いつもは消防士、休日はビール醸造家。地方公務員が無報酬の副業でつくる「美濃加茂ビール」のもう一つの役割
現役の消防士が「大好きなビールで地域活性化に貢献できたら」と一念発起してクラフトビールづくりに挑んでいます。醸造所があるのは、岐阜県美濃加茂市に残る中山道の51番目の宿場にあたる太田宿。かつて「火消し」が活躍していた旧宿場町に多くの人を集めたいという、消防士ならではの想いも込められています。
美濃加茂ビールを製造する一般社団法人8KNOT(エイトノット)代表理事の仙田大騎さんは、現役の消防士。2004年に愛知県犬山市消防本部に入庁し、約20年にわたって公務員として働いています。
もともと人の役に立ちたいという思いがあったことと、交替制勤務の合間の時間を使って地域に貢献したいと考えていた仙田さんに転機が訪れたのは2019年のこと。
内閣府が国家公務員の兼業の基準を明確化し、「公益的活動」を目的とした兼業を認めたのです。仙田さんは「この流れで、地方公務員の兼業も解禁されるのでは」との期待を込め、市の総務課と副業の実現に向けた相談を重ねました。
頭の中にあったのは、地元に近い美濃加茂市で醸造所を立ち上げ、ビールをつくって地域に貢献するという構想でした。
「僕はビールが大好きで、全国のブルワリーを巡り、クラフトビールを通して地域のことを知るのが楽しみの一つでした。美濃加茂市の特産品の一つは梨。傷がついて廃棄される梨を副原料として使えば、ここでしか飲めないビールの製造とフードロス削減を同時にできるのではと考えました」
飲めば飲むほど暮らしやすく
しかし、飲むのは好きでもつくるのは初めて。仙田さんは東京に通ってビール醸造の知識を学んだのち、客として通っていた岐阜県群上市の「郡上八幡麦酒こぼこぼ」に"弟子入り"し、ビール醸造の実務に携わりました。
同時に犬山市と兼業の交渉も進めましたが、前例がないため一筋縄ではいきません。一般社団法人を立ち上げて自身は無報酬の理事として関わり、決算書や活動報告書を市役所に提出するという条件で認められました。
では、ビールの売上はどうするか。仙田さんのもう一つの構想は、地域への分配です。
消防の仕事を通して地域の人たちが抱える課題を見てきたことから、「ビールを飲めば飲むほど、地域の課題解決につながるモデルを確立したい」と話します。
「いずれは、地域の人たちから解決したい課題を募り、希望が多い取り組みに売上を寄付したい。ただビールづくりには経費がかかるため、利益としてはまだまだです。まずは、地域のこども食堂への支援を目指します」
家賃を払うだけの半年間
熱い思いはあるものの、実際のビールづくりは簡単ではありませんでした。太田宿に醸造所となる建物を借りたあと、酒類製造免許を申請。交付されるまでの半年間は製造も販売もできないため、売上がないのに家賃を払いながらじりじりと待つだけの日々が続きました。
「甘かったです。お金がどんどん減っていき、銀行に運転資金を借りました。経営の経験がないため、不安ばかりが募りました」
そんなときに励みになったのは、応援してくれる地域の人たちの声でした。2023年にクラウドファンディングを始めると、美濃加茂市長や犬山市長がSNSで紹介してくれた投稿が拡散され、返礼品のビール製造が間に合わないほどの支援が集まりました。
いまは生産体制が整い、6種類ほどのビールを製造しています。特産品の梨を使用した「梨ホワイトエール」、市内の養蜂家が採蜜した蜂蜜の「蜂蜜ゴールデンエール」、太田宿のコーヒー店が焙煎したイタリアンローストの「珈琲スタウト」のローカルビール3種が定番。ふるさと納税の返礼品にもなっています。
美濃加茂市政70周年を記念してつくった「黄金と白銀」は、日本のプロダクトを世界に発信するBEAMSの事業「BEAMS JAPAN」が監修しました。美濃加茂産の米「ハツシモ」と、太田宿の老舗酒蔵「御代桜醸造」の吟醸酒の酒粕を使っており、日本酒のようなすっきりした味わいが特徴です。
「日本酒には清める意味があることから、消防士として災害を減らしたいという思いも込めました」
非常招集には駆けつける
消防士と醸造家のダブルワークの課題について、仙田さんはこう語ります。
「ビールづくりに専念できないため、まだ最高においしいと思えるビールに到達できていないのがもどかしい。醸造所にはスタッフを配置し、休日に消防の非常招集がかかった場合にも対応できるようにしています」
それでも、公務員が地域に出て活動することには意義があると話します。
「消防の仕事だけでは出会えなかったような異業種の人たちとつながって、地域の自慢を形にできることにやりがいを感じます。全国からビール目当てに訪れてくれた人たちが中山道を歩く姿を見ると、かつて『火消し』が活躍した場所で新たな歴史をつくっているのだと実感します。もっとおいしいビールをつくって、美濃加茂のことを知ってもらいたいです」
現在、地方公務員の兼業は国家公務員と同様に許可制が採用されています。総務省が2019年に実施した実態調査によると、全国の都道府県や政令指定都市、市町村で2018年度に地方公務員の兼業が許可された件数は4万1669件。その4分の1が、いわゆる社会貢献活動でした。伝統行事や地域のイベントの手伝い、特産品のプロモーションなど、公務以外でも地域に根ざした活動をすることに、住民も期待を寄せている背景があるということです。