暴動クラブはロックがメインストリームから遠ざかってしまった時代を切り裂くか⁉
若きロックの継承者、暴動クラブ
2022年に結成された暴動クラブは、東京・幡ヶ谷にあるライブハウス、ヘビーシック(Club Heavy Sick)に幾度か登場していた印象が強い。ヘビーシックは50年代、60年代、70年代のロックカルチャーを正しく継承し、今の時代にマッシュアップさせているバンドが数多く出演。それぞれのバンドのディティールへのこだわりは相当なもので、このようなバンドの発信基地としてヘビーシックは重要な位置を担っている。決して大きなキャパではないが週末は大きな賑わいをみせ、正統のロックカルチャーが日本にもしっかり根付いていることを垣間見せてくれる。
暴動クラブもまた、こういった店の方向性にピッタリとハマった歓迎すべきバンドだということをまず記しておきたい。そしてメンバーの平均年齢は2024年現在20歳。若きロックの継承者は、ライブハウスシーンで大きな話題となり、2023年11月にリリースされたファースト7インチシングル「暴動クラブのテーマ」はオリコンROCKシングル週間ランキング8位を記録。
8月7日にはデビューアルバム『暴動クラブ』を “BEAT EAST / FORLIFE SONGS” よりリリースし、同月28日に行われた渋谷CLUB QUATTROにおけるワンマンライブにおいては平日にも関わらずソールドアウトと大きな盛り上がりを見せている。そして、本日12月4日に、シングル「撃ち抜いてBaby, 明日を撃てLady」がリリースされた。
井上富雄プロデュース、「撃ち抜いてBaby 明日を撃てLady 」
ともあれ “暴動クラブ” というネーミングが秀逸だ。これは1982年に公開され、ザ・ルースターズ、ザ・ロッカーズ、スターリンのメンバーが出演している石井聰亙(現:石井岳龍)監督作品『爆裂都市 BURST CITY』のキャッチコピーであった “これは暴動の映画ではない。映画の暴動である” を思い出さずにいられない。彼らのスタイルもそういった古くからのロックファンを唸らせるディティールに溢れている。
その音楽性を端的に言ってしまえば、T・レックスからニューヨーク・ドールズに継承されたグラムロックの妖しさと、ザ・ルースターズのような内省的かつエッジを効かせたリリックが特徴だ。さらに言ってしまえば、かつてロックの常套句であり、ルースターズのリリックにも頻繁に登場していた “オイラ” という一人称が不自然なく似合うバンドでもある。それは懐古主義に偏っているのではなく、今の音として、そういったロックを吸収しているからだろう。実際、ファーストアルバムにはルースターズのナンバーの中でも特出した人気を誇る「C.M.C」をカバーし、今回リリースされる「撃ち抜いてBaby, 明日を撃てLady」でもルースターズのベーシストだった井上富雄がプロデュースを担っている。
浜田省吾のカバー「あばずれセブンティーン」
さて、今回リリースされる「撃ち抜いてBaby, 明日を撃てLady」だが、同名リード曲を含めた全4曲収録。興味深いところは、浜田省吾が1981年にリリースしたシングル「陽のあたる場所」のB面に収録されていた「あばずれセブンティーン」をリメイクした点にあった。
浜田省吾といえば、「MONEY」や「悲しみは雪のように」を思い出す人も多いだろう。ストーリーテラーに徹しながら、ドラマティックな世界観を生み出す名手である。しかし同時に、50年代のプリミティブなロックンロール、ドリーミーなドゥーワップにも造詣が深い。こういったエッセンスを巧みに取り入れた楽曲も彼の側面である。「あばずれセブンティーン」にしてもーー
ラジオで聴くのはロックンロール
ダンスに行くならリズム&ブルース
そうよ
あたいはいかれたあばずれセブンティーン
という、1970年代に数多く制作された “スケバン映画” のような直情的なリリックを、ピアノやホーンの音色が効果的に使われた王道のロックンロールに仕上げている。これを暴動クラブは、グラムロック的なギターサウンドで、扇動的に、ロックがメインストリームから遠ざかってしまった時代を切り裂くかのようにプレイ。もちろん「撃ち抜いてBaby, 明日を撃てLady」にしてみても、70年代的なエッジを効かせたギミックで、荒削りながらも、ロックは死んでいないという圧倒的な存在感を醸し出している。
90年代に英国パブロックを昇華させたミッシェル・ガン・エレファント、21世紀になってグラムロックの妖艶さとガレージを通過したハードロック的なダイナミズムを体現した毛皮のマリーズなど、時代時代にロックの王道を継承したバンドが強烈なインパクトを残した。そして暴動クラブの登場である。彼らがメインストリームに浮上してくるのであれば、それは日本においてもロックが過去の産物でないということの証明になるだろう。