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フィリップ・ドゥクフレが描く村上春樹の世界〜『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』舞台化に挑む〜

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フィリップ・ドゥクフレ

フィリップ・ドゥクフレは、最も来日公演が多い海外振付家の一人である。意表を突く演出やイメージで唯一無二の世界を創り出してきた。1992年のアルベールビル・オリンピックの開会式・閉会式の演出で一躍有名になり、舞台や映画、最近ではエルメスのイベント演出を手がけるなど、その活動は多岐にわたる。日本人のファンも非常に多く、2003年には日本の文化をテーマにした『Iris(イリス)』を日本で滞在制作・上演するなど、日本との関わりも深い。今回、村上春樹の長編小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を舞台化すると聞き、話を聞いた。

(取材・文:舞踊評論家 乗越たかお/撮影:板場俊)


■3作目となる協働プロジェクト

――村上春樹作品の舞台化と聞いて、まず驚きました。

最初にお話をいただいた時は、てっきり短編を舞台化するのだと思っていたんですよ。「短編なら様々なイメージを膨らませることができるからいいな」と(笑)。しかし本作は700ページにも及ぶ、非常に複雑で奥深い長編でした。「これは複雑なプロジェクトになるぞ」と逆にモチベーションが高まりました。現在はまだ出演者との稽古に入る前にデッサンを描きながらスタッフとイメージを共有し、探っている段階です。

――今回のプロデュースは、何度もタッグを組んでいらっしゃるホリプロですね。

はい。今回で3度目のコラボレーションになります。最初は1996年の『DORA〜100万回生きたねこ』(佐野洋子原作)でしたから、もう30年近いお付き合いになりますね。毎回新しい挑戦に満ちた作品の依頼で、とても感謝しています。『DORA〜100万回生きたねこ』の原作は絵本でセリフの少ない舞台でしたし、その次は漫画(「わたしは真悟」楳図かずお)が原作でした。そして今回は、世界的に最も偉大な作家の一人である村上春樹さんの小説が原作です。彼はフランスでもとても人気があるので、私が友人たちに「村上春樹の作品を舞台化するよ」と言うと、「本当!?すごいね!」と今までにないような反応が返ってきました。

■二つの世界をめぐる物語

――この作品は、「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」という異なる二つの世界を行き来しながら物語が進んでいきます。村上作品の中でも独特なスタイルですね。この複雑で長大な物語をどのように舞台化されますか?

偉大な作家の小説です。ファンタジーであり、様々な次元や夢が交錯し、登場人物も非常に象徴的です。世界観を決めつけず、観客がそれぞれ自由に空想できる余地を残したいと考えています。

――原作が持つ物語の力と、ドゥクフレさんのイメージの力がどう融合するか楽しみですね。

演劇ともダンスとも言い切れない、そしてそのどれでもある、ハイブリッドな舞台になるでしょう。演劇的な側面とダンスの側面が融合し、視覚的にも非常にインパクトのあるものになると思います。そういった点に、今とても興味を惹かれています。


■モンスターに振り付けたい

――小説には「ハードボイルド・ワンダーランド」のSF的な世界と、「世界の終り」の終末的な世界という、全く違う世界が並行して描かれます。しかも「ユニコーン(失われた人の心を身に宿し、主人公はその頭骨で「夢読み」を行う)」や「やみくろ(東京の地下鉄や下水道に生息する謎の生命体。光を嫌い主人公に襲いかかる)」など、象徴的・哲学的で不思議な存在が出てきます。これらはどのように表現されるのでしょうか?

私自身もいろいろなデッサンを描いてスタッフと共有し構想を練っているところです。不思議な存在やモンスターに振り付けするなんて、ワクワクするじゃないですか(笑)。本当に楽しみです。

■日本のスタッフとのコラボレーション

――ドゥクフレさんの作品の魅力のひとつは、魔法としか言いようのない不思議なアイデアが満載なことですね。今でもドゥクフレさんが初めて日本で公演した『プティット・ピエス・モンテ』(1996年)は強烈に覚えています。赤いロングドレスを着た女性が歌いながら、溶ける蝋燭のように床に吸い込まれていったり、ダンサーが重力がないかのように天井を走り回ったり、驚きの連続でした。さらに舞台美術や衣裳デザインでも、奇抜で豊かなアイデアで知られています。今回はどのようなチームで臨まれるのですか?

今回は美術や衣裳も100%日本のチームと作ります。初めてご一緒する方も多いですが、みなとても優秀ですね。衣裳デザイナーの前田文子さんとは、今まさにデッサンやアイデアを出し合い、これから素材や形を具体的に考えていきます。ダンサーたちには「奇妙で不思議な生き物になってください」と伝えているので、彼らが踊りを邪魔しないギリギリの範囲で独特な造形を考えています。

――この長大な作品のどの部分を取捨選択していくかも悩ましいところですね。

脚本家の高橋亜子さんと互いに大切に思うシーンを持ち寄ってミーティングを重ね、脚本が上がってくるのを楽しみに待っているところです。キャストとスタッフ合わせて約50人、その後ろにはさらに何倍もの人々が支えてくれていて、心強いです。

――主演の藤原竜也さんとはお会いになりましたか?

