福岡伸一さんと読む『ドリトル先生航海記』──フェアネスとは何か【NHK100分de名著】
『ドリトル先生航海記』を、福岡伸一さんがやさしく解説
フェアネスとは何か──。
動物と話すことができるドリトル先生の、ユーモア溢れる冒険の旅『ドリトル先生』シリーズ。
今回、生物学者・作家の福岡伸一さんがNHK『100分de名著』で読み解くのは、そのシリーズ2作目の『ドリトル先生航海記』です。
奇想天外な物語を楽しみながら、自然との関わり方や公平さの意味、好奇心・想像力の大切さなど、現代にも通じる生き方の知恵を学んでいきます。
今回は福岡さんによる『ドリトル先生』へのイントロダクションを公開します。
私は今でもスタビンズくんなのだ(はじめに)
今回の「100分de名著」では、児童文学における金字塔(きんじとう)のひとつを取り上げます。私の愛読書でもある『ドリトル先生航海記』です。初めて日本語訳が出たのは、今から七十年以上前。それ以降、さまざまなバージョンが刊行され、現代まで愛読されています。子どもの頃に読んで心躍らせた方も多いと思います。
私がドリトル先生と出会ったのも小学生の頃です。放課後の図書室をうろうろしていたとき、ふと一冊の小さな布張り風の本に目が留まりました。何気なく手にとった『航海記』のページをめくり、一行目を読んだ瞬間、私は心を奪われ、すっかり夢中になりました。
主人公のドリトル先生は、小柄で太っちょな英国紳士。生き物が大好きで、さまざまな動物と会話ができるお医者さんです。いつもシルクハットをかぶり、きちんとした身なりをしていますが、世間やお金のことには、まるで無頓着(むとんちゃく)。愉快で、やさしくて、どちらかというと脱力系の愛すべき人物です。
そんなドリトル先生が動物たちと繰り広げる奇想天外な冒険物語が、一連の『ドリトル先生』シリーズ。作者はイギリス出身の児童文学作家ヒュー・ロフティング(一八八六〜一九四七)です。ロフティングは、結婚を機に二十代半ばでアメリカに移住しますが、第一次世界大戦中にイギリス陸軍の志願兵となって従軍。ドリトル先生の物語は、このとき戦地から二人の幼い子どもたちに送った手紙に記したお話がもとになって誕生しました。
最初に書かれたのは『ドリトル先生アフリカゆき』です。刊行されたのは一九二〇年。これが大人気となって、たくさんの続編が書かれました。私が名著として選んだ『航海記』は、全十二巻シリーズの二巻目。なぜこの作品を選んだかというと、ここで初めてトミー・スタビンズくんという少年が物語の語り手として登場するからです。
『アフリカゆき』は、「むかし、むかし、そのむかし││私たちのおじいさんが、まだ子どもだったころのこと──ひとりのお医者さんが住んでおりました」(井伏鱒二(いぶせますじ) 訳、岩波少年文庫)という一文で始まります。昔話に定番の三人称文体です。
ところが『航海記』以降は、基本的にドリトル先生の助手となったスタビンズくんの一人称で語られるものが中心になっていきます。先生と一緒に航海の旅に出て、数々の胸躍る冒険をしたスタビンズくん。彼の目を通して、ドリトル先生という人物の魅力やその功績がいきいきと描かれていくのです。
なかでも『航海記』は、十歳になったばかりの少年が初めて経験した冒険旅行のお話です。見るもの聞くことすべてが新鮮で、驚きと感動の連続。その興奮がビビッドに伝わってくる本書は、シリーズ一番の傑作だと思います。
『新約聖書』の「福音書」のようなこの叙述スタイルは、物語をシリーズ化するにあたってロフティングが創案したものです。これは素晴らしいアイディアでした。イエス・キリストの事績を使徒たちが書き記したように、自然をこよなく愛し探求するドリトル先生を心底リスペクトしているスタビンズくんが、先生の素晴らしさや面白さ、ときに奇妙でキュートなところも、余すところなく伝えてくれています。
『航海記』の叙述には、もうひとつ素敵な工夫が施されています。ドリトル先生との冒険を、すでに「ずいぶん歳を取った」スタビンズくんに述懐させているのです。
