエース・ダルビッシュ有が抜けながらもリーグ優勝。2016年には日本シリーズで広島を下して日本一となり、監督10年間でAクラス5回、通算684勝を挙げた。その後、日本代表「侍ジャパン」監督として2023年のワールドベースボールクラシックで世界一となったのはご存じの通りだ。
7年間で5度の日本一を達成したソフトバンクの工藤公康監督が就任したのは2014年オフ。2010年に西武を退団、2011年に正式に引退してからは解説者などを務めていたが、西武、ダイエーの先輩でもある秋山幸二監督の後任としてソフトバンク監督を受け継いだ。
就任1年目の2015年は、2002年の西武・伊原春樹監督に並ぶ新人監督最多勝利(当時)となる90勝を挙げてリーグ優勝。その後も毎年優勝争いに絡み、監督通算558勝378敗42分け、勝率.596をマークした。
3人とも長期政権
3人に共通するのは前年度の成績が良いこと。あらかじめ戦力が揃った状態で監督に就任したため、アドバンテージがあったことは確かだ。それは前年2位だった阪神・藤川監督にも共通している。
とはいえ、いくら戦力があっても監督がうまく使えないとチームとして機能しない。指導者経験がないのに結果を出せたことは、3人とも戦術、戦略、采配、選手の状態や実力を見抜く眼力、人心掌握術などが秀でていることを証明している。
そして、過去3人に共通しているのは長期政権を築いたこと。藤川監督はまだ45歳で、3人の1年目より若い。もしかしたら、我々は球史に残る名将の出発点を目の当たりにしているのかもしれない。
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記事:SPAIA編集部