まだ実際に稽古に入っているわけではないのですが、藤原さんは韓国で上演していた私の作品を見に来てくれて、とても気に入ってくれたそうです。また「僕」という大切な役は駒木根葵汰さんと島村龍乃介さんのダブルキャスト。女性も2人だけ出てきます。メインの役者はこのあたりの人たちです。

藤原竜也、フィリップ・ドゥクフレのダンスカンパニー公演 観劇時の写真(2024年 韓国にて)

――ダンサーは10名とのことですが、日本のダンサーの印象はいかがですか?

私はこの30年間、日本のダンサーを見てきましたが、レベルが上がっていて驚きました。バレエからヒップホップまで、多様なスタイルを踊りこなせるダンサーたちが集まってくれました。日本には素晴らしいダンスの指導者がたくさんいるのでしょうね。

――俳優チームとダンサーチームは、舞台上でどのように絡み合っていくのでしょうか?

大切なのは俳優とダンサーという垣根を取り払うことだと思っています。「セリフを言う人」と「そうでない人」がいても、全員がひとつのカンパニーとして作品を創り上げていく。だから俳優もダンサーも一緒にウォーミングアップやトレーニングをしてもらいますよ(笑)。

――音楽ではどうですか。原作小説ではボブ・ディランなど音楽が重要な役割を果たします。そうした楽曲は使っていきますか?

はい。原作で重要な音楽は、できる限り使っていきたいと思っています。音楽監督は『わたしは真悟』でも一緒にクリエーションを行った阿部海太郎さんです。もちろん権利の問題をクリアする必要はありますが、バッハの「ブランデンブルグ協奏曲」のようなクラシック曲からアメリカのフォークソングまで幅広く使いたい。また音楽とは別に、地下の世界や図書館など様々な場所で聞こえてくる「音」も重要だと考えています。

フィリップ氏演出「Sombrero」(2006)



■アナログとデジタルの融合

――原作が発表されたのが1985年で、約40年前の作品です。しかし「壁に囲われた世界」や、「やみくろ」のような存在が蠢く様子は、全く古びていないどころか、まるで現代の世界状況を見るようですね。

私自身は、必ずしも現代社会と直接的に結びつけて読んでいたわけではありませんが、作品が持つ普遍性は常に意識しています。若い世代の観客の胸にも響くものにしたいですね。愛や夢の力、大切な人を亡くした想いなどは、いつの時代にも共通していることですから。そこが一番難しくやりがいのあるところです。物語の時代設定である1985年当時の電話やラジオといったアナログな小道具を効果的に使いたいと考えています。

――ドゥクフレさんは、そうしたアナログ的なガジェットの魅力を引き出すのが得意ですよね。

はい。私はあまりデジタル派ではありません。もちろん舞台技術は飛躍的に進化していますから、現代のテクノロジー、とくに映像は使っていくことになるでしょう。しかしテクノロジーはあくまで、映像的な美しさや詩情(ポエジー)を表現するための道具であるべきだと考えています。

――最後に、日本のファンの皆様へメッセージをお願いします。

コロナ禍は舞台芸術にとって本当に困難な期間でした。中止になったプロジェクトもいくつかあります。ですから、こうして再び日本で新しい作品を創作できることを、心から嬉しく思っています。素晴らしい原作、素晴らしいスタッフに恵まれたプロジェクトで、私も創作を心から楽しんでいます。お客様にも、私たちが感じているのと同じように、この世界を楽しんで、喜んでいただけたらと願っています。

【演出・振付:フィリップ・ドゥクフレ】
フィリップ・ドゥクフレは、映像、オペラ、サーカス、キャバレー、現代美術など様々なジャンルを取り入れ、伝統的なダンスの世界に革新をもたらした先鋭的なアーティストである。アルウィン・ニコライ、キャロル・アーミタージュ、レジーヌ・ショピノらの作品に出演した後、自身の作品『Codex』(1986)、『Triton』(1989)をアヴィニョン演劇祭で発表し、ユーモアを交えた振付で観客を魅了した。アルベールビル冬季オリンピックの開閉会式(1992)の演出によって国際的な注目を浴び、現在では世界的に知られるアーティストとなった。彼はDCAカンパニーを主宰し、日本を含む世界各地でツアーを行っている。代表作には『Decodex』(1995)、『Shazam!』(1998)、『Sombrero』(2006)、『Octopus』(2010)、『Contact』(2014)、『Entre-Temps』(2025)など。日本では佐野洋子原作のミュージカル『DORA~100万回生きたねこ~』(1996)、『Iris』(2003)、楳図かずお原作のミュージカル『わたしは真悟』(2016)等を発表。さらには、シルク・ドゥ・ソレイユ、クレイジー・ホース、エルメス・インターナショナルなどから依頼を受けて作品を創作している。

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