回想録ですから、地の文はすべて過去形です。しかし、会話部分は実際に交わされたときのまま、現在形で書かれています。つまり、物語のなかに二つの時間が流れているのです。
二つの時間軸があざなわれることで、ドリトル先生の物語は俄然(がぜん)、立体的になりました。子どもたちは、冒険旅行の顚末(てんまつ)を追いつつ、まるで自分がその場に居合わせたかのようにワクワクしながら読み進めることができます。
大人になった「かつての子ども」たちもまた、老境に入ったスタビンズくんの述懐に胸を躍らせます。誰にでも子ども時代があり、そこにたくさんの大切な思い出があります。はっとするような気づきの喜び、自然の不思議さや精妙さに驚く「センス・オブ・ワンダー(the sense of wonder)」に満ち溢(あふ)れていた時代。大人が読んでも、そんな子ども時代に戻れる物語なのです。
『航海記』には、ドリトル先生という一人の人間のエッセンスがぎゅっと詰まっています。私がこのシリーズを『航海記』から読み始めたことは幸運でした。ドリトル先生のような大人と出会い、世界中を(シリーズ後半には月にも!)一緒に旅したスタビンズくん。彼の幸運に憧(あこが)れると同時に、自分と同じ年頃の少年が冒険を通して成長していく姿に励まされもしました。
私はドリトル先生のようになりたいと切に願い、そのために生物学者になったと言っても過言ではありません。ドリトル先生の素晴らしさや好ましさの本質──それは「フェアネス(公平さ)」にあります。誰に対しても、どんな生き物に対しても、ドリトル先生はつねに公平です。そして、あらゆる生命のありように、真摯(しんし)に耳を傾けます。センス・オブ・ワンダーを持ち続けた、本当の意味での生物学者です。
ドリトル先生は、自分のことを「ナチュラリスト」と言っています。日本語に訳すと「博物学者」。でも、標本や剝製(はくせい)を集めて分類したり、分析したりする博物学者ではありません。私が目指したのは、もちろんドリトル先生のようなナチュラリストです。大人になった私は長い長い道草を経て、子ども時代に憧れた本来のナチュラリストに戻るべく大きな決断をしました。これについては第3回でお話ししたいと思います。
ドリトル愛が昂(こう)じて、ドリトル先生の故郷を訪ね、さらに『航海記』を新訳するという機会にも恵まれました。ドリトル先生シリーズは井伏鱒二の訳で親しまれています。日本にドリトル先生の物語を広めた名訳ですが、その表現にはやや古風なところもあります。
例えば、井伏訳のドリトル先生は自分のことを「わし」と呼んでいます。しかし実際は、牛の上で屈曲倒立(くっきょくとうりつ)ができる(そんな場面が出てきます)ようなアスリートでもありますので、四十歳代くらいなのでしょう。そこで、井伏訳では老学者然とした古めかしい印象のあるドリトル先生を、私はもう少し軽やかにすることにしました。また、ロフティングがちりばめた言葉遊びの楽しさが伝わるよう、原典に則して固有名詞の表記も工夫しました。
残念ながら、今、欧米ではドリトル先生の物語はほとんど読まれていません。出版されてはいますが、かなり手が加えられています。一九七〇年代以降、黒人やネイティブ・アメリカンに対する差別的な文言が含まれているという指摘を受けて、改変されたり、物語中のエピソードがごっそり削除されたりしているのです。
確かに、配慮が不十分な記述がないわけではありません。でも、通読するとわかるように、ドリトル先生の物語の通奏低音としてあるのは、生きとし生けるすべてのものに対するフェアネス。ドリトル先生自身は、差別的なことは言っていませんし、作者のロフティングにも差別的な気持ちはなかったと思います。
残念ながら、いかなる作品も時代の制約から完全に自由であることはできません。『ドリトル先生』シリーズを刊行している岩波書店は、巻末でこの点に言及しつつ、改変を最小限に留め、今も原作をそのままの形で私たちに届けてくれています。これは非常にありがたいことだと思います。英語圏では封印されてしまったこの素敵な物語を、今も大切に読み継いでいるのは日本の私たちと、東ヨーロッパの一部の国の人々です。
『航海記』は古い本ですが、その魅力はまったく古びていません。名著と呼ばれる作品は、どの時代にも通じる普遍的な意味を持っています。気候変動、生物多様性の保全、生命操作、遺伝子組み換え──。私たちは今、生命と自然をめぐる極めてアクチュアルな問題に直面しています。あるいは、いまだ収束の道筋が見えない紛争、排他的な主張の応酬──。
私たちはいつも何かに苛立(いらだ)ち、思考が硬直したり、ときに過剰に反応したりしがちです。そんなとき、私はドリトル先生のことを思い出し、そのフェアネスに思いを馳せます。そして、これらの問題を投げかけたらドリトル先生はどう答えるだろうかと考えてみます。
時代を超えて多くの人に読まれながら、一人ひとりの読者が「私のために」書かれていると感じ、さまざまな気づきが得られるというのも、名著の条件のひとつでしょう。
子ども時代の私を励ましてくれたのも、私が生物学者として岐路に立ったときに、進むべき道を照らしてくれたのもドリトル先生でした。これはまさに「私のために」書かれた一冊。みなさんもきっと、この作品のなかに共感できるエピソードや心の糧(かて)となる言葉を見つけることと思います。今回は私が訳した新潮文庫版を底本としましたが、岩波書店から出ている井伏訳や、『航海記』以外の物語も、ぜひ併せて読んでみてください。
ドリトル先生のようになりたい──。その思いはスタビンズくんと同じです。大人になってもドリトル先生に満腔(まんこう)のリスペクトを持ち続けている私は、今でもスタビンズくんなのだと自負しています。
彼が『航海記』でドリトル先生の功績を伝えてくれたように、今回は私がスタビンズくんとなって、みなさんに『航海記』の物語世界をご案内しましょう。わずか一〇〇分の旅ですが、ドリトル先生の自然との関わり方や豊かな好奇心、フェアネスについて一緒に考えていきたいと思います。
NHK「100分de名著」テキストでは、
第1回 ドリトル先生の「フェアネス」
第2回 「道のり」を楽しむ
第3回 「ナチュラリスト」の条件
第4回 小さな鞄ひとつで軽やかに生きる
もう一冊の名著 レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』
という構成で、『ドリトル先生』の世界を味わいます。
講師
福岡伸一(ふくおか・しんいち)
生物学者・作家
一九五九年東京都生まれ。京都大学卒および同大学院博士課程修了。ハーバード大学研修員、京都大学助教授などを経て、現在、青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授。二〇〇七年『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞受賞。著書に『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書)、『動的平衡』シリーズ(小学館新書)、『生命海流 GALAPAGOS』(朝日出版社)など。『ドリトル先生航海記』の新訳を手掛け(新潮文庫)、原作シリーズへのオマージュとして創作『新ドリトル先生物語 ドリトル先生ガラパゴスを救う』(朝日新聞出版)を上梓した。
※刊行時の情報です
◆「NHK100分de名著 ロフティング『ドリトル先生航海記』2024年10月」より
◆テキストに掲載の脚注、図版、写真、ルビ、凡例などは記事から割愛している場合があります。
※本書における『ドリトル先生航海記』からの引用は、新潮文庫版(福岡伸一訳、2019年)に拠ります。
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※テキストへの掲載はございません。